20話 歓迎と拒絶
首都圏から内房線に揺られ、一時間半。
少しずつ減っていく乗客を見送りながらようやく辿り着いたのは、閑散とした田舎の小さな駅だった。
人通りの少ない昔ながらの住宅街を歩き、その産婦人科に辿り着く。
三階建ての一見小さなシティホテルを思わせる小奇麗な外観で、入口を潜ると広いロビーにはオルゴールのメロディが流れていた。まだ診療時間中で待合室は妊婦や女性患者で混雑している。
制服姿の二人を見るなり、幾人かから険しい表情が飛んできた。
京子は感覚を鋭くしてみる。少しだが気配を感じ取ることができた。
「いるね」と小声で確認すると、「そうですね」と綾斗は頷いた。
受付の女性に案内されて三階のフロアに上がると、病室が並んでいた。一番奥から二番目の扉を示すと、女性はそのまま下へ戻っていく。
扉の横のプレートに『佐倉美和』と書かれている。プレートを入れる場所は二つあるが、一つは空白だ。
脱いだ外套を腕に掛け、綾斗に「行くよ」と目で合図してからドアをノックすると、中から「はい」と返事がある。
「昼に連絡した、アルガスの田母神です。入ってもよろしいですか?」
ドア越しに名乗ると「どうぞ」と声がして、「失礼します」と部屋に入った。
資料にあった三十歳という年齢よりも大分若く見える女性だ。子供の姿はなく、美和は淡いピンク色のパジャマ姿で、上に若草色のカーディガンを羽織っている。
京子たちの訪問に合わせてか薄く化粧してあるが、キーダーの子供を授かった事への祝杯ムードは微塵もなく、昨日出産した母親とは思えないほどに憔悴しきった顔で二人を迎えた。
未成年の男子と二人で行くことは断っておいたが、綾斗を見るなり美和はあからさまに不愉快な表情を見せ、視線を逸らした。予想していなかったことではないが、誰もがキーダーを望むわけではないと痛感させられた気がする。
類まれな力は周囲から異端者呼ばわりされるケースもあると聞いていたが、京子は長い沈黙に戸惑いながらも応対マニュアルを頭の中で整理した。
「初めまして。田母神と申します。この度は御出産おめでとうございます」
「木崎です。おめでとうございます」
頭を下げる京子に習って綾斗も挨拶するが、美和は黙ったまま会釈を返すのみだ。
「早速ですが、詳細は担当の者が電話で説明させていただいた通りです。お嬢様には銀環を付けていただき、十五歳でその後の選択をしていただくという流れになります」
「十五歳って……あの、本当に、その……うちの娘には、キーダーの力があるんでしょうか。ちょっと信じられなくて」
俯いたまま緩く手を組み、力無く尋ねる美和。ベッドサイドにはノートパソコンが置かれていて、アルガスのサイトが開かれている。
「陽性反応が出たと報告を受けて来ました。私たちは力を読み取る能力があります。この病院に来てそれを感じました。赤ちゃんに会わせて頂ければはっきりと分かるはずです」
「分かるの……」
「そんなに力を警戒しないで下さい。銀環さえしていれば他の子と同じです。キーダーになる事を強制しているわけでもありません。本当に嫌だと思うなら、十五歳になった時にアルガスへ入ることを断ればいい。例えキーダーを選んで後悔しても、途中で辞めることも可能ですよ」
「十五歳なんてまだまだ遠い話です。今すぐに消してもらうことはできないんですか?」
悲痛な顔で訴える美和に、京子は黙って首を横に振った。
「申し訳ありませんが、それは出来かねます。トール……力を消失させるということは、強い力で縛ることです。まだ乳児の身体では負担が大きすぎるんです」
「どうして……」と美和はぽろぽろ涙を流す。京子は慰める言葉を持ち合わせていなかった。
美和は涙いっぱいの目で二人を睨みつける。
「私はあの子に戦わせるつもりは無いし、隕石に立ち向かって欲しくもないんです。力を持つことが、あの小さな手に環を付けることが不安で仕方ないんです」
美和はわあっと泣き出して、側にあったバスタオルで顔を覆った。
