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1話 山に開いたバスクの痕跡

 七年前、大晦日。

 記録的な大雪が東京に舞い降りたその日、町で大きな爆発が起きた。半径八十メートルを一瞬で焼いた光は、三十年前の隕石落下(いんせきらっか)髣髴(ほうふつ)とさせたが、原因は未だ不明だ。


 死者四人、負傷者八人を出す大惨事(だいさんじ)となったこの事件は、インタビューを受けた青年が、「白い雪が全てを隠そうとしているようだ」と呟いた事から、『大晦日の白雪(おおみそかのしらゆき)』と呼ばれた。


   ☆

 ドライブインでの休憩を挟んで出発したのは、もう30分も前の事だ。

 ぽつりぽつりとあった民家や廃墟すらなくなって、冬枯(ふゆが)れの茶色い木々が緞帳(どんちょう)のように視界を(さえぎ)っている。

 田母神京子(たもがみきょうこ)はパジェロの後部座席でそんな風景をぼんやりと見ていたが、溜息(ためいき)をついて空を(あお)いだ。


「終わるまで降らないでね」


 まだ昼を過ぎたばかりだと言うのに、やたら暗い灰色の雲が空を厚く(おお)っている。


「もうそろそろ来るかもなぁ。予報じゃ昼から雪だったぜ」


 運転席のマサの声が子供のように弾んだことに眉をひそめ、京子は持ってきた花柄の膝掛を胸まで持ち上げた。


「こんなに山奥なら、私も爺とヘリで来れば良かったよ」

「爺さんと一緒にコージも関西に行っちまったんだから仕方ないだろ? それにここじゃ直接下りれないぜ」

「いいよ、パラシュート使えれば十分だから。長時間の車移動に比べたら全然平気だよ」


 ただ座っているだけなのに、砂利道からの振動で疲労は募るばかりだ。


「そんなこと言うなよ。昼飯うまかっただろ?」

「ご飯は美味しかったけど」

「だろ? 爺さんと一緒だと冷めた弁当だぜ、きっと」


 山梨に入ってすぐのドライブインで、きんかん入りのモツ煮定食を食べた。

 マサは機嫌良く缶コーヒーをすすって、ラジオのスイッチを入れた。数年前に流行った男性歌手のラブソングが流れ、外れた音で陽気に口ずさむ。


「酒は買えたんだからいいじゃねぇか」


 長野寄りに移動して蔵元に立ち寄ったのは、地元の近いマサの提案だった。

 袋に入った酒の瓶が京子の足元で揺れている。


「ほら、もう着くぞ。爺さんもお目見えだ」


 エンジン音の奥にバラバラというプロペラ音が混じり、京子は少しだけ窓を開けると、白く()れたガラスに頭を押し当てヘリを探した。前方斜め方向に機体の小さい陰を見つけ、京子は助手席に置いてある双眼鏡(そうがんきょう)を窓の隙間(すきま)にはめ込み、高い空を見上げる。


 見慣れた銀色のシコルスキー。垂直尾翼(すいちょくびよく)に記された05の数字は、パイロットが機動部(きどうぶ)キャプテンのコージだということを示す。


 前方でホバリングするヘリの扉が開き、すぐに中から小さな影が一つ飛び出した。

 花が咲くようにパッと開いた長方形の真っ赤なパラシュートは、ゆらりと左右に揺れながら奥まった木々の向こうへ正確に落ちてくる。

 マサはパラシュートの落下した位置から少し手前で車を停めると、空からやって来た初老の男に軽く頭を下げ、「後は頼むぞ」と肩越しに京子へ言葉を送った。


 「分かってる」と京子は膝掛を剥いで、後部座席の扉を開ける。

 吹き込んできた冬の空気は、刺すような冷たさだ。渋々下りる京子を横目にマサは男から受け取ったパラシュートを後部座席に投げ入れると、「じゃあな」と二人を残して早々に車を走らせた。

 いつのまにかヘリの姿も消えていて、辺りはシンと静まり返る。 


 『爺』と呼ばれる初老の男は、大舎卿(だいしゃきょう)と言われていた。

 京子と同じ紺色の外套(がいとう)を制服の上に羽織っている。肩に付いた桜を模した刺繍(ししゅう)が、二人が同格である事を示していた。


「行くぞ」


 京子とマサが来た道路を垂直に入り、道なき道へと足を進める。長い草をかき分けながら黙々(もくもく)と歩く大舎卿だが、


「爺はお昼何食べたの?」


 そんな京子の問い掛けに、ふっと表情を(ゆる)ませた。


「イカ飯じゃ」

「イカ飯? って、北海道? 爺って今日は大阪から来たんだよね?」


 彼はおとといから調査で関西に入っていた筈だ。まさかイカ飯の為に戦闘機でも飛ばしてもらったのかと京子が首を捻らせたところで、大舎卿が得意気に鼻を鳴らした。


「支部近くのデパートで物産展をやっていての、買って来てもらったんじゃよ」


 イカ飯は彼の好物だった。彼にとっては鰻よりも刺身よりも格上の代物なのだ。


「そう言う事か。そうだ、爺にお土産あるよ。さっき途中で日本酒の蔵元に寄ったんだけど、すっごく美味しかったから爺の分も買っちゃった」


「美味しかった、って。お(ぬし)、飲んだのか?」

「試飲しただけだよ。三分で戻れってマサさんが()かすから、他のは飲めなかったんだから」


 本当はもっと色々飲みたかった所をマサに大声で呼ばれ、あっという間に連れ戻されてしまった。大舎卿は京子の顔色を(うかが)うと、「まぁいい」と呟き、「すまんな」と微笑んだ。


