冬 * 4
どういう表情を浮かべたらいいのか分からなくなった真白は、俯いたまま時間が過ぎるのを待った。別荘に着くまで何も考えないようにずっと自分の膝を見ていた。
ルートヴィヒの考えていることが分からない。
どうして真白にキスをしたのか、あの女性は何者なのか。
『ありがとう!』
別荘に着いて、ある程度落ち着いていた真白は笑顔で言った。
表情で悟られてはいけない。
ルートヴィヒには遊ばれたのだろう、深く考えないようにする。
そうしたら、なにも気取られることはない。
だって真白は『勘違い』していないのだから。
『―――――――――――――――――。』
長い言葉でなにか言われた。
多分、真白を気遣ってくれている言葉だと思う。
真白に元気がないと思われたようだ。
やはり気持ちの切り替えは簡単にできない。
唇を噛み締めて俯いた真白にルートヴィヒが手を伸ばす。
(今は無理……!)
怯えるように身を竦めた真白を見て、碧の瞳を凍らせた。
気まずい空気の流れる二人の前に、淡々とした声がかけられる。
『―――――?』
いつもと変わらない結弦の様子に、真白もルートヴィヒも詰めていた息を吐いた。結弦が来たなら無理に意思の疎通を図る必要もない。
全部、結弦に任せて退散しよう。
『――、――――。』
『――――――。ユヅル―――――――。』
真白は二人が話しているのを小さくなって聞く。
きりが良さそうなところで結弦に通訳してもらって、今日のお礼と部屋に帰る旨を伝えてもらおう。
ルートヴィヒから逃げているのは分かっている。
ただ、今は時間が欲しかった。
『―――――、マシロ。』
「今日は疲れただろうから、ゆっくり休めって言ってる。」
「……うん。ありがとう。楽しかったって伝えて。」
結弦は楽しかった、と言っているわりに萎れている真白を見て怪訝に思ったようだが、その場では追求してこなかった。
そう、その場では。
*・*・*
「どうして、そんなにしょぼくれてるんだ?」
部屋に帰る途中の廊下で、結弦に話しかけられた。
母国語で話しかけられると、ほっとする。
(聞いて、みようかな……。)
いつも言葉を飾らない結弦なら、ずばっと真実を教えてくれそうな気がした。
「女の人……。ルートヴィヒさんと仲の良い、すごく美人な女の人。知らない?」
躊躇いながらも、気になる気持ちが勝った。
美人な女、と呟いた結弦はうんうんと唸りながら考えている。やがて、「あ、」と短く声を上げた。
「アデリナか、フロレンツィア、ジビレ。俺がルーと仲が良くて美人だと思うのはこれくらい。」
三人も仲の良い美女がいるのか。そんなにいるのに真白に手を出すとは、たまには珍味を味わいたくなったのだろうか。
「金髪で、深い青色……藍色の目だった。」
「ふーん。それなら、フロレンツィアだ。ルーの許嫁の。」
「い、許嫁……。そっか、通りで。」
お似合いの二人だった。二人とも綺麗な金髪で、顔も整っていて。絵画のような、完成された図だった。
「フロレンツィアに何かされた? あの女アレだし。あ、見せつけられたとか? やりそう。」
苦い顔をして語る結弦を不思議に思う。
結弦にも苦手なものがあったのか。
「見せつけられるも何も、許嫁なんでしょ? それで普通じゃない? 別に見せつけられたとしても私には関係ないし。」
どんどん尻すぼみになる声量に、真白の心はズタズタだ。
「関係ないって言ってるわりに落ち込んでるみたいだけど?」
「落ち込んでない。ただ……。」
「ただ?」
続きを良い淀んだ。これを言っても大丈夫だろうか。
頭大丈夫?、とか言われそうで恐い。
もしかしたら白昼夢かもしれない。
指先で唇に手を当てて考える。
(うん。)
やはり、夢ではない。
結弦に吐き出して楽になろう。彼には悪いが真白も楽になりたい。一年ここで過ごして初めての愚痴だ。
