氷 * 1
ルートヴィヒは久しぶりに雪深い森の別荘へと移って来ていた。
街の喧騒に疲れたとき、静かなこの別荘で身体も心も休める為に。
それに、冬の間は友人の結弦が来てくれる。
国一番とも言われる魔法使いの彼は、一年を通して依頼が絶えない。しかし人嫌いの気もある結弦は、冬の間だけでも一人でのんびりしたいとこの別荘に泊まるのだ。
だから、結弦に貸した部屋には使用人に立ち入らせないようにしている。結弦の部屋には入れるのは友人のルートヴィヒだけだった。
好きな時に結弦にちょっかいをかけて、自由に過ごす。
それがルートヴィヒの冬の生活だった。
しかし、その年の冬は違った。
そこでルートヴィヒは運命に出会ったのだ。
その冬、ルートヴィヒは別荘に到着して直ぐに結弦の部屋を訪ねる。
ノックをしても返事はない。だが、それはいつもの事だった。
だから、扉を開けて部屋に入った。
広すぎない部屋は机と椅子、寝台があるだけで殺風景だ。
帰る前には研究資料で足の踏み場は無くなるのだが、結弦も到着したばかりらしい。
ひとまず、椅子に座って待っていようと部屋の奥に入った時だった。
寝台の上に何か黒いものが見えた。
何だろうと近づいて布団を剥ぎ取ってみると、そこにいたのは小さな女の子だった。
この国では殆んどいない黒髪に、青白くなった肌。
時々、震えるのは寒いからだろうか。
艶々とした黒髪に吸い寄せられるように、ルートヴィヒは寝台に上がった。
そっと触れた髪の毛は湿っていて、微かに花のような甘い香りもする。おそらく石鹸の香りだと思うが、女の子が自力で入ったのか、この部屋の主が手伝ったのか。
「ユヅルの親戚の子とか?」
結弦の父の祖国は豊富な資源を狙われて攻められた。そして、つい先日にルートヴィヒの国の一部となったばかりだ。
一年の長い間雪に閉ざされたこの国にとって、あの国の資源は魅力的だった。人口が少ないわりに広い国土。少し南に行けば温暖な地域もある。
戦争に負けた国の人間の扱いなんて決まっている。
しかし、結弦はこの国でも地位のある人間だ。
彼の親戚を罵倒できる人間なんて、この国にいない。
結弦の力と頭がなければ出来なかった事が多いのだ。
だから変な事に巻き込まれないように結弦に預けられたのだろう。まだ幼い女の子を守るために。
ルートヴィヒの目には十四歳の結弦よりも年下に見えていた。
震える少女を抱き締める。少し震えがおさまった気がした。
あどけない寝顔に頬が緩む。
暫く少女を温めていると、結弦が帰ってきた。
「この子の肌、綺麗だね。もちもちだよ。」
「……。」
結弦に冷やかに見下ろされて、渋々少女から離れる。
しかし、離した体温がまた擦り寄ってくるものだから、ルートヴィヒは再び少女を腕の中に迎え入れた。
「ああ、寒そうだ。震えてる。」
せっかく震えが止まっていたのに、と漏らすルートヴィヒを結弦は冷たい薄青の瞳で見つめた。
「ルー、何してる?」
「ユヅルが帰ってきたって聞いたから、部屋に来たんだけど。まさか君が女の子連れ込んでるとは思わなかったよ。」
「連れ込んでない。森で拾った。」
拾った。ということは結弦の親戚の子ではないようだ。
どこから、この雪の森に迷いこんだのだろう。
まあ、それは少女が目覚めてから訊けばいい。
「温度調節の魔法ちゃんとかけた? 寒そうなんだけど。」
「うん。凍死寸前だったからかけてるけど。」
「こんな小さな女の子なのに、可哀想だね。」
「小さなって……。」
結弦の目にはどこからどう見ても年頃の少女にしか見えなかったが、貴族のルートヴィヒは普段から化粧をしている社交界の女性しか知らないのだから仕方ない。
あえて訂正する必要もないだろう。
普段、他人に近付かないルートヴィヒが少女にべったりとくっついている。これで年頃の少女と分かったら、ルートヴィヒがどんな動きをするか予測ができない。
結弦が見つけた時は、雪に埋もれていた。
そして、掘り出した少女は薄汚れて痩せていた。
手首には縛られていたような痕もあったことから、大体どんな目にあったのか予測できた。
ひとまず、風呂につけて寝台に転がしておいたのだが、その間にとんだものが入り込んでいた。面倒くさいことになったな、と結弦は溜め息を吐く。
「可愛いなあ。」
「……飯食ってくる。」
「行ってらっしゃい。」
