パパは(元)勇者
こんにちは、灯野です。
以前から温めていた短編のアイデアがようやくまとまり、1話を書き上げることができました。
今回の物語のモチーフは、以前よく聴いていたラジオ番組で放送されていたラジオドラマです。
個人的にとても気に入ってしまい、いつか自分でも物語にしてみたいと思っていたんですよね。
掘り下げていけば、もっと面白い物語になりそうな気もしますが、今回は短編として書かせていただきました。
ぜひ、読んでみてください。
うちのパパは、ちょっと変だ。
いや、別に変な人というわけじゃない。
仕事にはちゃんと行くし、家族のことも大切にしてくれる。休日には買い物にも付き合ってくれるし、頼めば大抵のことはやってくれる。
どこにでもいる、ごく普通のお父さん。
……だと思う。
「希望、そろそろ時間だぞ」
パパの声が聞こえてくる。
「分かってるって。あと五分!」
「その五分で何回遅刻しかけてるんだよ」
朝食の席で、弟の誠人が呆れた声を出した。
「うっさいわね!。誠人だって昨日、寝坊したじゃん」
「俺は間に合ったし」
「はいはい。二人とも、ご飯を食べてからにしましょうね」
ママが、いつものように間へ入る。
うちのママは、普段はおっとりしている。
怒ると怖いけど。
それはさておき。
私はトーストをかじりながら、向かいに座るパパを見た。
パパは新聞を読みながら、味噌汁を飲んでいる。
四十五歳。
会社勤め。
趣味は特にないらしい。
休日は家でのんびりしていることが多い。
こうして見ると、本当に普通のお父さんだ。
「お父さん、今日も帰り遅いの?」
「んー、どうだろうな。今日はちょっと仕事が立て込んでるからな」
「ふーん」
私は適当に返事をして、トーストにかじりついた。
そのときだった。
パパの手元から、箸が滑り落ちた。
あ、落ちる。
そう思った瞬間。
パパの手が動いた。
箸は床に落ちることなく、パパの指に収まっていた。
「……え?」
私は思わず声を漏らした。
「ん?」
パパが顔を上げる。
「今の、何?」
「何って、箸を拾っただけだろ?」
「いや、拾ったっていうか……落ちる前に取ったよね?」
「そうだったか?」
パパは首を傾げた。
いやいや。
今のは絶対におかしい。
箸が落ちるまで、ほんの一瞬だった。
普通、あんなふうに取れる?
「お父さん、昔からそうじゃん」
誠人が、味噌汁を飲みながら言った。
「そうなの?」
「うん。俺が小さい頃、投げたボールとかも全部取ってたし」
「へえ……」
私はパパを見た。
パパは、何事もなかったかのように箸を持ち直している。
……まあ、いいか。
昔からそうなら、今さら気にしても仕方ない。
そう思ったところで、時計が目に入った。
「やばっ! もうこんな時間!」
私は慌てて立ち上がった。
「だから言っただろ」
「誠人、先に行くからね!」
「はいはい」
鞄を掴み、玄関へ走る。
「希望、忘れ物はない?」
ママの声が聞こえた。
「大丈夫!」
「気をつけてね」
「いってきまーす!」
玄関を飛び出す。
今日も、いつもどおりの朝。
……のはずだった。
*
「姉ちゃん、待って」
少し遅れて、誠人が玄関から出てきた。
「遅いよ」
「姉ちゃんが早すぎるんだって」
「はいはい」
私たちは並んで歩き始めた。
学校までは、いつもの道。
途中で友達と合流して、いつものように話をしながら登校する。
そんな何気ない日常。
だけど、さっきのパパのことが、少しだけ気になっていた。
「ねえ、誠人」
「ん?」
「パパってさ、昔からあんなに反射神経よかったの?」
「……何が?」
「箸とかコップとか、落ちる前に取るやつ」
「ああ」
誠人は、少し考えるような顔をした。
「まあ、そうじゃない?」
「なんで?」
「知らないよ。パパだし」
「……何それ」
私は思わず笑った。
確かに。
パパは、パパだ。
昔からちょっと変で。
でも、優しくて。
家族のことを大切にしてくれる。
そんな、うちのお父さん。
だから、私はそのことを深く考えなかった。
まさか、あのパパが。
普通のサラリーマンとは、少し違う人生を歩んできた人だなんて。
このときの私は、まだ知らなかった。
※
子供達が出かけ、食卓には、裕貴と明香里だけが残った。
「……相変わらずね」
「何が?」
「あなたの反射神経」
「そうか?」
裕貴は不思議そうに首を傾げた。
明香里は、そんな夫を見て小さく笑う。
「ふふ。そういうところも、あなたらしいわね」
「なんだよ、それ」
裕貴は苦笑しながら、残った朝食を片付け始めた。
いつもどおりの朝。
いつもどおりの家族。
そして、いつもどおりの父親。
ただし、その反射神経だけは、少しばかり普通ではなかった。
子どもたちを送り出した後、裕貴は出勤の準備をしていた。
洗面所で髪を整え、ネクタイを締める。