「ルートヴィヒさんが、なに考えてんのか分かんない。」
「なに、ルートヴィヒにも何かされた?」
察しの良い結弦に感謝したい気持ちもあるが、察しが良すぎて困る。まだ口にする決意が固まっていなかった。あと三十秒は欲しかったのだが。
「……されたの。」
「なんて言った? 聞こえないんだけど。」
ずいっと結弦の黒髪が俯いた真白の視界に現れる。
また言わないといけないと思うと、真白の顔に熱が上った。
恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがない。
「キス、されたの! 意味わかんないでしょ。」
やけくそで叫ぶように言った。
どうせ、真白の言葉を聞き取れるのは結弦しかいないのだ。
「ふーん。良かったね。」
心底どうでも良さそうな結弦のテンションに、ぷちっと頭のどこかが切れた。
こんなに真白はキレやすくなかったのに、住んでいる場所が変わるとここまで情緒不安定になるものらしい。
「良くない! だって、私にした後にフロレンツィアさんともキスしてたんだよ。頭おかしいよ。許嫁以外にそういうことするとか!」
「ルーも貴族だし、感覚おかしいのは確かだ。」
くつくつ、と笑っている結弦をキッと睨み付ける。
どうしてそこで笑うのだろうか。
(あんたも絶対っ、感覚おかしいから!)
心の中で結弦を罵っていると、結弦から表情が消えた。
前にも似たようなことがあった気がする。
『―――――――――――。』
無表情の結弦は真白を見つめてぽつりと呟いた。
「今、なんて?」
「なんでもない。」
ふい、と顔を背けて歩き出した結弦の腕を掴む。
「なんでもなくないでしょ。何て言ったの?」
身長差がかなりある為、じっと薄青の瞳を見上げる。
「真白は馬鹿だなって。」
「ば、馬鹿って……。どこが?」
いや、真白も自分のことを馬鹿だと思うこともある。しかし、他人に言われると本当に刺さる。じくじくと痛む心臓を押さえる。
「馬鹿ってより可哀想だなとも思うけど。失恋なんて。」
「失恋してない。好きでもなかったんだから。」
そう、芽生える前の儚い感情だった。
『恋』になる前に気付けて良かったと思おう。
「そういうことにしといてやる。」
「上から目線……。あ、でも結弦は年上だもんね。」
「俺まだ十五歳だけど。」
上から目線で失礼しましたね、と返しかけてはっとする。
(じゅうごさい、十五歳!?)
「年下!? 嘘!」
真白はそろそろ十八歳になる。
となると、おそらく結弦は二つか三つも年下ということだ。
だが、結弦とルートヴィヒの身長差は頭半分くらいある。そもそも、真白とルートヴィヒもそのくらいの身長差なのだ。だから、真白は結弦を年上だと思っていた。
十五歳ならまだまだ成長期だ。これ以上伸びるものなのだろうか。というか、伸びても大丈夫なのか。
「なんで、そんなに大きいの?」
「真白もルーも小さすぎるんだよ。言っとくけど、ここ二年くらいで急激に伸びた。前はチビだった。」
「……そう。永遠にチビですいませんね。」
「別に女の子なんだし、真白くらいが可愛いんじゃない。女の子が大きすぎてもルーみたいな身長だと悲しいことになるし。」
真白から見ればルートヴィヒも大きく見えるのだが。
国が違えばその辺の感覚も違うらしい。
衝撃の事実を聞いた真白の心は、軽くなっていた。
*・*・*
とりあえず、今日のことは忘れようと決めて、部屋に戻った真白だったのだが。
「どうして……?」
『マシロ……。―――。』
真白に与えられている部屋の鍵は開けられていて、部屋の中にはこの家の主人であるルートヴィヒがいた。
結弦と話している間に先回りされたようだ。
呆然と立ち尽くす真白に歩み寄ったルートヴィヒは、身動きしない真白を焦れたように抱き締める。
(な、んで?)
混乱する思考を纏めようとするが上手くいかなかった。