表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

豊川海軍工廠戦没者供養塔3

 前回、前々回の更新分で、私は何度かくりかえした。

 豊川稲荷に行ったのは豊川海軍工廠(こうしょう)戦没者供養塔へのお参りのためだった、と。


 あれはN◯K局の特集番組だっただろうか。私はその中で豊川工廠の名前を初めて知った。

 番組内で紹介されていたのは、一九四五年八月七日に豊川工廠を襲った大空襲の爆風がどのように建物をとおりぬけていったのか、という検証だった。詳細は忘れたが、幅広の大きくて近代的な工場の中を突風が小爆発を起こしながら駆けぬけていった様が再現された。中にいた従事者たちは崩れた天井や壁の下敷きになったまま絶命したものが多かったそうだ。

 ことさらに悲劇性を誘ったのは、その工場ではたくさんの学徒動員された女生徒が働いていたという点だ。学徒動員というのは、まだ学生である子どもたちが、軍需産業、生産農場等に従事を強いられるシステムのことである。終戦間際になってくると若い男の労働力は兵役に取られる。そのため、ここ豊川工廠では近隣の女子中学生、女子高校生が集められて兵器を作っていたのだ。

 二六〇〇名を超える被害者が出たこの日の空襲で工場の施設は壊滅した。生きのこった人々は、戦後七〇年を数える今年、すでに八〇歳を超えている。けれど、これはのちに新聞で読んだことだけれど、その方々はいまだに同胞を助けてやれずに自分だけが逃げてしまったことを謝罪されていた。


 戦争の刻んだ深い傷跡。

 筆者は日本人としてその痕跡を目に焼きつけておきたかったのだ。


 そして今年の八月一六日。

 豊川稲荷の社殿をまわりながら、私はだんだんと戦争当時のイメージに没頭していった。

 空襲が始まる前、働いていた少女たちはどんな会話をしていたんだろう。工場の規律は厳しかったと聞く。おしゃべりなんか許されなかったんだろうか。でも年ごろの女の子たちだ。きっと友だちと目があったなんて理由だけで笑いあうこともあったに違いない。

 社殿を右に折れ、林の中の細い小路に歩を進める。

 好きな人の話なんかしたのだろうか? 戦時中は兵隊さんに憧れることも多かったんだろうな。自分たちの作る機銃が若い青年軍人の武器になる。そんなことを考えて胸をときめかせたもいたんだろう。

 千本のぼりが立つ順路に『供養塔↓』の看板を見る。指示に従いながら、筆者の心にはしだいに不安が立ちこめてきた。

 若さゆえに生きる意志が強かっただろう彼女たち。その生命がとつぜん断ちきられた無念の思いを、私は平静に受けとめることができるだろうか? 供養塔に行けばなにかに感応してしまうだろう。その力がとても強かったらどうしよう、と。

 供養塔に向かう路地は薄暗かった。なんとなく冷えた感じの空気を浴びつつ歩きつづける。するとなぜか豊川稲荷の敷地から出てしまった。目の前には閑散としたエリアが広がる。どうやら駐車場らしい。

 右に目を転じると……。

 あった。

 供養塔だ。


 想像よりも綺麗な石碑だった。『供養塔』と大きく書かれた石塔。台座は御影石だろうか。そこにはびっしりと数多の人の名前が彫ってあるのが見える。きっと犠牲者たちなのだろう。

 近づきながら、私はぶしつけに写真を一枚撮った。実は、このときすでに本エッセイにこの体験を載せる気だったのだ。旅行記に写真がないのは片手落ちになる。

 供養塔には他に訪問者はいなかった。そのため私は人目をはばかることなく撮影を続けた。最初の遠景から続いて二枚目はすぐ目の前でシャッターを切らせてもらった。そして三枚目は台座部分の名前を、四枚目は背後に回って同じく台座部分を。


 それではここにその四枚を掲載しようと思う。

 あえてスペースを空ける等のもったいをつけずにいかせてもらいます。変な演出は写っている彼女たちを侮辱することになりそうなので。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


 サンプルの文字が興ざめだが流出を防ぐためだと理解してご容赦願いたい。また加工をしないと霊障を抑える自信がないという理由もある。

 元画像は暗いので輝度だけ上げさせていただいた。それと、もしかしたら三枚目の画像が写っていないかもしれない。これはみてみんにアップロードしたときになぜか起こった不具合である。再アップをしようと思ったが『この画像はすでにアップロードされています』の忠告を受けたので見合わせている。


 あと、いまになって思いだしたが、私はこのときもっとたくさんの写真を撮っているはずだ。供養塔の横には大きな地蔵尊が立っている。それも写真に収めた記憶があるのにデータが完全になくなっている。

 それに改めて確認すると、先の四枚はすべて同じ時刻に撮ったことになっている。つまりきわめて短い時間に連続撮影したのだろう。だが筆者は正味一五分ほどあの場にいた。そしてその間撮影を続けていた。

 このあたりの詳細はすでに覚えていない。今後思いだすことがあったら、都度、付記させていただきます。


 ちょっと中途半端になりますが、今回はこのへんで締めさせてください。疲れているわけでもないのになぜか思考がまとまらなくなってしまったので。

 次回は、この写真を撮ってから起こったもろもろをご紹介させてもらいます。今章で恐怖に耐えられなくなった方にはだいぶ厳しい内容になってしまいますが(笑)。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