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10話 記憶の最後をイマイチ覚えていない。

 翌日仕事があるということで、知恵は一軒目で帰って行った。

 京子はだいぶ酔っているが、軽い足取りで賑やかなアーケード街を歩いていく。


 身長の話が気になって、京子は横目でこっそり綾斗(あやと)の背を確認する。

 私服用の五センチヒールで、目線はほぼ一緒だ。


「俺たちも明日から仕事なんだし、帰りましょうよ」

「まだ十時だよ? 着いてきたいって言ったじゃない。ちょっとラーメン食べて行こうよ。綾斗もそんなに食べてないでしょ?」


 あっちだよ、と京子は通りの奥を指差した。酒の量も()る事ながら料理も普通に食べていた京子に対し、綾斗はおにぎり一つと他を少しずつつまんだ程度だ。

 綾斗は少し考えて「食べたら帰りますよ」と念を押して、先導する京子に着いていく。


「そんなに酔って、桃也さんが見たら悲しみますよ」


 京子は桃也の名前にハッとした顔をするが、すぐに「大丈夫」と先を急いだ。


「ラーメンだし。頭もハッキリしてるし。綾斗となら間違いは起こさないから!」


 綾斗は頭を抱える。知恵に言われた「後悔する」の意味が深く身に染みた。


 京子に連れられて来たのは、繁華街の外れにこっそりある古い店だった。お世辞にも綺麗とはいえない。

 中には中高年の男性客が数人いて、ビール片手にラーメンをすすり、天井下にあるテレビのスポーツニュースに夢中だ。

 厨房には老齢の主人が一人いて、奥さんらしき女性がカウンターへ二人を案内し水を出してくれた。


 綾斗は曇ったメガネを指で拭い、コートを脱ぐ。


「にんにくラーメン二つ」


 メニューも見ずにそれを注文した京子に、綾斗は仰天した。


「にんにくって、明日仕事なんですよ? そんなの食べていいんですか?」

「だって美味しいんだよ? 牛乳飲めば臭い消えるってテレビで言ってたし。ね?」


 目の前で生のにんにくをズリズリとおろす主人。綾斗は京子がCMに気を取られた隙を狙って「にんにく少なめでお願いします」と早口に伝えた。


「これだよ、これ。帰って来たらこれ食べないと」


 出されたラーメンに歓喜する京子。

 減らしたとは到底思えない量のにんにくが投入されている。けれど一口食べて綾斗は、「美味しいですね」と顔を上げた。

 京子は「でしょ」と微笑み、空腹男子さながらに麺をかきこんでいく。


 空腹が満たされ、京子は大きく欠伸をする。まどろんだ表情で「もう食べれない」と呟いて、ばたりとカウンターに顔を伏せた。

 最後の麺をすすっていた綾斗が仰天する。


「きょっ、京子さん! 寝ちゃ駄目ですよ! 起きてください! 俺、京子さんの実家の場所知らないんですよ!」


 悲鳴に近い綾斗の声も、京子にとっては睡眠へと誘う呪文のようだった。

 夢の中に堕ちて行く京子を綾斗は激しく揺さぶるが、目が開くことはなかった。


   ☆

 瞼の外の明るさに、京子は今が朝であることに気付く。

 ふわふわした布団の温もりにまだ包まれていたかったが、起きようかと気合を入れると軽く頭が痛んだ。


 近くに人の気配を感じゆっくりと目を開いて、ようやくここが知らない部屋であることに気付く。

 横に並んだもう一つのベッドに、誰かがこちらに背を向けて寝ていた。


 状況が把握できなかった。昨晩知恵と飲んだのは覚えている。

 彼女と別れた後はどうしただろう……行きつけのラーメン屋のテレビで見たチョコレートのCMがぼんやりと蘇ったところで、記憶がぶっつりと途絶えた。


「え……?」


 隣に居るのが桃也でないことはすぐに分かった。体格も髪形も違う。そしてそれが男である事も分かる。

 まだ夢の中なのだろうか。こんなシーンはドラマの中だけの展開の筈だ。

 知らないベッドで目を覚ますと隣に裸の男が寝ていて、「昨日は良かったよ」とはにかむ台詞で情事が全て終わったことを表すという、定番のパターンではないのか。


「ちょっ……と」


 何度瞬いても夢が覚めず、京子は慌ててベッドの中の自分を確認する。

 服は着ていた。昨日のままだ。

 タイツも履いたままの状態で寝ていたことに安堵し、ふと見上げた壁に見慣れたコートが掛けられていて、相手がその持ち主だということに気付く。


「綾斗!」


 呼ばれてゆっくりと寝返りを打った裸眼の綾斗は、不機嫌を通り越した怒りの形相で京子を睨むと、ベッドサイドに手を伸ばしメガネをかけて起き上がった。


「恨みますよ、京子さん」


 低い声でボソリと呟く綾斗に、京子はベッドの上に起き上がり正座して構える。


「お、おはよう……ご、ごめん。私、何かしちゃった?」

「何もしてないですよ。がぁがぁ鼾かいて寝てただけです」

「こ、ここはホテルだよね」


 ビジネスホテルかシティホテルだろうか。ベッドが二つあるから、ラブホテルではないだろう。

 窓から見える雑居ビルの風景で、おおよその見当はついた。駅前ではあるが、ラーメン屋からは大分離れた位置にある。


「ホテルですよ。夜中に探しまくって、やっと空いてたホテルです」


 ベッドから足を下ろし、綾斗は腕を組んで京子を見下ろした。


「運んでくれたんだよね」

「重たかったですよ。ラーメン屋さんからずっとおんぶして歩いたんで」

「ありがとう……ごめんなさい」


 疲労混じりに淡々と話す綾斗に、謝罪と感謝以外の言葉が見つからない。

 綾斗も、収まるどころか増していく怒りに声のトーンも上がっていった。


「大体、俺とは間違いは起こさないとか言って。俺じゃなかったら、確実に食われてますよ。桃也さん見たら怒りますよ!」


 桃也の心配が現実になってしまった。相手が彩斗で本当に良かった。


「……反省します」

「もう。京子さんは俺の教育係なんですよ」


 頭が痛い。自分の失態に、しばらく身を隠したい気分だ。

 綾斗は部屋の隅に置かれた冷蔵庫を開け、牛乳を二本取り出した。


「とりあえず、下のコンビニで買って来たんで、これ全部飲んで下さい」


 五百ミリリットルのパックにストローを刺したものを渡され、京子は口に手を当てた。

 あまり自覚はないが、ラーメンのニンニク効果は大きかったようで、綾斗ももう一本を開けると直接口をつけて一気に飲み干した。


「お昼は牛タンでいいですよ。大盛りでお願いします」


 形勢逆転である。


   ☆ 

 ホテルでシャワーを浴び、早々にチェックアウトする。

 タクシーで実家に戻るが、忠雄はまだ帰っていなかった。制服に着替え家を出ると、隣に住むおじさんに「久しぶりだな、仕事頑張れよ」と激励された。


「京子さん、お父さんの事好きなんですね」


 駅に向かうタクシーの中で、綾斗がふとそんなことを言った。


「テーブルの上に置いてきたの、昨日デパートの地下で買ってたやつですよね」


 綾斗がトイレに行っている間に買ったつもりが、見られていたらしい。紙袋も地元デパートのもので、お土産も何もあったものではないが、中身は忠雄希望の草加煎餅だ。


「まぁ、嫌いにはなれないかな」


 名残惜しむように窓の外を見やる京子の隣で、綾斗は「そうですね」と笑った。


  


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