冬 * 5
手を引かれて部屋の中に連れ込まれる。
扉を背にしたルートヴィヒは、再び真白を抱き締める。
我に返って、ルートヴィヒの腕の中から逃げ出そうと身を捩るが、更に強く抱き込まれてしまい抜け出せない。
『マシロ、マシロ。――――――。』
狂ったように真白の名前を呼んで、真白の髪に顔を埋める。
(なんで、こんな縋るみたいに……。)
ルートヴィヒの心臓の音が激しい。真白のと同じくらいの速度で脈打っている。
こんなにくっつかれると、異性に免疫のない真白なんて茹でダコ状態だ。ここで、いっそのこと夢心地になれたら良かったのに、変なところで冷静な部分が残っていた。
もう何をしたいのか、はっきり教えて欲しい。
そうなると、二人の言語を理解できる結弦の協力が必要になる。話なら、三人が揃っている時にして欲しかった。
さっさと結弦を連れて来ようとルートヴィヒの胸を押し返すが、びくともしない。それどころか真白の顔に何度も口付けを落としてくる始末だ。
ときどき唇にまでしてくる。
嫌だ、と顔を背けても首筋や耳を食んできた。
『―好き――――――! マシロ―――。』
「え……?『好き』?」
やけに流暢な『好き』が聞こえて、顔を上げた。
『マシロ、好き――――――。』
ルートヴィヒは狂おしそうな、もどかしそうな顔をして、何度も何度も『好き』だと伝えてくる。
表情から考えて、真白のことを人間的に『好き』というわけではないと、流石の真白でもわかった。
『好き?』
『――、――――好き。マシロ―。』
ぶんぶんと首を縦に振るルートヴィヒを不思議な思いで見つめる。
なぜ? という疑問しか浮かばない。
真白のことを好きだと言うなら、それはいつから?
なんで、異国人の真白のことを?
そもそも、許嫁がいるのに真白にキスをしたのはなぜ?
疑問が溢れて、目が回りそうだ。
好きと言われてそのことは嬉しかった。
真白なんかを好きになる奇特な人なんていなかったから。
しかし、許嫁がいる相手に言われたことによって複雑な思いと、ふざけんなこの野郎という怒りの感情が生まれてきた。
『ルートヴィヒ、結弦。』
『……。――――ユヅル?』
ルートヴィヒは不機嫌そうに眉を顰めた。
貴族なら高等な教育を受けているだろうに、真白の国の言葉は勉強していないのだろう。それか、狭くて経済発展の遅い国だから、覚えても何の利にもならないのか。
今の真白はルートヴィヒを信じられない。
何を考えているのか、言葉の分かる人に教えて貰わないと分からない。まだるっこしいのは嫌いだ。
「こっちの言葉喋れません。分かりません。結弦を呼んでください!」
『――――――。』
地を這うような声が聞こえて、怖い顔をしたルートヴィヒが真白を見下ろした。碧の瞳の中に底知れない何かを感じて真白は総毛立った。
これは、まずいやつだ。
彼の不機嫌になるスイッチを押してしまったらしい。
(あれかな。結弦を呼んだことが気に入らないのか。でも、まさか。だって結弦がいないとルートヴィヒさんも私と意思の疎通が難しいんだよ? なんで怒る……。)
そこまで考えたところではっとする。
(まさか、とは思うけど。嫉妬とか?)
