筋肉による交信
「それで、貴方は我々に何の用があるのですか?」
「実はちょっと道に迷ってね。ここから一番近い町って何処にあるか知ってる?」
「……町でしたらここから東の方角、つまり向うの方へ大体20キロほど進んだところに〈アナンダ〉という町があります。」
東のほうを指差しながらローガの質問にワンダは答えた。
「ありがとう。そうだこれ、お礼にやるよ。」
そう言ってローガは担いていたグレイハウンドの両脚を引きちぎり差し出した。
まさかのお礼を3人は顔を引き攣らせながら受け取る。
「じゃ、俺もう行くわ。道教えてくれてありがとな。」
ローガはそう言うと東へ向かって走りだした。
「結局今のは何だったんだ?」
「さあ、ひょっとしたらたちの悪い悪夢だったんじゃないか?」
しかし、3人の手元には先ほどの事が夢ではなかったことを示すグレイハウンドの脚があった。
「そういえば聞いた事があります。獣人の中にはごく稀に先祖返りで体の一部が完全に獣の姿で生まれてくる者がいると。」
ワンダはどこかで聞きかじった知識を披露しながら、グレイハウンドの脚をどうやって処分するか考え出した。
グレイハウンドの肉は大味で食用には全く適さず、爪は防具や武器に使えるほど硬度が無いため、ぶっちゃければただのゴミでしか無かった。
町〈アナンダ〉まであと少しという所でローガは町へ入る前に腹ごしらえとして先ほどからずっと担いでいたグレイハウンドを食うことにした。
(火を起こすのは後始末とかが面倒だな。近くに水場も無いみたいだし、探して方角が分からなくなったら本末転倒だし、生でいいか。)
生まれてから一度も病気になった事が無く腹さえ壊したことがないローガだから出来る荒業だ。
実際に村で流行り病が流行った時も、狩った獲物の調理が待ちきれなくて生で肉を食った時もローガはピンピンしていた。
脚が無いとはいえ地球の大型犬に匹敵する体躯のグレイハウンドを焼きもせず、毛も毟らず骨ごと豪快にバリバリ食べるその姿はワイルドというには聊か野生的すぎる。
しかもローガの顔は狼だ。ほとんど共食いしている魔物にしか見えない。
「何だろう?こっちから変な音がする。」
「お嬢様、いけません。好奇心おおせいなのは大変結構ですが、護衛である我々を置いて先に行かれるのは危険です。」
言ってるそばから誰かに見られたら言い訳出来ないその姿を、草木をかき分けて顔を出した9歳ぐらいの女の子にバッチリ見られてしまった。
ちなみに、当のローガはその優れた知覚能力で近くに人がいることをもちろん知っていた。
しかし、客観視というものを知らないローガは、近づいてきてくれるなら正確な町の場所をきけるのでむしろ好都合程度にしか考えておらず放置していた。
その結果……
「きゃーーーーーーーー。化け物ーーーーーーー。」
予想通りすぎる悲鳴を上げられた。
「お嬢様から離れろ化け物め」
たちまち護衛の騎士たちに囲まれ剣を突きつけるられる。
「べふにおでがらちがずいでない。」
おそらく「別におれから近づきて無い」と言いたかったのであろうが、グレイハウンドをガブガブしながら喋っているローガの声は護衛の騎士たちに届かない。
「兎に角お嬢様の安全が最優先だ。牽制しつつ〈アナンダ〉まで後退するぞ。」
騎士たちのリーダーと思わしき人物の一声でじりじりと後退し始めた。
その間ローガは何をしていたのかというと、
(この肉まずいな…。でも残すのは命をくれた獲物に失礼だし食えないほどじゃない。)
未だにお行儀よく食事を続けていた。
騎士たちの姿が見えなくなってしばらくしてローガは食事を終える。
(さて、町へ向かいますか)
どこまでもマイペースであった。
一方〈アナンダ〉では、「領主の娘が護衛の騎士と共に近隣の森を散策中、新種と思われる狼型の魔物に襲われた」との報告を受け門番を増員し警戒態勢が早くも敷かれていた。
そうとも知らず、そんな真っ只中に堂々とアナンダの門前までやってきたローガ。
「報告にあった新種の魔物か!だれか増援を呼んできてれ。」
「白昼堂々と現れやかって、町には一歩も入れさせねえぞ。」
「敵は1匹だ囲め。」
案の定、大騒ぎとなった。
門番から呼ばれた駐屯騎士団が門からワラワラとでてくるのを見てローガは、
(なんかえらい騒ぎになったな。ひょっとして俺……歓迎されてる?)
別の意味で歓迎されていた。
さすがに、囲まれ剣を突き付けられてローガも事態がまずい事に気が付いた。
(何故かまたも誤解されたようだ。こうなったらやはりあれしかないな。)
騎士たちがジリジリと包囲網を狭めていく中、
(そう、魂のボディーランゲージだ!)
