一章 二話 死後の話 ①
「……ここは?」
先程自殺した黒髪の少年──轟悠斗は、辺りを見回しながら呟いた。
彼がいる場所は、地球でも、死後の世界でも、ましてや異世界なんていう都合の良い場所でもない。
ここには、悠斗以外に生物は存在しない。それだけでなく、何もないのだ。ただ汚れを知らない真っ白な空間が広がっているだけだった。
「確か僕は……死んだはずだ」
悠斗は、自分で自分の首筋にナイフを突き刺し、自殺した。だから、ここがどこだろうと、彼の魂は既に身体から離れているはずだ。
それなのに何故、未だに悠斗の魂は、見間違いの余地すらない轟悠斗という人間の器に入っているのだろうか。
彼は先程までの時間が全て夢だったのではないかと思い、首筋に触れてみる……ナイフを突き刺した後は無かった。だが、感触は残っているのだ。悠斗の右手には自分の首筋にナイフを突き刺した感触が。
「僕は……自殺したんじゃないのか? なーちゃんの為に。……あれ? なーちゃんって、誰だっけ?」
悠斗は思い出そうとしても、思い出せない。今まで歩んできた人生のことは思い出せる。勿論、いじめのことも。しかし、肝心の黒髪ロングの幼馴染──笹井奈々子という人物との記憶だけが、黒い靄に包まれたかのようにうまく思い出せない。
思い出そうとしても、奈々子との記憶の代わりにいじめられている記憶が嫌っていうほど頭を過っていく。
悠斗の中で、何とも言えない黒い炎のようなものが燃え上がっていき──
「そ……そうだよ。なーちゃんは、僕の初恋の相手で、憧れの人だよ。……何言ってんだ? なーちゃんは……あいつは、僕を殺した張本人じゃないか。何で、そのことを忘れていたんだ」
悠斗と奈々子との間にあった楽しい記憶は、あっという間に黒い炎に焼かれて灰となり、最後の彼女との会話だけが残った。そして、その記憶すら灰となったが、『死ね』という言葉だけは色濃く残り、殺意を生み、育てていった。
「信じてたのに。あいつだけは僕の味方だって。なのに……クソッ! クソッ……クソッ……クソガッ!」
床を両手で叩きつける。そして、今まで奈々子を信じていた自分が気持ち悪くなりえずいた。
「おえ……おえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。ぅっ」
「あの。大丈夫ですか?」
後ろから声をかけられ、知らぬうちに出ていた涙と涎と嘔吐物で汚した顔でそちらを見る。そこには、薄い翠色の髪を腰まで伸ばした女性──アルトリアが、髪と同系色の瞳で心配そうに見ていた。
悠斗はアルトリアを見て、更にえづいた。
「うっ、おえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
「はわわわわわ」
えずく悠斗に焦りながらも、背中をさすってあげようと腕を伸ばしたアルトリア。しかし、彼はそれを快く思わず、声を荒げた。
「僕に触るな……! お前もあいつと同じなんだろ! そうなんだろ!」
「な、何のことですか?」
「僕に言わせるな! 分かってるはずだ! 自分の頭で考えろ!」
悠斗の汚物を見るような冷ややかな視線に悪寒を感じたのか体を震わせ、涙を浮かべるアルトリア。彼女が見せる態度に、彼は再び声を荒げる。
「泣くんじゃねぇ! 気持ち悪い。吐き気がする」
「うぅぅぅぅぅ」
「変な声出すんじゃねぇよ!」
悠斗の心外な言葉で遂に声を出して泣き始めた女は、その場で蹲り、動かなくなった。
「邪魔だ」
「……」
「どっかいけよ!」
「……」
怒鳴っても蹴っても微動だにしないアルトリア。悠斗は何をしても無駄だと悟り、舌打ちをして、仕方なく歩き出す。
「こいつも僕と仲良くするだけして、どうせ最後は裏切るんだ」
そう呟きながら。
しばらく歩いていると、真っ白な空間から、急に空間が切り替わった。縦五十、横七十センチメートルくらいの監視カメラの映像を映し出すようなモニターが十台と、パソコンのキーボードをタッチパネルにしたような物がある広間へ出た。
悠斗は広間へ入った途端に謎の発作を起こした。理由は多分、モニターに映し出されている奈々子。そして彼をいじめていたクラスメイト達を見たからだろう。
今までこんな発作を起こした事がない悠斗は焦り、落ち着くことを忘れて、両膝をつき、そして意識を失ってしまった。
多分本能がこのままでは危ないと思い、機能した結果だろう。
そこで、アルトリアがこの広間へ入って来た。そして、悠斗が視界に入った途端、すぐさま顔色が蒼白となり、治癒魔法をかけた。
「“アインハーツ・ルエー”!」
この魔法は、治癒魔法の中級魔法にあたり、精神を落ち着かせる効果を持つ。
魔法の効果で、悠斗の苦しそうな表情は消えた。だが、彼は起きそうになかった。
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「ここは……」
悠斗は、体を起こして、辺りを見回しながら呟いた。この部屋は八畳程の広さで、彼が今座っているふかふかなベッド以外に、背の高い机と椅子のセット、背の低い机、クローゼット、そして本棚が置かれており、それには沢山の本が仕舞われていた。壁には白い壁紙、床には黄色い絨毯が。そして、ところどころに熊のぬいぐるみや兎のぬいぐるみなど、様々な動物のぬいぐるみが置かれていた。
それで、ここが女性の部屋だとは分かったが、ここがどこなのかまでは分からなかった。が、その答えは、彼が呟いた数秒後に彼が今いるふかふかなベッドの目の前にあるドアから出てきた女性が答えた。
「あ、起きた?」
その女の声には、既に聞き覚えがあり、すぐに悠斗の体はブルブルと震え始めて──
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
悠斗がアルトリアに対して何をしたのかを考えれば、謝ることは不自然ではない。だけど、アルトリアは謝る彼を責めたりせず、優しい声で慰めた。
「大丈夫、大丈夫だから」
「でも……僕はあなたに、あんなことを」
「だから、大丈夫って言ってるでしょ? あの時、あなたは泣いていたじゃない。辛いことがあったんでしょ? 辛いことがあったなら、誰かに当たりたいなんて生きている以上、仕方のないことなの」
そう言ったアルトリアは、悠斗を抱き締めようと両手を広げた。すると、彼は怯えて、涙を流し、再び謝りだした。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。……お願いします。いじめないでください。何でもしますから」
その怯えように、アルトリアは「大丈夫だよ。私はあなたに何もしないから」と言いながら、よしよしと頭を撫でたり、背中をさすってあげることしか出来なかった。