いや、そんな馬鹿な。
絶品料理の間に珍味でも味わっておこうという、金持ちの気まぐれのはずだ。
淡い気持ちがある相手に好意を伝えられて、真白も嬉しいと思う。これで許嫁持ちでなければ天にも昇る心地で、素直に受け入れていただろう。
ただ、真白はともかくルートヴィヒの本気度が分からない。
いつかは真白の淡い気持ちも消えてしまうかもしれない。
一時の感情に惑わないことが自分の為だ。
「ひとまず、結弦呼びましょう?」
真白はお断りの言葉も知らないのだ。
どうしてこんなに覚えられないのか不思議に思うのだが、文法からして違うのだから仕方ない。諦めている。
ルートヴィヒが動かないなら真白が動くしかない。
少し力の緩んでいたルートヴィヒの腕の中から抜け出して扉に向かう。しかし、
『マシロ!』
「ぐっ! ぐるしい……!」
それを許さないルートヴィヒが、真白を後ろから抱き締めて動きを止めた。ルートヴィヒの力はミシミシと肋骨が軋むほど強くて、真白は痛みで呻いた。
「はっ、離してください! 痛い!」
ばたばたと全身を使って暴れるが、蹴っても殴っても離してくれない。それどころか、固いベッドに押し倒される。
ルートヴィヒは背中の痛みに呻く真白を組み敷いて、切なそうに見下ろす。本当にわけが分からない。
ちゅ、と音を立てて、まず軽い口付けを受ける。
「ふぁっ、ちょっと! ん。」
強引に口付けられているのに嫌悪感を感じないことに、恐怖を覚える。どんどん深くなっていく口付けに頭がぼうっとしていく。
流されているような気がした。
言葉が通じないから力で押してきている。
駄目だ。ここで流されたら。何か大切なものを失う。
そう思うのに、淡い気持ちが邪魔をする。
好きかもしれない相手に求められているのだ。
このまま、少しくらい甘い夢を見たっていいのではないか。
彼が飽きるまでの間、好きにされるなら真白は悪くないのでは、ルートヴィヒが勝手にしてくる事なのだからと。
そう、最後の一線さえ踏み越えさせないようにすれば。
肉体関係を結ばなければ『いけないコト』ではないのでは。触れあっているだけなら。悪いことじゃないかもしれない。
でも、簡単に触れられるから真白を求めてきているとしたら、思うものが手に入らなかったとルートヴィヒは去るだろうか。
それなら、真白から離れよう。
祖国に帰って、家族のいた場所で一緒に眠ればいい。
だって、もう望むことなんて一つしかないのだ。
愛が欲しい。
家族からの愛情を失って、寂しくて寂しくてしょうがない。
なんでもいい。一途じゃなくたっていい。
誰かに自分を愛して欲しかった。
だから、試してみよう。この人がそれを真白にくれるのか。
「止めてください。」
太腿にルートヴィヒの手が触れた瞬間、ルートヴィヒの手を押し止めた。これ以上はいけないコトだ。
さて、ルートヴィヒはどうするのだろう。
これ以上を許さない真白を見切るだろうか。
この人に見切られたら、もう帰るしかない。何も失くなった故郷に。ここで雪に埋もれて死ぬより、家族のもとで死にたい。
目に浮かんだ涙を溢さないように溜めて、ルートヴィヒを見つめる。
「ルートヴィヒさんは、どうするかな……?」
微笑みを浮かべて問うた真白を、驚いたようにルートヴィヒは見る。
反応を示さなくなったルートヴィヒに、真白は悲しいようなホッとしたような複雑な気持ちになる。
もう諦めよう。なにも期待しない頃が楽だった。
唇を噛みしめて、ルートヴィヒの碧の瞳を見上げる。
もう、今日は疲れた。
目を閉じると溜めていた涙がこめかみに流れていく。
『―――! ―――! ―――マシロ―――。』
ごめん、と言われているような気がした。
許してくれ、すまなかった。
そんな言葉を言われているような気がしたのだ。
強引に迫ってきたことを謝られているような。
そうだ。諦めなくたっていいじゃないか。
この距離感を物足りなくなって、飽きて去っていかれても、しばらくの間は愛してくれる。それなら、
「私、ルートヴィヒさんのこと『すき』です。」
『好き? マシロ―――?』
『すき。ルートヴィヒ。』
『マシロ!――――――――! ――――――――、――――。――――――――。―――――――――、――――。―――――――!』
興奮したように、早口でなにかを喋るルートヴィヒの様子を見て呆気に取られる。ここまで全身を使って嬉しそうにされると、真白もくすぐったくなってくる。
これで、良いわけがない。
でも、一時の甘い夢なら見たって罰は当たらないだろう。
――そう、一時の夢ならば。