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(1) 虚構と無の共同戦線

青年――夜木斎はかつて『零』であった。他者からの干渉を寄せ付けない、受動的な超能力者。

青年――桐生冥夜は今も『無』である。他者から認識されることのない、超常的殺人鬼。

交わることの無かった二人の運命は、いま交差する。

 果たして自分は何をしているんだろうという感覚に陥る事はよくある。エンドルフィンとアドレナリンをガソリン代わりにフルバーストで脳内駆動させている間には気付かない第三者視点が、ふと目覚めた瞬間にやって来るのである。マグマが地上に出て急速に冷めて、ただの石に成り下がるかのように。

「比喩が暗いんだよ、比喩が。急速変形するならロボットの話でもしてろや」

 思考中断。真っ暗な空に浮かぶ三日月を眺める行為を止めて、声の主に視線をくれてやる。

 細い腕、白い肌。それとは対称的な、闇に溶け込まんばかりに黒いロングコート、黒い髪。二年前から彼の事を知っている僕からすれば、まるで時が止まったかのような好青年であると付け加えておくべきか。

「特にお前と話をするだけ、空気の無駄だよ」

 膝をつき合わせる前に、お前と話をするかどうかをまず最高裁判所や国際裁判所にでも掛け合うべきだと思うね。

 この男――桐生冥夜(きりゅうめいや)に対する文句を書き連ねさせたら最後、ノートの余白が足りなくなる事請け合いである。

「うぜぇ、殺す。死ね、バラされろ、灰になれ、このネクラ野郎」

 こいつの僕に対する文句はその程度である。紙に書き記そうとすればルーズリーフ一行も埋められない、残念な語彙――もとい文句量。幸せの象徴だと思えば実際そうでもなくて、不幸の極め付きかと思えばそれはそれで仏心不足と言えよう。

 とはいえ、反論するのも面倒だ。ネクラ野郎というのは半分ぐらい本当だったりするし、こいつにかかれば本当にそういう目に遭いそうな気がしない事もない。真実味のある文句には反論しない方が吉だ、というのはこいつから学んだのだから、当事者に牙を向くのは本意ではない。

 本気でこいつを捕らえようという奇特な計画があったとしても、きっと捕縛して動きを制限するためなら、縄なんかじゃ足りないんだろうな。

「冗談だろ……? こんな野郎が本当にあの裏木さんの一番弟子だってのかよ」

 そう。裏木――裏木樹という男に、僕等は用があった。そしてそうであるが故に、縁があった。

 この優男こと桐生冥夜の生い立ちは知らないが、彼に対する個人的な不平不満を一切省いて説明するならば、こいつは自分の事を『誰でもない誰か』と言い張る世捨て人の風体なのにもかかわらず、人を殺すことには全く躊躇のない、端から見ても主観的に見ても狂っているように見える男だという事である。とは言え、所詮そこらの感情は第一印象でしかなく、本当は違うのだという事も併記されてこそ、こいつの有りもしない名誉がうだつで支えるが如きの卑小さながらも保たれるだろう。

 コイツが殺しを行う事に『罪』は無く、感情も感傷もありはしない。殺されそうになったから殺す、などといった希薄化された理由付けなどではなく、彼にとってみれば呼吸をするのも人間バラすのも一緒だという事なのである。前科? そんなもの、アリはしない。だから事件にもならなければ捜査は暗礁にも乗り上げず、結果的に迷宮入りもしない。

 そいつが裏木さんと出会って、人を殺すことに関しては多少抑えめになったと聞くが、その脇に差してある日本刀を見ると、恐怖する反面まるで漫画みたいなモチーフだと笑いそうになる。

「――おい、何してんだよ。愛しいカノジョにメールか?」

 夜に輝く液晶画面が、二人の顔をぎこちなく照らす。

「そうだよ。今生の別れになるかもしれないんだしな」

 数年前であれば震えていたはずの指は、しっかりと文字盤を捉えて放さない。その時に出会った凪神楽という女性に、僕はひょっとしたら最後になるかも知れないメールを送る準備をする。

 送るかどうかはまだ分からない。ああは言ったが、少なくとも僕はここで死ぬ気は無いんだから。僕は送信画面のまま、ケータイを仕舞い込む。そしてどうやら時計を見ていたらしい桐生が、ため息を付きながら言った。