謝ることさえ出来ず京子と綾斗はただ見守っていたが、暫くして美和が鼻をすすりながら赤く腫れた目を漂わせて、ぽつりと口を開いた。
「あの子の父親は、娘の力をとても喜んでいるんです。キーダーは日本を救った英雄だし、汚い話ですが十五歳まで養育費が随分払われるとも聞いたので。でも、私にはとても信じられなくて」
美和は言葉をためらうように唇を噛み締めるが、
「でも、いいです。分かりました。私だけ否定して謀反の子にする気も無いので。これが栄誉なことだと思わないと……」
謀反とは大袈裟だが、違うと言い切れない自分をもどかしく感じる。彼女に否定権は存在しない。金や栄誉と引き換えに、国に従うことが能力者とその親の義務なのだ。
京子は彼女に深く頭を下げる。
「ありがとうございます。それでは、お嬢様に銀環を付けさせていただきます」
「ナースセンターの横にある部屋に居ます。私はここで待っていてもいいですか?」
「分かりました」
もう一度頭を下げ、二人は部屋を出る。
塞がれた扉の向こうから美和の嗚咽が聞こえた。
「辛いですね」
「仕方ないよ、こればっかりは」
桃也の母親もキーダーを望まなかったと言うが、自分の母親はどうだったのだろうと思う。忠雄は大興奮で大舎卿を歓迎したらしいが、母親の気持ちは聞いたことがなかった。
十五歳になる時、既に京子の母親は他界していて、キーダーになることを相談したこともなかった。もっと話をすれば良かったと後悔が募る。
二階に下りてナースステーションを覗くと、年配の看護師が出てきて小部屋に案内してくれた。
ソファと小さなテーブルがあるだけの部屋だったが、中で待つとキャスター付きのベッドに乗った赤ちゃんを運んできてくれた。看護士は中央でタイヤをロックさせると、何かあったらと呼び出しボタンの位置を示し、そそくさと部屋を出て行ってしまう。
「うわぁ、可愛い」
顔を覗くなり綾斗が声を上げる。普段は仏頂面の彼が甘味以外で破顔するのは珍しい。
両手に乗ってしまいそうな程小さな少女だ。スヤスヤと安心した顔で寝ているが、キーダーの気配をはっきりと感じる。
外套と荷物をソファに置き、鞄から取り出した箱を開く。平野の時より少し小さい銀環が入っている。
「ほんと可愛い。こんなに小さいのに、私たちの仲間なんだね」
掛けられたバスタオルを外し、袖をまくり上げると、小さな手が現れる。
「小っちゃい手だね。何か悪いことしてるみたい」
「そんなことないですよ。俺はキーダーであることは誇りだと思っています。誰に何を言われても人類の盾となる覚悟はできています。だから、キーダーとなる資格を得たこの子も、あのお母さんも、胸を張っていいと思います」
「そうだよね、もっと自分の運命に自信持たなきゃね」
ただ漠然と、盾として戦う決意はできているが、京子の中にはその先にある死への覚悟はなかった。
京子は少女の手をそっと取り、左の手首に銀環を通す。生まれたての手には少し大きく、するりと抜けてしまうサイズだが、これをキーダーが結ぶことで縮むのだ。
京子は自分の銀環に触れた手を少女の銀環に重ねた。
手の中に沸き出る力をゆっくりと移動させると、白い光がぼんやりと指の隙間からこぼれる。
ひとつひとつマニュアルを頭で追っていく作業は簡単でありながらも失敗するわけにはいかない。少しずつ上昇する熱に少女が目を開いた。
きょとんとする目が、京子と合うとにっこりと緩む。
「笑ったぁ」
まだ何も知らない少女の笑顔が感慨深い。
「十五年後に、また会おうね」
京子はやさしく微笑み返すと、ふと不思議な感覚に捕らわれる。
混ざり合う気配の流れに、懐かしさと恐怖を覚えた。手を放したくなる衝動を必死に堪える。
「京子さん?」
心配する綾斗に「大丈夫」と返すと、掌にねっとりとした汗を感じた。
生まれたての子供に銀環を結ぶのは初めてだ。懐かしいと感じて思い当たる記憶と言えば、自分が生まれた時、大舎卿に結ばれたことだろうか。
「違う……」
もっと後だ。
記憶を辿り、行きつく先に表れたのは、彰人に恋したあの日の風景。
少しずつ溶け出す夢に、京子は「嫌」と唇を噛んだ。