その後、結弦が食事をしている最中に、言葉が通じなかったと悲壮な表情のルートヴィヒが呼びに来た為、仕方なく部屋に戻った。
ルートヴィヒは怯えている少女を見て、結弦の顔が恐いからだと言ってきた。
もう色々面倒くさいので、結弦は少女の身元と状況を聞いてルートヴィヒに伝える。
「……そうだ! 僕の妹にしようか。」
ルートヴィヒは帰るところがないという真白の話にそう答えた。
ついでに名前と名前の意味を伝えると、
「なんて綺麗な名前なんだ! 彼女によく似合うよ、マシロ。」
ルートヴィヒは重症だと思う。
完全に真白に魅入られている。
真白にはルートヴィヒは真白を雇いたがっていると嘘を吐いて、ルートヴィヒには真白は働き口を探していると嘘を言っておいた。
そのあと、真白に抱きつくルートヴィヒの姿に頭を抱える。
結弦は、これ以上ルートヴィヒが真白に近付けばまずいことになると思い、真白にある魔法をかけておいた。
許嫁もいる貴族のルートヴィヒの為に。
そして、何も知らない無垢な真白の為に。
ただ、その魔法を越えてしまうとは想像すらしていなかった。
*・*・*
真白がこの別荘に留まることになってから二年経ち、春から秋の間出かけていた結弦は、庭で口付けを交わす二人を見て絶句した。
真白がルートヴィヒに恋をしていることは分かっていたので、適当に彼女をからかって遊んだりしていたが、ルートヴィヒがこんなに早く動くとは思っていなかった。
ルートヴィヒは使用人たちにも見えるところでしている。
その日の夜、部屋から出てきたルートヴィヒをその場で捕まえて問い詰めた。
「どこに行くつもり?」
「どこって、マシロのところだよ。」
「なんで?」
「彼女と僕は好きあっているんだから。たまに一緒に寝るんだ。あ、マシロにはキスまでしか許されてないよ。彼女は乱暴にしたら壊れてしまいそうだから、ゆっくり仲を深めていかないと。」
まだ、真白に手を出していないことを知って安堵する。
手遅れになる前で良かった。
「フロレンツィアにバレたらどうする気。」
「フローラとは政略結婚だしね。お互い愛はないんだし、好きな人といればいい。彼女だってそう思っているはずさ。」
「……それ、真白を囲うってこと?」
「そうだね。都の近くに屋敷を建てないといけないね。」
「真白を愛人にすることに抵抗ないの?」
「まあ、フローラとの結婚は避けられないから。」
「俺、お前らのそういうところが大嫌いだよ。」
貴族なんてのは碌な奴がいない。
そういった連中からの仕事依頼は断っている。
ルートヴィヒとは十年前からの付き合いだが、たまに価値観の違いが浮き彫りになる。
普段は面倒な友人だ。しかし、こういうところは嫌いだ。
面と向かって嫌いと言われたルートヴィヒは、嘲るような表情を浮かべて結弦を見据えた。
「嫌い、ねぇ。でもユヅルはこうなること分かってたんじゃない? 最初からマシロにあんな魔法かけてたんだし。」
「へぇ、気づいた?」
「さすがに何年経っても少しだけしか言葉を覚えられないのはおかしいからね。すぐにユヅルが何かしたんだろうって分かったよ。」
今の真白に必要な言葉以外は認識させないようにと、聞いた言語をぐちゃぐちゃにして認識させない魔法をかけた。
「ルーが真白を気に入ったのはすぐ分かったから。」
予防していたのに関係が進んでしまったのは、やはり真白の年齢をルートヴィヒが知ってしまったのが原因だろう。
女性の使用人に真白の年齢を伝えておいたから、そこから漏れたのだろう。変に気を回し過ぎたのがいけなかった。
根が貴族のルートヴィヒの頭に諦めるという言葉はない。
気に入ったら手に入れる。何がなんでも。
たとえ相手に拒まれたとしても、今まで欲しいものを全て手にしてきた人間だ。欲しいものはどんな手を使っても手に入れる。
『……本当に面倒くさいことになった。』
ルートヴィヒには通じない言葉で呟く。
すると、ルートヴィヒは不機嫌そうな顔になる。
学園時代に同盟国や敵国の言語は勉強していても、閉鎖的な真白の国の言語を勉強をしていなかったのが悪い。この別荘で真白と正しく意思の疎通が出来るのは結弦しかいないのだ。
彼女は確実に現状を把握できていないだろう。
言うべきか?いや、しかし恋愛というものは脳内麻薬のようなものだ。冷静に物事を判断できない。
あと何年かすれば目も覚めるはずだ。暫く放っておこう。
はあ、と溜め息を吐いてルートヴィヒの部屋を後にした。