女好き令息と男好き令嬢の、よくある悪趣味な契約結婚
──これが噂の男好き令嬢か。
濡れているような艶やかな黒髪に、薔薇よりも赤い瞳と唇。
ギリギリまで肌を露出した下品なドレスは、彼女の魅惑的な肉体を引き立てている。
深い胸の谷間に、片手でも掴めそうな細い腰。触れたらどんなに素晴らしいのだろうと想像しては、目が離せなくなる。
わかる。
彼女は僕と同類だ。同類は結婚には向かないし、遊ぶには冷めていてつまらない。
それでも、一度は彼女のような女性を抱いてみたいと思うのが、男の性というものだ。
ならば、契約結婚をしてはどうだろうか。期限は……互いの身体に飽きるまで。互いの私生活には干渉しないし、もちろん遊んでも構わない。
幸運なことに、僕は自由な三男だ。家のためでも金のためでもない、ただ快楽を貪るためだけの結婚。最高じゃないか!
そうと決めたら即実行。
見るだけで女が失神するというキラースマイルを浮かべ、「契約結婚しませんか?」と口にしていた。
──これが噂の女好き令息ね。
絹糸みたいに繊細な銀髪に、アメジストよりも鮮やかで獰猛な紫色の瞳。
チェスターコートの上からでもわかる、筋肉質な身体は魅惑的で、すらりと伸びた長い足との完璧な造形美にため息が出る。
抱き締められたらどんなに素晴らしいのだろうと想像しては、目が離せなくなった。
「契約結婚しませんか?」
とろけるような笑みでそう言われ、私は即「いいわ」と返事していた。
だって、彼は私と同類だもの。結婚には向かないし、火が点かないから遊んでも燃えない。
欲を満たすためだけの、なんの責任もない期限付きの結婚。最高すぎるわ!
こうして女好き令息と男好き令嬢は、契約した僅か一週間後に、ど派手な結婚式を挙げた。
悪趣味、ひと月ももたないだろうと、周囲に眉をひそめられながら。
そんな二人の、よくある契約結婚の顛末をご覧いただこう。
◇
なぜだ……
結婚式を挙げたその夜、腕枕でぐったりと眠る花嫁を見て、僕は混乱していた。男好き令嬢のくせに、なぜ『初めて』だったのかと。
眠ってしまわれては理由を訊けず、僕は一睡もできぬまま、悶々と朝を迎えた。
翌朝、彼女の身体を清めながら理由を訊いたところ、やや呆れたようにこう言われた。
「遊びなのに身体を許すわけないでしょ? 結婚もしていないのに、子どもができたらどうするのよ」
と──
「じゃあ君がしていた遊びとは何だ?」と問えば、恋人とペアシートに座って舞台を観たり、腕を組んで夜の街を歩いたり、仮面舞踏会で殿方の筋肉に触れたり……と、楽しそうに答える。
令嬢としては決して品行方正とは言えないが、僕からすれば至極普通のデートだった。
どうやら男と女とでは、『遊ぶ』の概念が違うらしい。
非常に驚いた初夜ではあったが、彼女の魅惑的な身体を最初に味わったのが自分だと思えば、気分が高揚する。
朝日の中で目をこする彼女が、意外と可愛らしいのにも気付き、まだまだ飽きるまでには時間が掛かりそうだと思っていた。
それから、僕は毎晩彼女を抱いた。
これまでどんな女性を抱いても、理性を乱されることなどなかったのに、彼女に触れた瞬間制御が難しくなる。
心も身体も余裕などないのだから、外で遊ぶ気にもならない。僕の胸にむにゃむにゃとすり寄る彼女を抱き締め、今夜も甘く気だるい眠りに就いた。
そんな日々に満足していた僕だが、彼女はそうではなかったらしい。
たまにはこういうのじゃない遊びもしたいと言われ、普通のデートに誘ってみた。
ペアシートに座れば、かつて彼女の隣に座っていた男にもやりとした感情を抱き、舞台に集中する彼女をくすぐったりと、何度も邪魔してしまった。街を歩く時は、腕ではなく彼女の腰を抱くし、仮面舞踏会では顔を寄せるたびにキスをする。
別にいいだろう? 契約結婚とはいえ、夫の権利だ。
そのうち彼女の下品なドレスが気になり始め、ああでもないこうでもないと文句を言っては、『妻』に相応しい上品なドレスを仕立てた。
新しいドレスを着て、なんか変な感じと膨れっ面をする妻に、僕はネックレスを贈る。ダイヤモンドに囲まれた大粒のルビーを見て、妻は「派手で素敵! 私に似合うわ!」と喜んでくれた。
たらふく食事をした後、芝生の上で大の字に寝転がる妻。
