豊川海軍工廠戦没者供養塔4
筆者はスケジュールの管理をオンライン上のカレンダーで行っている。というのも私が管理するスケジュールは私個人のものに限らないからだ。二人の息子たちの学校行事、夫のイベント、実家の世話等々、家族の予定にもおおいにふりまわされている。そのため他の連中が同じくオンライン上で作ったカレンダーを自分と共有させているのだ。
その管理帳に近ごろ新しい項目が加わった。それは『心霊記録簿』。我が家で起こった不可思議な現象を書きこんでいく日記である。
実はワタクシ、豊川工廠を訪問してから約二週間後に、とある心霊スポットの探索に行っているのだ。それは霊障をバンバンと起こしてくれる案件なのでここではご紹介しないが、要するに、八月に図らずも二つのディープな心霊探訪をしてしまったのである。
そして新学期も開けた九月、そのツケは連日のようにやってきた。足音息づかいなどあたりまえ。玄関開けたらお出迎え。勝手に防犯ブザーは鳴らされるわ、常夜灯代わりのミニライトは壊されるわ、とつぜんスマホのBluetooth接続を切られるわ(筆者はスマホで再生した動画の音声をBluetoothでイヤホンに送っているので、接続を切られると音声がとぎれるのである。地味に嫌だ)。とにかく電気系統は影響を受けた。
そんな中で私は……内心とても喜んでいた。というのも、私は近々に心霊体験をつづった電子書籍など出してやろうと企んでいるのだ。だからネタは多いほど嬉しい。
どんどんカモ~ン! との歓迎に呼応するように、カレンダーの書きこみは増えていった。いまだに我が家はお化け屋敷と化している。
ではその一つ一つを記していこう。……あ、でもその前にちょっとだけ注意事項を。
前述したように、自宅はいま豊川工廠による怪異現象とその後に訪問した心霊スポットの霊現象の双方にみまわれている。いまから書くものは明らかに豊川工廠のものだろうと思うものに限らせてもらうが、もしかしたら別の要因がまざりこむかもしれない。
そのときは!! ……責任は取れないから謝らせていただきます~……。
それでは本当に始めます。
九月八日 未明。豊川工廠の供養塔で撮った写真の異常に気づく。
これが前回掲載した写真のことである。撮影したのは八月一六日だったので、正味三週間ほど経ったあとだ。
九月二九日 一時二〇分ごろ。就寝中だったが部屋で二歩ほど足をふみならす音が響いて目が覚めた。その後、五〇~六〇代ぐらいの男性の声で同じ言葉を二回叫ばれた。目を開けても暗闇に慣れているはずの視界には何も映らない。不思議に思ったが、すぐに理由はわかった。部屋中を真っ黒な人影が覆いつくしていたからだ。そして彼らの記憶のようなものが流れてきて、彼らがなぜ黒いのかも理解した。あれは空襲で焼けこげてしまった肉体だったのだ。記憶はなおもリアルに彼らの死の瞬間の映像を伝えてきたが、残念ながら筆者のほうが降参してしまって受けいれられなかった。それからすぐに現象そのものが霧散した。
あとになって思いだしてみると、あの男性の声は「逃げろ! 逃げろ!」とどなっていた気がする。空襲時、右往左往する学生たちに、管理者が逃げ道を指図したのだろうか。
一〇月六日 二三時ごろ。豊川工廠で心霊写真を撮ったスマホのカメラが異常を来していることに気づく。寝ようと電気を消したき、ふと「いまこの空間を撮影したらなにか写るんじゃないか?」と思いたち、枕元にあったスマホのカメラを起動させた。すると、感度のあまりよくないこの機器は、最初は真っ暗闇を画面に投影していたが、ほんの一〇秒ほどのあいだに、赤い光点でびっしりとうめつくされたのだ。驚いて、別室でPCをいじっていた夫を呼びだして「これなんだと思う?」とスマホを手渡すと、これもまた見る間に赤い点は青い点に変わって瞬きはじめた。とうぜん夫も困惑顔だ。
この現象は現在でも毎日起こっている。最初は外部の何かが写りこんだのかと疑った。けれどカメラのレンズを完全に指でふさいだ状態でもこれは起きる。つまり、どうやらこれはスマホの中でくりひろげられる怪異のようなのだ。
ちなみに筆者は、半分は豊川工廠の御霊がスマホに棲みついて付喪神(物体にとり憑く霊魂。妖怪とも神とも信じられている)と化してくれたのだと思っている。でも半分は機械の故障だと思っている。
