緑の桜
ある所に、小さな丘がありました。
その小さな丘は、特に何の変哲もない普通の丘です。なので普段、ここには誰も人が訪れません。
しかしその小さな丘には、春の時期にだけ沢山の人が集まります。
その理由は、そこには一本の桜の木が咲いているからです。
みんなは、ピンクの桜が大好きです。だから桜の木を見るために、その丘には春の時期だけみんながやって来るのです。
そして、そんな桜の木のある小さな丘に、今年も春の季節がやって来ました。
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「みんなおいで。今年も綺麗な花が咲いたよ」
桜の木は、みんなにそう呼びかけます。
そしてみんなは、そんな声に釣られるままに、桜の木の下に集まります。
「桜の木さんは綺麗だなぁ……」
その中の一人の女の子は、うっとりとしながらそう呟きます。
「そう言って貰えると、凄く嬉しいよ」
桜の木はそう言って、嬉しそうに枝をゆらゆら揺らします。
桜の木を眺めるみんなも、楽しそうに、思い思いの時間を過ごします。
そんな楽しい時間は、しばらくの間続きました。
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そして、初春の時期がそろそろ終わりになる頃。
「みんな、そろそろ桜の季節も終わりだ。それじゃあまた来年にね」
桜の木は、みんなにそう告げ始めました。
桜の木の下に集まっていたみんなは、桜の木の言葉に従い、素直にその場から去っていきます。
「私、もう少しここにいたい……」
けれど、一人だけその場に残り続ける子がいました。
それは、桜の木を綺麗だと言った女の子です。
その女の子は誰よりも、桜の木の事を美しいと思っていました。だから、その場から離れてしまう事が名残惜しかったのです。
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それからまた少しして、初春の時期は終わりを迎えました。
女の子はそれでも、その場に残っていました。
そして女の子は、びっくりする光景を目にする事になりました。
さっきまでピンクの花を付けていた桜の木が、その花をどんどんと落としていきます。
そしてなんと、その桜の木は、緑の葉っぱだけを残した状態になっていたのです。
それは、先ほどまでの姿とは全く違う、緑の桜でした。
「おや、まだ帰っていない子がいたのかい……」
緑の桜は、女の子がまだ残っていた事に気がつきます。
女の子は、そんな緑の桜に話しかけます。
「私、緑の桜なんて初めて見た」
緑の桜は悲しそうにしながら、女の子に話しかけます。
「お願いだ、もう帰っておくれ」
女の子は疑問に思い、桜の木に聞きます。
「どうして、帰って欲しいの?」
緑の桜は、葉っぱをゆさゆさとしながら、女の子に説明します。
「実は僕は、ピンクの桜でいられる時期はほんの僅かだけなんだ。
僕は1年の殆どを、この緑の桜として過ごさなければならない。だから、こんな醜い僕を見ないで欲しいんだ……」
緑の桜は、あまりにも悲しそうにそう言います。
なので女の子は、その場から立ち去るしかありませんでした。
「1年経ったらまた来ておくれ。そうしたらまた、ピンクの桜を見せる事が出来るから」
立ち去る女の子の背からは、そんな声が響いていました。
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それから。季節は少しだけ過ぎて、夏になりました。
「はぁ……」
女の子は家の中で、一人ため息を吐いていました。
女の子は、夏になっても未だに、綺麗な桜の事が忘れられないでいたのです。
桜の木は女の子に、1年経ったらまた来て欲しいと言い残しました。
「そんなに待てないよ……」
けれど女の子は、どうしても桜の木の事が忘れられません。
だから女の子は、桜の木について詳しい、本さんに会いにいく事にしました。
本さんは、桜の木に付いて色んな事を話します。