突如として奇妙な踊りを開始した。
前回の冒険者たちとの邂逅で結果的に意思疎通できてしまったが故に、彼は「俺の魂のボディーランゲージならいける!」と確信してしまっていた。
騎士たちも困惑していた。
包囲した魔物が突如「ダイジョブ、オレコワクナイ、チョウアンゼン」と壊れたラジオのように繰り返しながら気持ちの悪い動きを開始しからだ。
「隊長、あれは一体何をしているのでしょうか?」
「わからん、ただ全身血まみれのあの様子だと何かしらの儀式かもしれん。」
「っ!あの魔物は魔法が使えるのですか!?」
「可能性は十分にある。各自警戒しろ。」
ちなみにローガは前回から血まみれのままの姿だ。
結果的にローガの気持ち悪い踊り…もとい、魂のボディーランゲージがある種の牽制を果たしており、ある種の膠着状態が作りだされていた。
そんな最中町の内部から、騎士たちの包囲網を割って誰かがやってきた。
「領主様危険です。相手は未知の魔物。どうかお下がり下さい。」
「大丈夫だ。お前らより俺の方が強い。それに、俺の娘を襲った魔物にはやはり俺自身で礼をしてやらねば気がすまん。」
「しかし、御身になにかあれば…」
「くどい。」
そのようなやり取りをしながら現れたのは筋骨隆々の男であった。
彼は、この町〈アナンダ〉の領主ガッデム。かつては身分を隠し冒険者として活躍した経歴をもつ猛者であった。
さすがの彼も、血まみれの姿で激しく踊るローガを見てしばし呆然とする。
(確かに、俺でも見た事が無い魔物だな。…っ!待て、もしかしてこれは!?)
何かに気づいたようである。もしや、奇跡が起きてローガのボディーランゲージが通じた……分けではもちろん無かった。
(なんて………いい筋肉していやがる!獣毛ではじめはわからなかったが実戦…いや、大自然の中で鍛え上げられた実用性重視の素晴らしい筋肉だ!)
ただの筋肉馬鹿だった。
そんな最中、最前列の騎士の一人が意を決してローガに切りかかる。
「待て!」
そこに、ガッデムの待ったがかかり騎士は慌てて剣をひいた。
誰もが見守る中、ガッデムはおもむろに上着を脱ぎ捨て上半身裸になると堂々とローガの前に歩み寄り言い放つ。
「俺がやる。」
ここにローガとガッテムの戦いの火蓋が切っておとされようとしていた。
ローガは突如現れた筋骨隆々の男を魂のボディーランゲージを続けながら観察する。
(なるほど、今までの奴らとは一味違うってことか。)
ガッデムは特に構える様子はないが、強者特有の空気のようなものをローガは感じたようだ。
二人の様子に際限なく緊張が高まる最中、遂にガッデムが動く。
「ハァッ!」
渾身の気合いと共に繰り出されたその技は………アブドミナブル・アンド・サイ。
アブドミナブル・アンド・サイ…それは主にボディビルなどで使われる腹筋と脚の筋肉を強調するポージングである。
凍り付く戦場。しかし、当事者二人はどこまでも熱かった。
(なんだ、こいつ。いきなり出てきたと思えば突然謎のポージングを始めて。もしかして、こいつも俺に何かを伝えようとしているのか?しかし、もしそうだとしても何を伝えようとしているかはさっぱりわからん。…だが何故かはわからないが熱い魂のようなものを感じた。)
そう考えていた矢先ガッデムに動きがあった。
アブドミナブル・アンド・サイから流れるようにして繰り出される、渾身のダブルバイセップス・フロント。
ダブルバイセップス・フロント…それはやはり、ボディビルでよく使われるポージングで両腕の上腕二頭筋を強調しつつ体の前面をアピールするポージングである。
それを見てローガは確信する。やはりこの男も俺に何かを伝えるためにボディーランゲージをしていると。
(ポージングの意味はまったくわからないが、とにかく負けられない!)
なぜか対抗意識まで燃やしはじめた。
一方、ガッデムの方も、
(わしのアブドミナブル・アンド・サイからのダブルバイセップス・フロントの連撃を見て目の色を変えおったな。しかし、ポージングこそ未熟であるがその素晴らしき筋肉はそれでなお輝いておる。ふふ、久々に堪能させてもらおうか!)
こちらもこちらで謎の対抗意識を燃やしはじめていた。
この時、確かに二人は互いの筋肉を通じて交信していた。
………もっとも、意思の疎通は全く出来ていなかったが。
普通ならバトルに発展する展開がなぜかヤロー二人の筋肉の見せびらかし合いに…
どうしてこうなった。