とりあえずみなさんにも見ていただきたい。この動画は外の景色が写りこまないようにして録画ボタンを押したものだ。スマホのレンズ部分を私の体に密着させて、なおかつ私は布団をかぶっていた。外部の光はまったく感知していないはずである。
https://www.youtube.com/watch?v=ZfXcuq6XLz0(布団のこすれる音等があるので、音声は最小にしていただくほうがいいと思います)
怖くて見られなかった方のために一応解説すると、最初は小さな赤い光がぽつぽつと現れる。そして一分半を越えるあたりから画面全体に広がっていく。それから二分を越えた瞬間にいっせいに青に変わる。あとはそうたいして変化はない。
ついでにお伝えすると、このときには別の現象も併発していた。この動画が終わった直後だが、低めの中学生ぐらいの女の子のつぶやきがスマホから聞こえた。またそれに続いて年配の男性の声(九月二九日の男性とは違う)も流れた。両方とも何を言っているかまでは聞きとれない。そして一五分ほどして、夫も寝つき、家族全員が就寝したタイミングで冷蔵庫のドアを開ける音が響いた。うちは高校生息子が宵っぱりでよく夜中に冷蔵庫から食材を漁っているので、このときも最初はそれかと思った。けれど彼はベッドで寝息を立てていた。
また、これも最近になって気づいたことだが、スマホでこの現象が起きているときはレンズ周りが四〇度近い熱を発している。そしてごくまれにビリビリとした電気の流れを感じることもある。現象自体は二四時間場所を選ばずに起きているが、光点の数が多いのは圧倒的に〇時を過ぎてからである。それに扱う人間によっても様相は変わる。筆者以外の輩にスマホを預けた場合は、筆者の三分の一以下の光しか点灯しない。
私はカメラに詳しくないので、これが故障なのか霊現象なのかの区別がつかない。光の一つ一つは、位置が固定しているものもあれば、近時の場所を移動しているものもある。また赤と青も混在している。このごろでは画面全体がななめにすべっていくような表現も見せている。もしこの症状に技術的な心あたりのある方がみえたらぜひ教えてください。
それと逆に、この動画から霊現象としか思えない信号をキャッチされた方がいたら、それもご教授お願いします。私も会話を試みているのだけど、いまのところ短い声しか返ってこないのだな。これはこれで寂しいものである。
一〇月七日 一〇時四七分。居間でテレビを見ていたらすぐ目の前で足をふみならす音が二回聞こえた。感覚的に硬い靴をはいた男性だった。
一〇月二三日 一時半ごろ。この夜はいつも一緒に寝ている小学生息子が修学旅行で不在だったので、誰はばかることなくスマホの光点に向かって、
「ねーねー話しようよ~」
とかなり積極的に語りかけていた。するととつぜん、かなりの音量で「カチカチカチカチ」と規則正しい電子音が聞こえはじめた。驚いたが達成感もあり「やった! 録音録音!」と喜び勇んで録画ボタンを押したのだが、これがいけなかった。そこから音はピタッとやんでしまった。そして画面を見ると、それまで真っ赤に染まっていた光点の乱舞がほとんど消えてしまっていた。
驚かせたのか、もしくは私の要望に応えるために相当のエネルギーを使って疲れてしまったのか。どちらにしてももうしわけないことをした。
同日 五時半ごろ。小学生息子のめざまし時計が鳴った。不在の本人がセットしたわけはないので不思議に思ったが、なにかの不具合だろうとあまり考えずにそのときはやりすごした。
実は彼のめざましは改めてセットしなくても鳴るようにできている。みなさんの中にも同じ形式の時計をお持ちの方はいないだろうか。アラームが鳴ると、とりあえず大きなボタンを押してその音を消すことができる仕様のもの。だがそのままにしておくと一定時間後にまた鳴りだしてしまうので、本当にアラームを止めたいときは少し操作しにくい元スイッチを切る必要がある。これは二度寝防止のための機能だ。
そのさいにもし元スイッチを切らずに放置したらどうなるか。時計にもよると思うが、うちの場合は五回ほど音をくりかえしたあとに沈黙する。そして翌日の同じ時刻にまたその行動が始まるのだ。つまり元スイッチさえ入っていれば、毎日セットした時刻にアラームが鳴るのである。