曰く。桜の木は頑張り屋さんだ。
曰く。桜の木は見栄っ張りだ。
曰く。桜の木は面白い奴だ。
曰く。桜の木は嫌な奴だ。
本さんの話はまとまりがなく、おまけにとても長いです。その女の子でなければ、とっくに話を聞く事に飽きていたでしょう。
けれど女の子は、桜の木の事が大好きだったので、本さんの話を根気強く聴き続けました。
すると本さんは、雑多な世間話に混じって、とても有益な事を教えてくれました。
曰く。桜の木が綺麗な花を咲かせられるのは、1年中ずっと栄養を貯め続けているからだ、と。
「桜さんって凄い」
その話を聞いて、女の子は感動しました。
桜は、ただそこある綺麗なだけの存在などではなく、とても頑張り屋な人だったのです。
そして、女の子は思いました。
「緑の桜さんも、綺麗なのにな……」
桜に付いて調べている内。女の子はすっかり、桜の木の事そのものが好きになったのです。
だから女の子にとって、桜の木が緑かピンクかなんて、もうどうでもいい事になっていました。
「1年後に来てって言われたけど、もういいよね」
女の子はもう、緑の桜さんの事も大好きです。
だから女の子は、まだ夏なのに、緑の桜さんに会いにいく事にしました。
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人がいなくてガランとした、真夏の小さな丘の上。
桜は、そこに座る女の子に話しかけます。
「どうしてまた来たの? お願いだ。こんなに醜い僕を見ないでおくれ……」
女の子は、緑の桜に伝えます。
「緑色のあなたは、ピンク色のあなたみたいな美しさはないのかもしれないわ。
けれど、私は醜いあなたも綺麗だと思うの。だから私は、ここにいたいの」
桜の木は、その女の子の言葉を聞いてびっくりします。
緑の自分が綺麗だなんて、言われると思っていなかったからです。
しかし桜の木の中に沸いた感情は、喜びではなく戸惑いでした。
「君が何を考えているのかは知らない。
けれど僕は、みんなにとって、ピンク色の桜でだけいたいんだ。だからお願いだ。こんな醜い僕を見ないでおくれ……」
けれど女の子は、その言葉に従いません。
何故なら女の子は、自分の意思でその場所にいるからです。
「あなたはそう思っているのかもしれない。けれど私は、緑のあなたをもっと見ていたいの。だからここにいたいの」
桜の木は、それでも女の子に言います。
「お願いだ、帰っておくれ……」
女の子はまた、桜の木に言い返します。
「嫌。私ここにいたいの」
桜の木は、段々むすっとしてきました。
「いい加減にしてくれ。本当に見ないで欲しいんだ……」
しつこい桜の木に、女の子もだんだんむすっとしてきました。
「いいじゃない。減るものじゃないし、見せてくれたって」
桜の木はどうしても、ピンク色の自分だけ見て欲しいです。
しかし女の子はどうしても、緑の桜が見ていたいです。
2人はだんだん、険悪な感じになってきました。
「お願いだよ!こんな醜い僕を見ないでくれ!」
「嫌よ!私は緑の桜の事を、もっと見ていたいの!」
桜の木はついに、被っていた猫を外しだしました。
「おい、ふざけんなよテメー!! さっきから見るなって言ってんじゃねえか!!」
女の子もついに、被っていた猫を外し出しました。
「ああやんのかテメー!? 私が見たいって言ったら見たいんだよ!!」
そうして緑の桜と女の子は、ついに大喧嘩になってしました。
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それから一週間後。
小さな丘の上には、緑の桜がいました。
緑の桜の周りには、誰も人はいません。緑の桜は、自分が一番美しい時期である、ピンクの桜だけを見て欲しいからです。
「はぁ……、早くピンクの桜になって、美しい僕の姿をあいつらに見せつけてやりたいぜ……」
周りに誰もいない緑の桜は、そんな適当な愚痴をこぼします。
そして物陰では、女の子がヨダレを垂らしながら、そんな緑の桜を眺めていました。
「ぐへへ……、今日も緑の桜を見てやるぜ……」
おわり