勇気が娼婦になるとか、お前等……一体何の話をしてんだ?
(何だ? 喧嘩か?)
恋人として付き合っていれば、喧嘩くらいはするものだと考えているので、凛々は普段なら、勇気と如矢が口論していても、然程気にもとめない。
だが、二人が「ここんとこ、『何か変』」だと感じていた凛々は、普段とは違い気になってしまう。
故に、どんな理由で口論しているのか、知りたいと思った凛々は、聞き耳を立てながら、自分の存在に気付かれぬ様に、忍び足で階段を上がる。
自分の存在に気付かれると、二人が口論を止めてしまうだろうと、凛々は警戒したのだ。
二階に辿り着いた凛々は、可愛らしい「ゆうきのへや」というプレートが貼ってある、木製のドアの前に移動する。
(盗み聞きとか、趣味じゃないんだけど、何かトラブルに巻き込まれてるかもしれないからな……)
妹と親友の身を案じるが故に、盗み聞きに対する罪悪感を覚えながらも、凛々はドアに耳を当て、本格的に盗み聞きを始める。
「――そんなの、私だって嫌に決まってるじゃない!」
「俺だって嫌だよ! だから、お前は何もしなくていいんだ! 俺達が何とかするから!」
「でも、今週も三人死んだんでしょ?」
(三人死んだ? 「月曜日のコスプレイヤー殺し」の被害者の事か?)
勇気の悲痛な声を聞いて、凛々は今朝……顕達が言っていた通り、今週の月曜日に発見された犠牲者が、三人であったのを思い出す。
今朝の段階では、一人しか公表されていなかったのだが、午後になって他に警察官が二人、犠牲になっていた事が報道されたのだ。
「娼婦になんてなりたくないけど、このままだと如矢だって、死んじゃうかもしれないんだよ? でも、私が娼婦になれば、如矢を助けられるし、みんなの命だって……」
(え? しょうふ? それって、あの……売春婦とかの?)
日常会話で殆ど使わない言葉なので、凛々は「娼婦」という言葉自体に戸惑う。
だが、勇気が娼婦になるという意味合いの話をした事に、すぐに凛々は気付いて、呼吸が止まりそうな程に驚く。
(勇気が娼婦になる? こいつら何の話してんだ?)
出来れば聞き違いであって欲しいと思いながら、聞き耳を立てていた凛々の耳に、らしくない苛ついた感じの、如矢の声が飛び込んで来る。
「自分の彼女を娼婦にして、他の男と……その……せ、セックスさせまくってまで、守られたい男が、いる訳ないだろ!」
割と真面目であるせいか、セックスという言葉を口にし慣れていない如矢は、その部分で声のトーンを少しだけ弱めた。
その後の部分は、再び語気を強めた上で、如矢は勇気に言い放つ。
「それくらい分かれよ!」
「分かってる! でも……」
勇気が娼婦になるという意味合いの話を、如矢までもが口にしたのを聞いた時点で、聞き違いではないと、凛々は確信。
これは、二人を問い詰めなければならないと判断し、勇気の言葉の途中で、ノブに手をかけ、ドアを勢い良く開く。
親の教育方針で、子供部屋に鍵はかからない為、あっさりとドアは開く。
すると、廊下と違って、照明に明るく照らされている、見慣れた勇気の部屋の光景が、凛々の視界に飛び込んで来る。
くたびれた和室なのだが、暖かみのある色のカーペットで畳は隠され、洋間風に整えられている、綺麗に整頓されている部屋。
向って左の奥に置かれたベッドには、制服姿の如矢が座り、右側の奥に置かれた、学習机とセットの椅子には、勇気が座っていた。
向かい合って口論していた二人は、突然の乱入者に驚き、口論を中断。凛々の方を向いて、泡を食った様な表情となる。
「勇気が娼婦になるとか、お前等……一体何の話をしてんだ?」
勇気と如矢を交互に睨み付けつつ、強い口調で問いかけながら、凛々は部屋の中に足を踏み込む。
「え? いや、あの……」
如矢は狼狽しながら、勇気の方を見ると、何かに気付いた風な表情を浮かべる、その上で、如矢は勇気に目配せして、何かを伝える。
勇気は如矢が何を伝えたいのかを察し、右手を後ろに回して、手にしていた何かを隠す。
何かを隠した動きから、凛々の気を逸らすかの様に、勇気は刺々しい口調で、凛々に文句を言う。
「――兄さん、盗み聞きとか酷いんじゃない?」
だが、目聡い凛々は、勇気が何かを隠したのを、見逃しはしなかった。
口調の刺々しさが、勇気が何かを隠し、それを誤魔化す為であるのを見抜いた凛々は、躊躇いもせずに素早い足取りで、勇気に歩み寄る。
「今、何か隠したろ? 見せろ!」
「嫌! 兄さんには関係無い物だから!」
慌てて立ち上がった如矢が、凛々の前に立ち塞がり、勇気を守ろうとする。
「俺と勇気の間の事だ! お前には関係無い! 部屋から出て……あッ!」
如矢の言葉が、途切れる。向って左側に倒れ込む形で一回転し、如矢はベッドの上に仰向けに落下する。
「邪魔」
凛々は如矢を一瞥しながら、素っ気無く言い放つ。
立ち塞がった如矢の右手を、瞬時に左手で取って引きつつ、左足で両足を払い、勇気は如矢を投げたのだ。
投げ技である取手や、関節技である掛手も重要視している、空手の流派の道場に、凛々は幼い頃から通っていたので、投げ技も得意なのである。
如矢を傷つけない様に、ベッドの上に仰向けに落ちる様に、凛々は気遣って投げていた。
立ち塞がった如矢を、あっけなく排除した凛々は、再び勇気に迫る。
「――これは兄さんが触っちゃ、駄目な物なんだってば!」
語気を強めて訴えながら、勇気は椅子から立ち上がる。
そして、部屋の奥にある窓の方に、勇気は後ずさる。
だが、そんな勇気との間合いを、凛々は一瞬で詰めると、何をどうやったのかが、良く分からない程の早業で、勇気が後ろ手にして隠した何かを奪い取る。
そして、奪い取った物が何かを、凛々は確認する。
「何だこりゃ? カードゲームのカードか?」
左手でつかんでいる、奪い取った物を見ながら、凛々は自問する。
凛々の言葉の通り、奪い取った物はカードであった。
片方の面には黒地に白で、円の中で三つの正三角形が組み合わされた、九つの角がある星を思わせる紋様……九芒星が描かれ、もう片方の面には、肌も露な女性の絵が描かれているカード。
片面にゲームのキャラクター風の絵が描かれていたので、トレーディングカードゲームのカードの様に、凛々には思えたのだ。
カードを手にした、凛々の左手の指先は、九芒星に触れていた。
「触っちゃ……駄目だったのに……」
凛々がカードの九芒星に触れているのを視認し、弱々しげに呟いた勇気の顔が、絶望の色に染まっていく。
「――バカが! 触ったのかよ! お前の為に止めたのに!」
呆れと絶望が、混ざり合った感じの表情を浮かべながら、ベッド上の如矢は頭を抱え込む。