小学生息子は、前日の修学旅行に出発する朝に、はりきってめざましをセットしていた。ふだんは七時すぎに起きるやつでも昨日は五時半に早起きしようとしたんだろう。そのなごりが本日のアラームだったのだ。
……と私は強引に思いこんだ。朝の忙しい時間にこの現象の検証などしていられなかったからだ。きっと時計の不具合。それほど意味のあることじゃない。
たとえめざまし時計の元スイッチがちゃんと切れていたとしても……。
この日の夜、修学旅行から帰って「楽しかった!」を連発する息子に、気分を損ねないように配慮しながら、そっと聞いてみた。
「……あんたのめざましって元スイッチ切れてても鳴ったりする?」
とうぜん彼は首を横に振る。そこで今朝の話をした。
「不思議ではあるんだよね。あ、でもさ、元スイッチの切り方が不十分だったのかもね」
時計は息子の持ち物である。だからこのことで気味悪くなってしまっては可哀想だと思って、母は優しい声でフォローした。だがやつは一刀両断する。
「音が鳴ったのも妙だけど、それよりおかしなことがあるよ」
そして時計の盤面を私に見せ、いたずらっぽく笑う。
「オレが昨日セットした時間、四時半」
彼の言うとおり、目安針(アラーム用の針)は四時と五時の間を指していた。だとすると時計は五時半に鳴るわけがない。四時半に鳴ったアラームに気づかなかったのだとしても、音は五分おきに五回鳴って止まるのだ。
技術的な原因を否定され、母は、一方では霊魂が答えてくれた喜びにひたりながらも、一方では息子の様子を心配した。だが彼の態度はそんな懸念を一蹴するものだった。なんとやつは自分の時計に向かって、
「鳴れ~。いま鳴れ~。返事しろ~」
と呪文を唱え、それから私に向かって、
「ママばっかりずるい!」
と非難したのだ。
うちに遊びにくる息子の友人連中は我が家のこの特性を知っているから、みな声をそろえて、
「こんなうちに住んでて怖くないの?」
と尋ねる。それに対した息子の答えはいつも、
「なんで怖いの?」
だ。親として頼もしく思いながらも、将来の道をふみはずしそうで密かに悶々としている。
その他にも細かい現象は多々あるが、いまのところ発生した大きなものはこれぐらいだろう。
今後のことだが、私は最終目標としてこの御霊たちを遺族に会わせてやりたいと思っている。だから可能なら来年の慰霊祭に出向くつもりだ。
それまでに積極的な関与をするかどうかはわからない。というのも筆者には早く成仏してほしいという願いはないからだ。この世に縁あって生を受けた立場だというなら、彼らと私は同胞である。それならお互いに気のすむまで現世を堪能してもいいんじゃないかと考える。
毎朝御霊にお水と供物を捧げながら会話する習慣も、すでに二ヶ月に至っている。彼らは私の子どもであり、またあの世を経験された先輩でもある。安らかになってほしいと願う一方で、……私が欲ばりなのだろうか……、彼らが起こしてくれるこれらの怪異の数々を見られなくなる可能性に寂しさも感じてしまう。
私の母は視野のせまい人間なので、この手の話をすると、
「恥ずかしいから人前で言わないで」
と否定する。けれど私にはその態度こそが狭小でみじめな人間性を露呈しているように見えてしまう。生者のみの世界というごく小さな枠に固執することは、はたして『恥ずかしくないこと』なのだろうか。
だから、このエッセイの冒頭にも書いたように『自称霊能力者の胡散臭さや怪しさ』に身を置くことを危惧しながらも、あえてこのエピソードを記させてもらった。
もしこれを読んでわずかでも亡くなった御霊に親しみを覚えてくださった方がいたのなら、葛藤しながらも書いた甲斐があったと思う。ありがとう。
一気にアップしたために読みにくい点もあっただろうと思います。それでもご訪問くださってありがとう。
時間の都合上、更新はいったんここで終わりますが、このあと最後に一つだけ短編を付随させていただきます。
豊川工廠の御霊たちがなぜこのような現象を見せるのか、どんな思いで生きて、そして死んでいったのかを、『物書き』として想像しながら綴ってみたくなったので。
それでは、よろしかったら、またそのときにいらしてください。