「もうすぐ十時だ。七つの星が光る時、だったな」

 で、どうしてそんな殺人狂と僕のような人間が一緒に居られるのかと言えば、この状況が全てを表していると言えよう。

 月明かりが、僕達の最終目標地点を照らす。

「アタリをつけたいんだが、地下だと思う? 最上階だと思う?」

 そこは都会からはちょっと外れた、広大な土地の中にある刑務所。

 裏木樹――通称、神術の名探偵と呼ばれた男は今、この中に居るのだ。





 裏木樹。年は三十代後半、男。

 だが、神術の名探偵という名前そのものを俺は聞いたことがなかった。それもそのはず、あの人はそんな事を一度も標榜したことがないからだ。俺が初めてその名探偵とやらに出会ったのは、殺した人間の数が両手で数えられなくなった頃の事になる。

 両手と言っても二進数だが。

『よぉ。元気に殺してっか?』

 日常に於いてそんな挨拶をされたことは一度も無かった、と言うと全世界に一人ぐらいは居るかのような物言いだが、俺が考える限りそんな奇矯な人間は居ないと世界の普通さを信じよう。

何より俺は他人から人を殺す(サシる)瞬間を目撃されないと言う事については、世界中に密かに存在しているであろう、計画殺人を画策しているクズ共の数倍は自信があった。それがその瞬間に破られたのだから、俺はショックで何もすることが出来なかった。普通なら目撃者も殺すべきであるその手も、反応しなかった。

 長身に黒い帽子、無精ひげ、人生を九割捨てているかのようなやさぐれた表情。俺は獲物から血を払うと、こう言った。

『あんた、俺と似てるな』

 冗談のつもりではなかったが、その男は鼻で笑いながらこう返した。

『ご冗談を。人が殺されるのを見るのは慣れっこだが、人を殺したことは二度もない』

 知っている。こいつは俺の事を知っている。正体不明の殺人鬼の名も、ここで棄てた。

 そしてどうやら、殺人の経験が一度はあるらしかった。落胆している俺を見て、裏木樹は近くまで寄ってきて、肩に手を置いた。俺はまだ刃物を手に持っていたし、それ以外にも隠している武器は様々ある。それなのに、この男は。

 まさか、俺が手出ししないことを知っているというのか。

『まぁそうガッカリするな。それに、こんな加齢臭漂う男と一緒にされても困るだろ。俺はもっとお前に似ている奴を知っている』

 そう言って、俺は裏木樹探偵事務所という、下手をしたら一生縁の無いような場所に連れられた。

そこにはその裏木以外に、二人の女と一人の男が居た。彼は迷うことなく、その男を呼びつけて、俺と向かい合わせた。

『こいつが夜木斎。どうだ、冥夜? 思うところはあるだろう』

 思うところ? そんなもの、あるはずがない。

人間が朝起きて鏡を見るときに、いちいち驚くだろうか。夜木斎という男を見た第一印象が、まさにそれだった。

 身長は俺の方がやや低いか、同じぐらい。後に聞いたが、年齢も一緒らしかった。当然ながら違う事の方が多く、顔の作りはおろか目の色なんて相手が黒で俺が碧、表情はくたびれたようなそれなのに対し、人が多いことに興奮してツヤツヤしだしてる俺が居て、髪の色なんて夜木は芯まで真っ黒なのに、俺はライトグリーンの一本を除けば後は全部茶色――というように、全然違った。髪型がボサボサ、という点なら字面としては一緒だったが。

 そんなこいつと俺、何が同じだってんだ。そう悪態を吐こうとしたとき、向こう側に居る俺が口を開いた。

『根っこに何も無いんだろ。何も無いことが共通してる』

 声も、やっぱり似てなかった。

 ――詳しいことは知らんが、夜木は自分自身のことを、他者から心を閉ざす、つまり干渉を受けない超能力者のようなものだと言っていた気がする。超能力者ってのはもっと漫画やアニメみたいに火とか水とかを操って、他の能力者と一つの街を滅ぼしかねないレベルで争うもんだと思ってたから、ある意味ガッカリさせられたのだが。

 やがて裏木さんが俺の事を紹介すると女が一人だけどん引いていたが、もう片方の女、もとい女の子は場慣れしているのか性格故なのか反応すらしなかったし、夜木斎に至っては嘆息で済まされた事で逆に腹が立ったことを覚えている。

