いつか貴方は、本当に大事な何かを失う事になるかもしれないよ
こういった経緯がある為、凛々は女性関係に関して、家族から完全に信頼を失った状態にある。
家族は皆、凛々が女性達を弄んでいた訳ではなく、自殺すると脅された上で、人助けとして付き合う羽目になった事は、ちゃんと知っている。
幾ら元々は人助けのつもりで、始ってしまった関係とはいえ、結果として中学生の少年としては、異常過ぎる女性関係を持った挙句、拉致監禁されて刺殺されそうになる様な目に遭った凛々を、家族は信頼出来ないのだ。
あくまで、女性関係に限っての話だが。
故に、風目市に戻って以降、凛々は女性との交際を、家族から禁止された状態にある(あくまで恋愛や性的な関係を持つのが禁止なだけで、友人関係は禁止されていない)。
勇気も凛々の女性関係に関しては、沖縄にいた頃は、見て見ぬ振りをしてくれていたのだが、刺されて以降は、そうはいかなくなくなっている。
ちなみに、風目市に戻ってからも、相変わらず凛々は相当に人気のある存在であり、沖縄時代と大して変わらないレベルで、女性から告白されたり口説かれたりする状況が続いている。
家族にも禁止されているし、凛々自身も誰かと付き合う気などないので、全て断わっているのだが。
「――ま、俺に関しても心配は無用だよ。母さん達の言い付け通り、誰とも付き合ってないんだから」
三分の一程を空けたペットボトルを、駄菓子が入った袋に入れながら、凛々は続ける。
「沖縄の頃みたいに、『付き合ってくれなければ死ぬ』とか言い出す子も、こっちに戻ってからはいないしね」
「そういう事を言い出す女が現れても、今度はちゃんと断わるのよ。そんな身勝手な女は、人に害を為すだけの存在で、助ける価値なんてないんだから」
厳しい口調の智子に命じられ、凛々は気まずそうに言葉を返す。
「――分かってるって」
「困ってる人や危険な目に遭ってる人を見かけたら、見捨てずに助けようとするのは、本来は素晴らしい事だよ。凛々に救われた人は、沢山いるんだからね」
凛々を睨みながら、智子は続ける。
「でも、凛々は大事な事が分かって無いのよ、助けちゃいけない種類の人間……容赦無く切り捨てた方が良い人間も、世の中にはいるっていう現実が」
居心地が悪そうな表情で、凛々は智子の説教を聞く。
沖縄での一件があって以降、何か切っ掛けがある度に、幾度となく繰り返された、聞き飽きた類の説教なのだが、物凄い迷惑と心配をかけた凛々としては、素直に聞かざるをえない立場なのだ。
「それが分からずに、誰彼構わず助けようとするから、凛々は人助けをした結果、痛い目に遭う場合が多い訳」
該当する様々な過去の記憶が甦り、凛々も苦い顔をする。
「自分の事しか考えず、自分の為に……他の人に害を為す様な人間は、助けようとしちゃ駄目。ちゃんと見抜いて区別して、そういう連中は切り捨てるべき……見捨てるべきなの」
親が子にするには相応しく無い、綺麗事とは縁遠い説教なのは、智子も理解している。
理解した上で、そんな説教をするのは、息子の「危うさ」を案じているからこそだ。
「それが出来ないのなら、凛々……いつか貴方は、本当に大事な何かを失う事になるかもしれないよ。それこそ、自分の命だって……」
智子はタオルで濡れた手を拭くと、凛々に歩み寄り、細身の身体を優しく抱きしめる。
「母さんは凛々が、心配で仕方が無いの。また、あの時みたいな事が、起こるんじゃないかって」
あの時とは無論、凛々が刺された時の事だ。
「今でも時々、あの時の夢を見て、夜中に飛び起きたりもするし……」
「大丈夫だよ、あんな事は二度と起こさないから。こっちに戻って来てからは、危険な事には、なるべく首を突っ込まない様にしてるし」
凛々は智子を安心させようと気遣い、そう語りかけるが、智子は訝しげに言葉を返す。
「どうだか……怪しいもんね。停学食らう前も、そんな事言ってたじゃない」
「あれだったら、別に危険という程の事じゃなかったし」
智子は凛々から身体を離すと、その額を右手の手刀で打ちつつ、渋い顔で言い放つ。
「ああいうのは、普通は危険って言うの! そんなだから、凛々は信用出来ないのよ!」
二人が話題にしているのは、凛々が停学処分を受け、空手部を退部になった原因である、凛々が巻き込まれた事件の事だ。
凛々は人助けとして、仕方なく暴力をふるったのだが、結果としては停学処分と空手部退部に加え、空手の試合への長期間の出場停止処分などを、競技団体の方から受ける羽目になってしまっていた。
「だいたい、凛々は……」
智子の説教が続きそうになったので、凛々は誤魔化す様に、別の話題を口にする。
「あ、そうそう! 『美味え棒』の新しいの出てたから、これお土産!」
レジ袋から、袋入りの小さな棒状の駄菓子を取り出すと、凛々は智子に手渡す。
智子が好きな駄菓子で、機嫌を取ろうとしているのである。
「駄菓子屋通いも、いい加減……止めた方が良いんじゃない? 小学生じゃないんだから」
美味え棒を受け取りながら、智子は呆れ顔で問いかける。
「それは無理、俺……駄菓子好きだから」
しれっとした表情で、否定の言葉を返す凛々に、智子は半目で言い放つ。
「駄菓子が好きで、通ってる訳じゃない癖に」
「駄菓子『も』好きで、通ってるんだよ」
言葉を返しつつ、凛々は智子に背を向けて、テーブルに歩み寄る。
レジ袋を手にしていない左手で、鞄を手に取ると、凛々は出入口に向って歩き出す。
逃げる様に歩き去る凛々の背を見て、口煩く言い過ぎた気がしてしまった智子は、決まりが悪そうな表情を浮かべ、凛々の背に声をかける。
「美味え棒、ありがとね」
「――どういたしまして」
振り返らずに、そう言い残すと、凛々は部屋を出て、階段がある玄関の方に移動。
自室に向う為に、薄暗い階段を上り始める。
古い建物であり、壁やドアの防音性は高く無い為、二階に近付くと勇気と如矢の声が聞こえて来る。
しかも、二人の声には棘が有り、何か口論をしている風だ。