おいでと言えば、いつでも胸に飛び込んで来てくれる妻。
おいでと言わなくても、たまに僕を積極的に押し倒す妻。
新しい顔はもちろん、見慣れた顔にも飽きることはない。
せっかく遊んでいいのに遊ばないまま、僕たちの結婚生活はあっという間に一周年を迎えた。
結婚記念日を祝う夕食の席で、二年目もこんなふうに続いていくんだろうなと思っていた矢先、突然妻から『契約を終了したい』と切り出されてしまった。
◇
「なぜ男と遊んでいたくせに初めてだったんだ?」
昨日結婚式を挙げたばかりの花婿にこう訊かれ、私は呆れる。
男の『遊ぶ』ってそういうこと? 動物みたいね。
それでも夕べは彼の生筋肉を堪能できたし、私の身体を清めてくれる手付きはすごく優しい。
たちまち火照り出す顔を、目をこすったりして誤魔化しながら、まだまだ飽きるまでには時間が掛かりそうねと思っていた。
それからも、彼は毎晩私を抱いた。
遊びに行かなくていいの? と問えば、君で手いっぱいでそんな余裕はないと返される。
じゃあ、たまにはこういうのじゃない遊びもしたいわと言えば、デートに連れ出してくれた。
どこへ行っても何をしていても、常に身体か唇が密着していたけれど、夜とは違う服越しの筋肉を堪能できて、私は幸せだった。
そのうち、彼は私のドレスにうるさく口を出すようになった。やれ胸が開きすぎだの、身体の線を強調しすぎだのと、文句を言ってはデザイナーを困らせている。
こういう身体なんだから下品なデザインでいいの! 似合ってるでしょ!? と言うが、彼は納得しない。
私は面倒になり、彼に言われるがままに控えめで上品なドレスを着るようになった。最初は違和感があったけれど、『夫』が仕立ててくれたものだと思えば悪くはない。
それに、シンプルなデザインだからこそ、夫から贈られた派手なネックレスが映えることが嬉しかった。
苦手な野菜を、「もっと食べな」とさりげなく私の皿に入れて処理する夫。
「素敵、痺れる」と褒めるだけで、耳を真っ赤にして喜ぶ夫。
おいでと言われて胸に飛び込べば、逞しい胸筋の下で、少年みたいに鼓動を跳ねさせる夫。
新しい顔はもちろん、見慣れた顔にも飽きることはなかったけれど……
夫の方は飽きてしまったかもしれない。
最近、夫の帰りが遅くなった。酷い時には、明け方になることもある。
仕事が忙しいと言うけれど、脱いだシャツからは、いつも女性用の香水の臭いが漂っていた。
以前なら「遊んできたの?」と訊けただろうが、今は怖くて訊けない。訊いたら最後、この結婚生活が終わってしまうかもしれないからだ。
ではなぜ、たかが契約結婚を終わらせたくないのか……
その理由は、自分でもよくわかっていた。
たとえ遊んでいるにせよ、夫が契約を終了しないということは、まだ私の身体に未練があるのだろう。
ならば……と、私は帰宅した夫を押し倒し、噛みつくようなキスをした。
たとえ契約結婚だろうが、今は私の夫だ。誰にも渡したくないと、獰猛な自分を刻みつけた。
けれど、結婚一周年を目前にして、私は終わりを悟ってしまった。
新しい命が、お腹に宿ったのだ。
夫はきっと望んでいない。だって、どんなに肌を重ねても、そうならないようにと気を付けていたから。この子は、私が主導権を握ったあの夜に授かった奇跡だった。
そうと決めたら即実行。
私は身ごもったことを隠して、夫に淡々と契約終了を告げた。
◇
「……僕に飽きたのか?」
泣きたくなるのを堪えそう訊けば、「はい。飽きました」とキッパリ返される。
「飽きないようにがんばるから、あと一年、契約を延長してくれないか?」
そう食い下がれば、妻は怪訝な顔をする。
「なぜそこまで? あなたも私に飽き始めているのでしょう? 外で済ませていらっしゃるからか、夜もすっかりご無沙汰ですし」
間違いない。妻は誤解していると気付いた僕は、慌ててある小箱を取り出し、妻に差し出した。
「最近帰りが遅かったのはこれが理由だ。開けてみてくれ」
妻は硬い表情で小箱を開けるが、中身を見た途端、あっと目を丸くした。
「香水……?」
「うん。今度うちの化粧品事業から、香水ブランドを立ち上げようと思って。看板商品の香水は、君の香りをイメージして調合したんだ。薔薇みたいに華やかなのに、無邪気でどこか可愛らしい。納得のいく香りになるまでに、ずいぶんこだわったせいで、時間が掛かってしまったよ」