『君は何も持っていないから、殺す事について何も思わないし、殺しても何も残らない。つまり零のベクトルが攻撃に昇華されたら、僕は君みたいになってたワケだ』

 鏡かと思えばそうではなく、同じ人間かと言われるとそうでもなく。しかし、一緒だと言われれば頷いてしまう。俺と夜木斎は、その程度のシンクロニシティだった。

 これが縁、という訳ではなかったが、俺はその後数週間ぐらい殺人をやめて、その代わりにぼおっとしながら何かを考えるようになった。ニコチンのようなモノを身体から排出しきろうとかそんな浅薄な考えではなく、何かを掴むために。

 結局、何かを得られる前に、事態の進展の方が早かったと言えよう。

『裏木樹。殺人幇助ほか数件の罪で、ご同行を願いたい』

 裏木樹もまた超能力者で、全ての事象を見透かす能力を持っているのだという。だったら宝くじの一等でも当てて、誰も寄りつかないような離島で女でもはべらしながら左うちわで暮らせばいいものを、何故彼はこうして探偵というリスキーな、しかも収入が一定でない職業をしているのだろう、という疑問が予てからあった。

 聞く暇は、終ぞ得られなかったワケだが。

 警察側の理屈はこうだ。『殺人犯が分かっていながら殺人を止めないのは幇助に当たる』。こんな無茶苦茶な論理を突きつけられたら、感情が欠落しかけているような夜木斎でも、額に青筋を浮かべるであろう。

 事実、俺に事情を説明してくれている時の、当の夜木の表情は、確かに普段のそれとはちょっと違っていた。普通の人間なら、善悪の判断をしてくれる倫理観みたいなものがあるだろうからヒトゴロシなんて簡単には行わないわけだが、今の彼からはそういうありとあらゆるものが崩れ去ったような、薄ら寒い虚無を感じた。

 零ではなく、虚無。

『警察の上層部から煙たがられているのは、前々から知ってたけどね。ちょっと前にあの人、上層部のある人間を徹底的に糾弾、告発して、逮捕まで持ち込んだんだよあの人』

 そりゃあ、ウザがられても仕方がないわな。

『だけど、今まではそんな事一度も無かったわけだろ? 何で今更こんな事になったんだよ』

 そう言うと、夜木はとうとう首を傾げた。

『さぁ。僕、あの人のプライベートには詳しくないから。あそこの野々上なら、何か知ってるんじゃないか』

 そう言って、彼は主の居なくなった座椅子に腰掛けて本を読んでいる、小さい方の女を指さした。

 小さいと比喩したが本当に小さく、小学五、六年生ぐらいの見た目だった。長い髪を纏めもせずに流している姿は、ある意味古典の教科書に出てきそうな美人を彷彿とさせる。

『あの人、結構友達思いなのよ。私が言えるのはそれだけ。後は本人に聞きなさいな』

 物言いは凄く大人っぽかった。

 と言うより、本人に聞けってどういう事だよ。居なくなったばっかりなんですけど。

『やっぱり、助けに行った方がいいんじゃない? 私達に、何が出来るかは分からないけど』

 平生の、物事に何も心を動かすことなく他者にも深く関わろうとしない無の心に、青々と揺らめく火が付いたようにも見えた。

『桐生冥夜。――僕に、人間の殺し方を教えてくれ』

 それはひょっとしたら、個人的な損得勘定で動くはずの無かった裏木樹という人生の師匠の、背中を見つめているだけなのかもしれない。師匠に倣って人を殺すだなんて、師匠が悪いのか弟子が悪いのか分からなくなってくる話じゃないか。

 だが、だからこそ、俺には俺の言い分がある。人ってのは殺しに対して怨恨とか妄執とか、そういう意味を持たせようとするから理解に苦しむんだ。

『そうやって一時の感情で人間を殺す奴は、アタマの悪い殺人犯と一緒だよ。いいからお前等は黙って一般人みたいに一生を過ごしとけ』

 別段、プロフェッショナルを気取っているわけではなかったが、そうやって安易に”○○だから殺す”だのと使われるのは、俺にとっては侮辱にも似た行為だ。

『そうかよ』

 夜木は本気じゃなかったのか、案外あっさりと折れた。

 価値観とか常識とか、そーゆーよく分からないモノは、誰に言われるでもなく、生まれた瞬間から自分の中で積み木のように組み立てるしか無くて、崩れるときはあっという間だ。

