一章 三話 死後の話 ②
「……」
悠斗の頭を膝に乗せ、無言で頭を撫でているアルトリア。彼は、一時間以上泣き喚いた後、泣き疲れて眠ってしまったのだ。
女が悠斗を膝枕をしている経緯は、彼女自身しか知る者はいないが、これだけははっきりと言える。気まぐれだと。
「ふふ……可愛い」
そうアルトリアが呟いた後、悠斗の表情が一変し、うなされ始めた。彼女が彼にかけていた治癒魔法、“アインハーツ・ルエー”の効果が切れ、再び精神が崩壊し始めているのだ。
そのことを知ったアルトリアは、再び“アインハーツ・ルエー“を詠唱するも、悠斗に効果は無く、彼の閉じている瞼から、涙が溢れてきた。
悠斗がどんな悪夢を見ているのかなんて、分からない。分かるはずもない。だけど、相当辛く、苦しいものだとは分かる。
だけど、魔法の効果が無いのだから、アルトリアには何も出来ない。これは悠斗が自分自身で解決するしかないのだ。
「うぅぅ」
悠斗の辛そうな表情と、彼の口から溢れた悲痛そうな寝言が、何も出来ない自分に苛立つアルトリア。
彼女は、悠斗の耳元で「大丈夫だよ。安心して」と優しく囁きながら、頭を撫でること、三十分。遂に彼は目覚めた。
「……」
「……やっと起きた。大丈夫? 相当うなされてたけど」
「……誰?」
悠斗の最初に出会った頃の表情と、ずっと謝り続けていた表情。そして、今の彼の表情が変わり過ぎていて、アルトリアは泣き始めた。
彼女には分かったからだ。悠斗が自分という人格を失っていることを。だから、彼の表情に感情は無く、人形のようだった。
「ごめん……なさい」
「……どうしてあなたが泣くんですか? あなたは僕に“何も”しなかったじゃないですか」
『“何も”しなかった』、その言葉にアルトリアは心が締め付けられるような感じを覚えた。が、その締め付けを更に強める悠斗の言葉。
「……もう、いいですよね?」
「もういいって、何がですか?」
「死んでもいいですよね?」
「……無理よ。あなたはまだ死ねないわ」
「何でですか」
「言えないわ」
「……そうですか。ならいいです。自力で死にますから」
悠斗の言葉に、頭が真っ白になるアルトリア。だけど、また自殺しようとすることだけは防ごうと彼女は言葉を発する。
「ダメよ。死ぬのはダメ。あなたはまだ誰も幸せにしていない。死にたいなら、誰かを幸せにしてからよ」
「何ですか、それ? 僕が自殺しようとするのを防ごうとするのが丸わかりですよ? 別にいいじゃないですか? 僕がいつ死のうと、あなたには関係ないんだし。それに、もう……僕には何も残っていないんだから」
「……それはそうなのかもしれないけど。……いいの? それでも」
「何がですか?」
「負け犬のままで」
アルトリアの言葉が癪に障ったのか、悠斗の表情が歪む。だが、歪むだけだった。ただ……それだけだった。
「いいですよ。負け犬で。いじめられて、裏切られて、自殺して。みっともないとは思うけど、もう生きたいとは思えないから」
「そう。……なら、いいわ。あなたの意思関係なしに蘇らせるから」
「そんなの出来るわけない。神でもあるまいし」
アルトリアは悠斗の皮肉を無視して、理解不能な言語で詠唱を始めた。
「何してるんですか?」
「……」
女は悠斗の問いには応えず、詠唱を続ける。
──一小節目。
──ニ小節目。
──三小節目。
──四小節目。
──五小節目。
──六小節目。
──七小節目。
──八小節目。
──九小節目。
──十小節目。
──十一小節目。
──そして、十ニ小節目。
十二小節からなる長文の詠唱を唱え終えたアルトリアは、悠斗の先の問いに応えた。
「あなたを異世界に送るためのゲートを開いていたの」
「異世界? ゲート? 何ですか? あなた中二病なんですか?」
「違うわよ! 失礼ね。私は女神よ。女神──アルトリア。……何よ、その目は」
中二病じゃないと否定した瞬間に、自分は女神だと、またしても中二病発言をしたアルトリアに、冷たい目を向けた悠斗。
「こほんっ。まぁ、いいわ。あなたにはこの世界の最も重要な役割に就いてもらうから」
「何の話をしてんだ?」
「……」
またしても問いには応えず、アルトリア。
「それじゃあね。あなたを異世界に送るわ。……頑張りなさい」
そう言い終わると、少し申し訳なさそうに──
「“異世界転移”」
時空が歪み始め、それに吸い込まれるように浮き上がる悠斗。アルトリアは彼に背を向けて歩き始めた。
「おい! お前! 僕を一体どこに送る気だ!」
「異世界って言ったでしょ。あなたをいじめていたクラスメイトも、あなたを裏切った幼馴染も送られた、ね」
それを聞いた悠斗の顔には、焦りが見え始める。だが、“異世界転移”は止まらない。
彼の頭以外は、既にこの世界には無く、異世界にある。それが果たしてどこなのか。神のみぞ知るというもののはずなのだが……。
悠斗は分かっていた。直感で理解していた。自分の体は今、あいつらの近くにあると。
そして、完全に異世界に転移させられた彼の体は、高さ十メートルほどから、落下していた。
股間をキュッとさせながら、地面まで落下した悠斗。そこに待ち受けていたのは、よく肥えた体を御伽噺に出てくるような王様みたいな服装を身に纏う男性と悠斗と同じ服装──制服を着ている男女だった。