   ☆

 十分ほど歩いた所で人の気配を感じ、すぐに視界が開けた。

 不自然に切り取られた直径数十メートルの丸い空間が広がる。そこに木や草があっただろう焼けたカスが無残に黒く散っていた。


 紺色のジャンパーを着た男たちがその場所を調べていたが、二人の姿を見ると、それぞれが手を止めて敬礼を示し、中心に居た髭面(ひげづら)の男が駆け寄ってきて頭を下げた。


「お疲れ様です。やはりただの山火事ではないですね」

「だいぶ大きいけど、隕石(いんせき)なんかじゃないよね。負傷者は?」

「人的な被害はないと思われます。近隣にも聞きまわりましたが、不明者もありません」


 大舎卿は男からファイルを受け取り、その内容に怪訝(けげん)な表情を浮かべる。


 「そうか――」と京子は静かに腰を落とし、地面に手を当てた。ひんやりとした感触に、温い気配を感じる。


「やっぱりバスクだね。だいぶ薄くなっちゃってるけど」


 大舎卿は「そうじゃの」と指先で()げた砂をつまみ上げ、じゃりじゃりと()り合わせながら再び地面に()いた。


「全く、こっちは人手不足だっていうのに」


 京子は腕を組んで、周囲をぐるりと見渡した。山火事のような燃え広がった跡ではなく、すっぽり抜けた円形が一瞬にして焦げたことを物語る。


 今朝、地元の男から通報を受けた警察からの連絡で、京子たちが現地に入ることになった。関東の管轄(かんかつ)の中でも拠点(きょてん)から大分離れた場所で、まだベッドの中にいたところをマサからの電話で起こされた次第だ。

 先に入った調査員が事後処理をしていたが、現状の判断は京子と大舎卿に(ゆだ)ねられる。


「山奥で被害は少なかったけど、最近なんか多いね。こっちの身にもなって欲しいよ」


 「そうじゃな」と短く呟き、大舎卿は眉間(みけん)(しわ)を深くして押し黙るように地面を(にら)む。


「どうしたの? 寒い? やっぱり私だけでも良かったのに」

「いや、大丈夫じゃ」

「無理しないでね、もう歳なんだし。新人君も来たんだから、隠居(いんきょ)してもいいんだよ?」

「馬鹿言うな。まだまだいけるわ。あんな若いヤツにワシの代わりができるか」


 大舎卿はカッと目を開いて、叫ぶように否定する。


「分かった分かった。そんなに興奮したら、血圧上がって倒れちゃうよ? 無理しないで」


 両手を広げて京子が「抑えて」と(なだ)めると、大舎卿は鼻を鳴らして、


「まだ、やり残してることがありすぎて、引くわけにはいかないんじゃよ」


 小声で呟き、左手首にはめられた銀環(ぎんかん)をそっと()でた。



 一通りの調査を済ませ来た方向へ戻ると、マサのパジェロが帰路(きろ)に向いて待機していた。

 乗り込んですぐに降り出した雪を見上げ、京子は「良かった」と安堵する。普段なら「どうだった?」と聞いてくるマサがラジオも付けずに黙り込んでいるのは、もう一人の乗員のせいだ。


 形式ばかりの挨拶を交わすと、京子は静まり返った車内で雪に包まれていく風景を眺めていた。大粒の綿雪があっという間に視界を白く食い尽くす様があの日の記憶と重なって、京子は逃げるように目を閉じた。


 そんな京子に気付いてか、隣で腕組みをしたまま目を伏せていた大舎卿が突然口を開く。


「お主は真っ直ぐ帰ればいい。明日は早いんじゃろ? 報告はしといてやる」


 それだけ言って再び黙ってしまった。一瞬、ぼうっとした思考回路がその意味を理解しなかったが、京子は「あぁ」と眉を上げる。


「……ありがとう」


 大舎卿の返事はなかったが、少しだけ口元が笑んだように見えた。


 明日は12月31日。『大晦日の白雪』から、調度7年目を迎えようとしていた。



   ☆

 その記憶を色に例えるなら、薄墨を(こぼ)した様な灰色だ。

 記録的な積雪に見舞われた真っ白な銀世界が、どうしても薄く色が付いたフィルターで(さえぎ)られてしまう。

 寒ささえ感じることが出来ず、夜の闇さえも覆い尽くす雪の中にただ呆然(ぼうぜん)と立ち尽くした京子は、迎えに来た大舎卿が呟いた一言を素直に受け止めることが出来なかった。


「ワシ等が今日何もできんかったことを、後悔してはならんぞ」


 それを理解して受け入れるにはあまりにも若く、未だにその後悔(こうかい)(つの)るばかりだ。



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