さあ嗅いでみてと促すが、妻は香水の瓶を見つめたまま険しい顔で口を開く。
「……帰りが遅かった理由はわかったわ。でも、それと私を抱かなかったのには何の関係があるんです?」
「君の香りを作るのに、あえて君の香りを嗅ぎたくなかったんだ。なんというか……身体ではなく、君の内面の香りを表現したかったから」
「……何よそれ。ちっともわからないわ。こっちは、どんなにあなたに触れたかったか。どんなにあなたが恋しかったか!」
ボロボロと涙を流す妻に「おいで」と言えば、猪みたいな勢いで胸に突っ込んできた。僕はヒリヒリする胸筋で妻を受け止め、両腕でしっかりと包み込んだ。
「ごめん。内緒でプレゼントしたかったから、何も言えなかったんだ。まさか君が泣くほど僕を恋しがってくれているとは思わなかった」
「恋しくなんてないわ! あなたじゃなくて、あなたの筋肉が恋しかっただけよ!」
「僕もつらかったよ。愛する妻をずっと抱けなかったんだから」
僕の言葉にさらに泣き出してしまう妻は、やっぱり可愛い。
背中を撫でたり、膝に乗せたりしてあやすと、妻はやっと落ち着いてくれた。
「──私たちの邪魔をしたんだから、さぞかしいい香りなんでしょうね」
言葉とは裏腹に、嬉しそうに香水瓶の蓋を開ける妻だが、顔をしかめすぐに蓋を閉じてしまった。
「どうした? におい、強すぎる?」
「ううん……そうじゃないの。実は……」
思いもよらない告白に、僕は驚く。妻の腹部に手を当てれば、喜びがじわじわと全身を駆け巡った。
「あの夜の子か? 君が押し倒してくれた時の」
「やだ! 言わないでよ!」
「あの夜はすごかったな。可愛い妻に押し倒されて、僕もつい……抑えが効かなかったよ」
「……でも、本当はほしくなかったんでしょう? あなたはずっと気を付けていたもの」
「それはまあ、一応契約結婚だから。女性の身体は守らないと。それに、子どもができたらどうするのって、君も言っていたじゃないか」
「それはっ、結婚していない場合の話でしょう? 契約結婚だろうが結婚は結婚なんですから、別によかったのに。……いざという時は、 一人で育てる覚悟もしていたのよ」
「そうなの?」と問えば、妻は鼻を啜りながらこくんと頷く。そんな妻が愛おしくて、僕は濡れた頬に何度もキスを落とした。
「契約、延長してくれるか?」
「いいわ。期限はどうする?」
「君が僕の身体に飽きるまで。延長じゃなくて更改だな」
ふわりと妻を抱き上げ、ベッドに向かおうとする僕に、妻は慌てて言った。
「しばらくダメよ! お腹の子に障るわ」
「……あ。そうか」
「悪いけど、私だけ触らせてもらうわ。久しぶりの生筋肉を一晩中」
「そんな……生殺しじゃないか!」
「ふん。我慢して。胎教のためよ」
こうして僕らは、契約を更改した。
ひと月ももたないと言われていた結婚生活は、気付けば三十周年を迎え、今やちょっとした伝説となっていた。
◇
悪趣味な契約結婚を続けて三十年。
娘たちが嫁ぎ、私たちはまた二人きりになった。
私は変わらず……というか、ますます夫に恋しているし、夫の筋肉にも飽きることはない。あの時、更改して正解ね。
三十周年の結婚記念日は、レストランを予約した。美味しい料理を楽しみながら、三十一年目もこんなふうに続いていくんだろうなと思っていた矢先、突然夫から『契約を更改したい』と切り出された。
もう三十年ですもの。さすがに私に飽きたのかしらという不安は、夫から渡された楽しい条文ですぐに吹き飛んだ。
『週に二回は必ずデートする』
『毎年必ず二人で海外旅行に行く』
『結婚記念日にはホールを貸し切りにして、二人きりで舞台を見る』
「ねえこれ! 結婚記念日にはホールを貸し切りにっていうの。もしかして、今日叶っちゃう?」
「うん。更改してくれるなら、たった今から効力が発生するけど。どうする?」
「するする! 更改する! なんてロマンチックなの……。ありがとう、あなた。大好き!」
私は、キラースマイルを浮かべる旦那様に抱き付き、真っ赤な耳をかぷっと甘噛みした。
ありがとうございました。