 だから、そういう意味では夜木斎(こいつ)はこの瞬間に『壊れ』てしまったのだと思う。過去の彼を知っている人が居れば参考になるのだが、特に俺の場合は知らん奴と無理矢理交流を持つのはどうかと思うので、割愛。ひょっとしたら器用にも夜木は『壊し』たのかもしれないが、本当の所はよく分からない。俺はあいつそのものではないからな。

 だが少なくとも一つ分かることは、そんなものは端っから存在しないということぐらいか。存在しないモノは『壊れ』ようが『壊し』ようが結局同じ、無でしかない。

 本当に、一筋縄ではいかない俺たちである。

 ――はい、回想と説明終わり。今は、目の前の事に集中しよう。

「――応援とかは居ないのか?」

 時計を見ながら、夜木斎が言った。

「居ても犠牲が増えるだけだろ。外からの応援はない方がお互いのためだ」

 だが、まぁ。中に一人、居ないわけではない。もしもそいつを救い出して、尚且つ仲間に出来たなら、この所謂ミッションみたいなものは、簡単に達成できるに違いない。しかし、今回は後回しにしても仕方がないと思っている。

「いいよ。僕は僕で出来るから、君は君の用事を平行しながら行えばいいさ」

 夜木がそう言った瞬間、街の向こうが明滅した。

「始まったか。……って言うか、あんなに街中に火を放ったら、明日までに街が焼け野原になるぞ」

 やや遅れて、轟音が響き渡る。今日という日のために、シンパの奴らに頼み込んで街の主要施設にあらかじめ火を放たせたのだ。ここに警察機構が集中するのを防ぐのと、全員が外に注意を向ける事を狙ってのことである。

「大丈夫だよ。ほんの警察消防、小中高大、県議会、県庁、市庁舎だけだから」

 その時点で既に九ヶ所も燃えているのだが。

「僕達も行こう。せっかくみんなに作って貰ったチャンスを、フイにする訳にはいかない」

 こいつは石橋を叩いた後にそのまま橋を壊して、新しく綺麗な橋を建設するタイプのようだ。

「おい、入り口は金網だから楽々破れるんじゃなかったのかよ」

「いや……刑務所っていうのは、敷地内は金網に囲まれていて、二階建てぐらいの低く広い建物があるものだとばっかり」

しかし眼前にある刑務所と思わしきそれは、普通の高層ビルのような見た目だった。俺も一瞬間違えたのかと思ったが、名前がでかでかと書いてあったから間違いではないだろう。

 こういうのは、やはり時代の流れなのだろうか。

「俺が居なかったら、単独強行突破どころの話じゃなかっただろ。お前は刑務所に何を思い描いてたんだ」

「ごめん。……映画に出てくるのはそういう刑務所ばっかりだったから」

「お前が観たのは海を越えた所にありがちな、黒人の囚人に対しては非人道的な扱いをするような白人刑務官が居るような刑務所だろ?」

この国をなめんなよ、囚人十数人に対して警官一人か二人しかつかないんだぞ? それで誰も謀反を起こさねーんだから、治安の良さをもっと誇るべきだ。

 夜木は俺がそうまくし立てているのを馬耳東風とばかりに無視し、入り口の自動ドアが自動で開かないのを確認していた。

「冥夜。ガラス割るの?」

「通り抜けフープはまだ発明されてないんでね」

 俺はそう言うと、懐から取り出したナイフを一本、徐にガラスに突き立てた。そのまま大きく円を描くようにナイフを動かしてから引き抜く。これで入り口の型は完成したのだが。

「やれば出来るじゃないか」

 取って付けたような褒め言葉を述べながら、夜木がその入り口に手を差し伸べる。

「待っ――」

 俺の注意が無かったのを悔やむべきか、それとも夜木の不注意を叱るべきかは、俺ら以外の誰かに任せるとして。

 扉の向こう側に向かって円形に切り取られたガラスの破砕音が鳴り響く事になるという、初歩的ミスを取り返す程の余裕が、果たして夜木斎という男にはあるのだろうか?

 あるならあるでいいのだが。無くても別にしょうがないと思っていたが。

 誰か、この警報音を早く何とかしてくれ。


旧作を読んでいない方を若干置いてけぼりにしている感はあるかもしれませんが、そこら辺についてはしっかり次回以降で補完しますのでしばらくお待ちください。

ちなみに筆者が少し前にアップした短編とキャラ名で若干のかぶりが生じたりしていますが、一応別人という体です。あらかじめご了承を。

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