氷 * 2
深々と降り積もる雪をルートヴィヒの腕に抱かれて見ていた。
ここで冬を過ごすのは何度目だろう。
「あ、もう四年か。」
窓の向こうは真っ白に染まっていて、いつ見ても綺麗だなと真白は思う。ちらちらと舞う雪が太陽の光を反射すると、もっと幻想的な風景になる。
『マシロ―――?』
四年経っても、ルートヴィヒの言葉が一切分からない。
今も少し後ろに結弦がいて、なにか伝えたいときに通訳してくれている。情けなさすぎる。
本当に馬鹿だったんだな、と真白自身は落ち込むことなく逆に安堵した。今、まだ若い間に自分が馬鹿だと分かって良かったと。
許嫁がいる相手と嫌悪感を抱かずにキスをすることが出来るのだから、元から馬鹿の才能はあったようだが。
ルートヴィヒの側は心地よい。キス以上のものを求められても、二度三度と断れば嫌われると思ったが、三度目に拒絶してからは手を出してこない。
たまに一緒に眠ることはあるが、キスしかしてこないのだ。
だからルートヴィヒの側は心地よい。
真白の望みは分かってもらえたと思っている。
誰かに愛してほしい。
でも、道を外すのは嫌だ。不倫なんてしたくない。
貴族のルートヴィヒに身分のない真白を娶ることは不可能だ。
だから、ルートヴィヒが結婚するときはここを出る。
そして、二度と彼の目の前には出るつもりはない。
せめて、それまでの間くらい。
神様は許してくれないだろうか。
悪いことではあるけど、そこまで悪いことでもないはずだ。
どうせ、真白はこの国で誰かの一番にはなれない。
それを求めるつもりもない。
だって、この国にも母国にも真白の居場所なんて無いのだから。それなら、期待したところで意味はない。時間の無駄だ。
あと、ほんの少しの間くらいルートヴィヒの側にいたって良いだろう。もうすぐ彼とフロレンツィアとの結婚式があるだろう。
去年の冬に結弦が言っていた。ルートヴィヒが二十二歳になる年、フロレンツィアが十八歳になるのを待って結婚式を挙げると。
確か次の春だと言っていた。
それまでに目を覚ましとけ、みたいな事も言われた気がする。
目は覚めているし、思考もはっきりしているのに。
冬しか別荘に現れない結弦は、心配なのだろう。
友人であるルートヴィヒが間違った方向に行くことが。
彼は仕事が忙しくて冬しか別荘に立ち寄れないから、関係が進んでいくことを恐れている風だった。
今だって、真白とルートヴィヒがべったりしているのを物言いたげに見ている。憐れみの目で見られていることには気付いていふが、独りが寂しいのだから見逃してほしい。
「真白。明日にフロレンツィアがここに来る。」
「え……?」
突然、結弦に話しかけられて真白は目を瞬いた。
真白を腕に抱えているルートヴィヒは、自分に分からない言葉で話されたことに、不愉快そうに眉を顰める。そして、ぎゅうと腕の力が強められた。
「ルーは知らないと思うけど。真白には伝えとく。」
「? ありがとう。」
(どうしてフロレンツィアさんが急に来るの?)
