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氷 * 3

楽しそうに笑い合う、絵になる二人を真白は動かしていた手を止めて二階の窓から見下ろしていた。

フロレンツィアは昨日、この雪深い森の別荘にやって来た。

あの二人の間に真白の入る隙なんてない。なのに、ルートヴィヒは今朝も真白の布団に入り込んでいた。

もしかしたら真白はとんでもない人を好きなのかもしれない。何人でも愛せる不誠実な人間を。

結弦にルートヴィヒのことを聞いても、適当にはぐらかされるだけで何も分からなかった。彼が真白をどう思っているのか、どうするつもりなのか。真白は知りたかったのに。

ぐっと唇を噛んで俯いた真白の背中に叱咤が飛んでくる。

『マシロ! 手を止めない!』

『はい! 申し訳ありませんイェシカ。』

使用人の中でも上の方になるらしきイェシカは、言葉が分からなくて不器用な、全くもって使えない真白をある程度使えるようにした御仁だ。

一応真白も年頃の女性なわけで、結弦には頼み辛いことも多々ある。

そんな時に手を差し伸べてくれたのがイェシカだ。

名前は昨年結弦から聞いて覚えた。

今ではイェシカの言う『手を止めるな』『しゃきっとしろ』『ちゃんとやれ』は聞き取れるようになった。

『にんじん、嫌い』と連呼して飽きられていた昔に比べて、格段と成長している。このまま十年くらいここに居座ったら喋れるようになれるのではと思うこともあるが、いかんせんルートヴィヒの結婚式の頃にはここを立つ予定だ。馬鹿のまま一生を終えることになりそうだ。

いくら情を交わしていないとはいえ、フロレンツィアにとって真白は目障りな存在だろう。下手したら愛人と間違われてしまいそうだ。

そんなつもりはなかったなんて言い訳にならない。

この状況を真白は心地良いと思っていたのだから、充分罪深い。下手に愛人というよりも厄介なものだろう。

ごしごしと窓を拭いて気持ちを切り替える。今は目の前の仕事に真摯に向き合わないと。それに、仕事をしている間は他のことをあまり考えなくて済む。

でも、ルートヴィヒが視界に入る度にちくりと胸を刺すトゲはあって、昏い感情に染まっていく。

住む世界が違うのに、ぼろぼろになった無防備な真白の心に入り込んできて、まるで真白だけを愛しているかのような錯覚を覚えさせる。

現実は、許嫁もいて立場もあって、ただ真白を添い寝要員としているだけだ。愛はあるかもしれないが、真白の欲しいものはくれない。

(うわ、どうしよう。私、外で生きていけるの?)

新しい住居や仕事など結弦の世話になるのは確実だ。

彼としてはルートヴィヒと真白を引き離したい思いから、色々助けてくれるのだろうが、それに甘えて世話をかけすぎるのも如何なものか。

うんうん、と唸っていると真白のお腹も昼を知らせるように唸った。

(お腹空いたなあ。)

汚れた水を捨てて使用人の食堂にやってきた真白はいつものように『にんじん、嫌い』と言って、けらけらと笑う食堂のおばさんに特製のスープを盛られた。

おそらくにんじんが入っているのだろう。

これが真白と食堂のおばさんとの何年にも渡る攻防だ。

嫌々スープを飲み下してパンで口の中を整える。

涙目になりながら食堂を後にした。

そして、廊下に出ると冬のすっきりとした空気を吸い込んで、心を落ち着ける。

(まだ口の中がにんじん……。吐きそう。)