鞄を持ち、玄関へ向かおうとした、その時だった。
――ピリッ。
微かな魔力の気配が、家の奥から漂ってきた。
裕貴の足が止まる。
「……ん?」
その気配は、物置の方からだった。
裕貴は少しだけ眉をひそめる。
「おいおい。こんな朝っぱらからか?」
その声を聞いて、明香里が顔を出した。
「どうしたの?」
「物置から魔力が漏れてる」
「あら。もう来たのね」
「……もう?」
裕貴が振り返る。
明香里は、しまったというように口元を押さえた。
「ふふ。昨日、オリヴィエさんから連絡があったのよ」
「聞いてないぞ!」
「だって、あなた、昨日は疲れていたでしょう?」
「いや、そういう問題じゃないだろう……」
裕貴は頭を抱えながら、物置へと向かった。
扉を開ける。
そこには、いつもの物置があった。
掃除道具。古い段ボール。使わなくなった家電。
そして、その奥に。
異世界研究室へとつながる、転移門が存在していた。
門の向こう側から、二つの人影が近づいてくる。
「裕貴様!」
明るい声が響いた。
「お久しぶりです!」
最初に現れたのは、長い耳を持つ美しい女性。
賢者オリヴィエ。
かつて魔王討伐を共にした、裕貴と明香里の旧友だった。
その後ろから、もう一人の大男が姿を現す。
「おおっ! 裕貴! 元気だったか!」
豪快な笑い声。
バトルマスター、ステファン。
かつて魔王軍との戦いで、幾度となく裕貴の背中を守った戦友だ。
「……お前らなあ」
裕貴は、深いため息をついた。
「来るなら先に連絡くらいしてくれよ」
「昨日、連絡したではありませんか」
「俺じゃなくて、明香里にだろ!」
オリヴィエは、きょとんとした顔をする。
「それは……失礼しました」
「いや、失礼しましたじゃないよ」
ステファンは、そんな二人のやり取りを見て大笑いしていた。
「ははは! 相変わらずだな、お前たちは!」
「お前は笑ってる場合じゃないだろ!」
裕貴はステファンを指差す。
しかし、ステファンは気にする様子もなく、裕貴の肩を叩こうとした。
「まあまあ、久しぶりなんだ。そう怒るなよ!」
その手が、裕貴の肩に触れる直前。
裕貴は自然な動作で半歩ずれた。
ステファンの手が空を切る。
「……お?」
「お前、相変わらず力加減が下手なんだよ」
「そうか? 昔はよく受け止めてくれただろう?」
「昔の話だろ!」
明香里が、くすくすと笑いながら二人に声をかけた。
「二人とも、久しぶりね。元気そうで何よりだわ」
「明香里様! お久しぶりです!」
オリヴィエが嬉しそうに頭を下げる。
「おお、明香里! 元気そうで何よりだ!」
ステファンも笑顔で挨拶した。
「二人とも、どうぞ上がって。お茶を淹れるわね」
「ありがとうございます」
オリヴィエが礼儀正しく答える。
ステファンは、物置の中を見回した。
「しかし、ここが勇者の家か……」
「いや、普通の家だよ」
裕貴は即座に答えた。
「俺も今は普通の会社員なんだからな」
「会社員……?」
ステファンは、聞き慣れない言葉に首を傾げる。
オリヴィエは興味深そうに頷いた。
「なるほど。現代社会における勇者様の新たな役割ですね」
「いや、そういう大層なもんじゃないから」
裕貴は時計を確認した。
そして、顔をしかめる。
「……やべ。もうこんな時間か」
「どうしたのですか?」
「会社。遅刻する」
「会社……?」
ステファンは再び首を傾げた。
裕貴は鞄を持ち直す。
「悪い。俺、これから仕事なんだ。詳しい話はまた今度な」
「お仕事ですか。では、私たちはここで待たせていただきます」
「いや、待つなよ! 普通に帰れよ!」
「せっかく来たのですから」
「そうか! じゃあ、俺たちはここで待っているぞ!」
「お前もかよ!」
裕貴は頭を抱えた。
明香里は、そんな夫を見て微笑んでいる。
「ふふ。いいじゃない。久しぶりなんだから」
「……明香里まで」
裕貴は諦めたようにため息をついた。
「分かったよ。とりあえず、帰ったら話を聞くからな」
「はい!」
オリヴィエが嬉しそうに頷いた。
「おう! 楽しみにしてるぞ!」
ステファンも豪快に笑う。
裕貴は玄関へと向かった。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
明香里が見送る。
そして、玄関の扉が閉まった。
残された三人は、しばらく顔を見合わせる。
「……さて」
明香里は、二人に向かって微笑んだ。
「お茶にしましょうか」
「ありがとうございます」
「おお! 楽しみだ!」
その頃、裕貴は通勤電車の中でスマホを確認していた。
明香里からのメッセージが届いている。
『オリヴィエさんたち、今日は泊まるそうよ』
「……マジか」
裕貴は、スマホを見つめたまま深いため息をついた。
今日も、いつもどおりの一日が始まる。
――はずだった。