真白が彼女を見たのはあの一回きりだ。
あの時、真白の恋情を見透かされたように感じたが、もしかして結婚前に怪しい女がいないか確認に来るのだろうか。
だが、真白は『愛人』じゃない。
キスしかしてなくて、抱かれたこともないのだ。
これでも、浮気に入るだろうか。
ルートヴィヒの心が真白にあれば浮気になるだろう。
でも、ルートヴィヒの本気度は分からない。
遊びか珍味を味わってみたかったか、そのどちらか。
それとも、本当に真白のことが好きなのか。
結弦は俯いて考え始めた真白をじっと見つめる。
「真白。いい加減に目を覚まさないと、逃げられなくなる。決断は早めにした方が良い。ルーは他の女と結婚するんだから。」
「決断は、してると思うよ。春にはここを出るつもり。」
「そう。それなら俺も力は貸すから安心して。本音を言えばもう少し早く出てほしかったけど。」
多分、この別荘の中で一番優しいのは結弦だ。
その人のためになることを考えて教えてくれる。
年下に教わっているというのは恥ずかしいが、結弦と真白では経験の差がある。手に職を持って働いている結弦と、簡単な仕事ばかり振り分けてもらって働いている真白では差が歴然としている。
『マシロ、―――――ユヅル―――。』
(結弦となに話してるの?って言ってるのかな。)
ルートヴィヒは意外に独占欲が強いらしく、昨年からは結弦と二人きりで話しているのが見つかる度に説教らしきものを受けている。何を言っているのか分からないが、ルートヴィヒが怒っていたのは分かった。
「ご、ごめんなさい。」
『――――――――――。』
ルートヴィヒは悲しそうな顔をして何かを言っている。
どうしてそんな顔をしているのだろう。
「結弦。ルートヴィヒさんはなんて言ってるの?」
そう結弦に聞いてみるが、返事がない。
「結弦?」
「……ごめん。考え事してた。」
無表情で見返されて、真白はたじろぐ。
「や、私こそ頼りきりでごめん。でも最近ね、ルートヴィヒさん勉強してくれたみたいで、少しなら喋れるみたいなんだ。かなり偏ってるけど……。楽しいよ。」
真白の頭が悪いことに気付いたらしいルートヴィヒは、少し前に流通量の少ない真白の国の外語辞典を見つけ出して、今は空いた時間に熟読している。
その甲斐あって、真白は少しだけルートヴィヒと喋れるようになっていた。朝昼夜の挨拶と愛の言葉だけなのだが、前より距離は近くなった気がする。
こんなので本当にこのまま離れられるのだろうか。
ルートヴィヒが真白の国の言語を喋れるようになれば、何か変わるかもしれない。遊びが本気に、とか。
そんな夢物語を思い浮かべるくらいにはルートヴィヒのことを想っているつもりだ。
ルートヴィヒの隣の席が埋まっているなら、それを壊してしまえばいいと思ったこともある。そんな自分が恐ろしくて浅ましくて大嫌いだ。
どうやっても家同士の繋がりには勝てない。
ルートヴィヒがいくら真白に愛を囁いても、第一に大切にされる権利は許嫁であるフロレンツィアだ。真白は二の次三の次になる。
真白に悩んだときに話を聞いてくれる相手はいない。
辛いときに側にいてくれる相手もいない。
昔みたいに当たり前にもらえる愛情なんてないのだ。
だから、諦めるしかない。
期限つきの愛情を貰っているのだし、多くを求めてはいけない。過ぎたものは身を滅ぼす。
身の丈にあった生き方を選ばないと。
諦めることに慣れていこう。
母は夢は大きく、叶えるまではいかなくても近付けなさい。と言っていた。
けれど、今の状態は夢じゃない。真白の願いはこれではない。
(お母さん、私どうしたら……。)
欲しいと思ったものが、他人のものだった。
それだけの事だ。自分の心を見なかったことにして、蓋をすればいい。
そうしたら、いつかはきっと――。
きっと忘れて、他のものが欲しくなる時も来るだろう。
だから『今』は忘れよう。
宝物にして大切になんてしない。
さっさと、ごみ箱に投げ捨てて新たな一歩を踏み出せるように。
『今』を後悔しないように、あと少し頑張ってみよう。
いつか報われる時が来ると祈って。
心を偽り続けた先に何があるのか分からないけれど。
*・*・*
助けて。
誰か私を掬って。
気付いて、誰か。
どうして私ばっかりこんな目に。
私を見て、私はそんなに強くない。
名前は白くても、心はどんどん真っ黒になってく。
覆えば覆うほど濁って何も見えない。
誰か助けて、間違っているのか分からないから。
教えて、どうしたら間違わないで済むの。
私に何が残されているのか。
私の真はどこにある?