おえっ、と嘔吐く真白の視界にルートヴィヒが映った。

「マシロ! おいで!」

「なんで……?」

どうして主人あるじが使用人しか使わない棟にいるのだろう。

小首を傾げる真白を急かすように手招きをする。

「池、氷なってる。行こう。」

どうやら遊びの誘いらしい。雪遊びを楽しむ年頃はとっくの昔に過ぎているのに。

真白を誘うためにわざわざここまで来たのだろうか。

おそらくはフロレンツィアを放っておいて。

「ごめんなさい。これから仕事なので」

お断りします、と続けようとした真白の唇にふにっとルートヴィヒの人差し指が触れる。真白の心臓が跳ねた。

絶対わざと触れてきている。意地悪をして真白の反応を面白がっているのだ。

でも、そんな悪戯っぽいところも魅力だと思う。

顔を赤く染めてもじもじとする真白をルートヴィヒは抱き締める。

「イェシカ、許可とった。働きすぎ良くない。綺麗だ、見に行こう。今が綺麗。マシロも好きになる。」

片言でも意味は伝わる。綺麗な景色は真白も見てみたい。

しかし、仕事を放り出すのかと思うと気分が悪い。

「お願い。私の為に来て。」

捨てられた子犬の幻影が被って見えて、真白はつい頷いてしまった。真白もルートヴィヒともう少し話したかったから。

「す、少しだけなら!」


*・*・*


少しだけなら、と言って来てしまったことを真白は痛いほど後悔していた。

確かにルートヴィヒは真白に遊ぼうと声をかけに来た。

しかし、真白と二人で遊ぼうとは言っていなかった。

『フローラ!』

『―――――! ルー、―――!』

目の前には昼前に見た光景と同じ、絵になる二人。

二人の金髪がキラキラと光を反射し、凍った池の上で輝く。それはそれは美しい光景があった。

真白はそれを木の下で見ていた。

時折、葉の上に積もっていた雪が真白の頭に降り注ぐ。

これは、身分を弁えろというルートヴィヒの忠告だろうか。

つきんと痛む胸を押さえて真白は立ち上がった。

苦しくても、もうあと三月程度だ。この深く積もった雪が溶け始める頃には真白はいなくなる。

ルートヴィヒから無償の愛情を貰えるのもあと少し。

それならば、折角誘ってもらったことだし楽しまなければ損だろう。凍った池の上なんて初めてだ。

さくさくと氷の上に降り積もった雪を踏んで歩く。

雪を踏み固めれば氷の上ほどではないにしろ、滑って遊べるだろう。

狭い範囲を滑って遊んでいるとルートヴィヒがこちらを見ていることに気づいた。

一緒に遊べばいいのに、とか思っていそうだ。

真白も久しぶりに会った許嫁同士を邪魔するつもりはない。

ふい、と視線を逸らして溜め息を吐いた。

楽しそうで、幸せそうな二人が羨ましい。

二人を見ていたら醜い感情に囚われてしまいそうになる。

平民以下の真白はルートヴィヒのことが好きで、貴族のルートヴィヒは真白を気に入っている。それだけの関係だ。

これ以上のものを求めるなら、それこそ生まれ変わるしかない。ルートヴィヒは一人しかいない。許嫁に勝とうなんて馬鹿の考えることだ。

そう自分に言い聞かせていると、視界が歪んでくる。

(私は馬鹿じゃ、ないから。)

溢れそうな涙を袖で拭って顔を上げた。

もうルートヴィヒは真白のことを見ていない。

期待なんてしていない、真白のことを見てくれる人なんているわけがない。それは分かっている。分かっているのだ。でも、寂しい。昔は独りを感じたことなんてなかった。

今、すごく孤独を感じる。世界で自分だけが切り取られているような、そんなはずはないのに。

先に帰ろう。と思って一歩足を踏み出した途端、自分で整備しておいたつるつるの地面に滑る。

なんて間抜けな、と自嘲して立ち上がろうと足に力を込めると、左足首にずきりと痛みを感じて、真白は尻餅をついた。

(挫いた、かも。痛い……。)

誰かに肩を貸してもらいたい。が、ここにいるのは真白以外にルートヴィヒとフロレンツィアだけ。邪魔するのも悪い。痛みを我慢して自力で帰ることにする。

(邪魔しちゃいけないんだから。)

ちら、と後ろを振り返ってみれば真白と同じように転けたらしいフロレンツィアの姿があった。そして、彼女を助け起こすルートヴィヒの姿も。

それを見た瞬間、挫いた足がじくじくと激しく痛み始めた。

真白は誰も手を貸してくれなかった。

無邪気に『お願い』なんてできない。甘えられない。

もう、足が痛いのか心が痛いのか分からなくなっていた。

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