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婚約破棄され夏の夜に捨てられた悪役令嬢のわたしを、冷徹な辺境伯様が拾ってくれた。ただ一つ——わたしを嗤ったあの人たちが消えた夜から、空には毎晩、花火が上がるのです

作者: 蜜月 憂
掲載日:2026/07/13

「セシリア・ローウェル。貴様との婚約を、破棄する」


真夏の夜会で、王太子殿下は、そう言い放った。


大広間に、どよめきが走る。


殿下の隣で、涙ぐんでみせる令嬢の姿が、目に入った。


わたしが彼女を、階段から突き落とそうとした——それが、わたしにかけられた罪だった。


「殿下。それは、誤解でございます。わたしは、そのような……」


「見苦しい。証人も、証拠もあるのだ」


弁明は、ひとことも、聞き入れられなかった。


証人として立った使用人も、証拠として掲げられた手紙も、すべて、偽りだった。


けれど、それを暴く時間も、味方も、わたしにはなかった。


罪を着せられた相手の令嬢は、皮肉にも、いつも、わたしが庇っていた娘だった。


夜会でいつもひとり、隅に立っていた彼女に、わたしが声をかけ、輪に入れてやっていたのだ。


その彼女が今、殿下の腕に縋って、わたしを指さし、涙を流している。


「ひどい……! セシリア様は、いつも、陰でわたしを……」


嘘だ、と、叫びたかった。


けれど、殿下の目は、とうにわたしから、その娘へと移っていて。


わたしの居場所は、もう、この城のどこにも、なかった。


その夜のうちに、わたしは薄いドレス一枚で、城の裏門から、追い立てられた。


真夏だというのに、夜の風は、冷たかった。


行く当てなど、あるはずもない。


わたしは、街道の端に蹲って、ただ、震えていた。


夜が、更けていく。


このまま、朝が来る前に、消えてしまうのかもしれない。


そう思ったとき、不思議と、涙は止まっていた。


——もう、誰にも、要らないと言われずに済むのなら。


それも、悪くないのかもしれない、と。


そんなことを、ぼんやり考えていた、そのとき。


——だから、その人が目の前に立ったとき、わたしは、幻を見ているのだと思った。


「——こんなところに、いたのか」


低く、静かな声だった。


見上げると、夜目にも際立つ、濡れ羽色の髪。


冷徹と恐れられる辺境伯、アイザック・グレイ様だと、わたしはあとから知った。


「お前が、セシリア・ローウェルだな」


「は、はい……。あの、どうして、わたしの名を」


「探していた」


彼は、それだけ言って、纏っていた外套を、わたしの肩に掛けた。


「もう、大丈夫だ。君を傷つけるものは、もう、何もない」


その声が、あんまり静かで、あんまり優しかったから。


わたしは、こらえていた涙を、ぽろぽろと、こぼしてしまった。


「立てるか。……いや、いい」


アイザック様は、わたしの返事を待たずに、わたしを横抱きに抱え上げた。


「あ、あの、自分で……」


「駄目だ。君は、凍えている」


その腕は、岩みたいに硬くて、けれど、どこまでも、あたたかかった。


「なぜ、わたしなんかを、助けてくださるのですか」


「……理由は、いらないだろう」


彼は、前を見据えたまま、短く答えた。


「困っている君が、目の前にいる。それで、じゅうぶんだ」


* * *


辺境伯家での日々は、驚くほど、甘かった。


冷徹だという噂が、嘘みたいに。


アイザック様は、わたしを、壊れ物みたいに甘やかしてくれた。


「痛かっただろう。……こんなに、細い手首に、縄の跡まで」


彼は、わたしの手首の痣に、そっと唇を寄せた。


「もう、誰にも、こんなことはさせない。……約束するよ」


彼は、わたしが少しでも塞ぎ込むと、すぐに気づいて、そばに来た。


「どうした。……また、あの夜のことを、思い出したか」


「いえ。……ただ、少し、信じられなくて。こんな穏やかな日々が、わたしなんかに、あるなんて」


「あるさ。これからは、ずっとだ」


彼は、わたしの頬を、大きな手で包んだ。


「二度と、君に、あんな顔はさせない。……絶対に」


その声が、あんまり真剣で。


わたしは、泣きそうになりながら、頷いた。


朝は、わたしの好きな果実の水菓子。


昼は、風の通る部屋で、他愛のない話を。


夜は、眠るまで、静かにそばにいてくれる。


こんな幸せが、あっていいのだろうか。


理不尽に、すべてを奪われたはずの、わたしなんかに。


——そして、その夜から。


夏の夜空に、毎晩、花火が上がるようになった。


初めてそれを見たのは、拾われた翌日の夜だった。


どおん、と、遠くで音がして。


夜空に、大輪の光が、ひとつ、咲いた。


「まあ……! 花火」


「気に入った?」


いつのまにか隣に来ていたアイザック様が、わたしの肩を抱いた。


「綺麗ですね。何かの、お祝いですか」


「ああ。……君の、門出を祝う花火だよ」


「わたしの?」


「そう。君が、この家に来てくれた。……それ以上の、めでたいことが、あるかな」


彼は、そう言って、静かに微笑んだ。


「アイザック様は、花火が、お好きなのですか」


「昔は、そうでもなかった」


彼は、夜空を見上げたまま、ぽつりと言った。


「でも、今は……好きだよ。ひとつ空に上がるたびに、君のまわりが、少しずつ、綺麗になっていく気がするからね」


「わたしの、まわり?」


「ああ。……余計なものが、ひとつずつ、消えていく」


不思議な言い方だと思った。


でも、そう言って微笑む彼が、あんまり穏やかだったから。


わたしは、それ以上、深くは考えなかった。


その横顔を、夜空の光が、赤く、青く、照らしていた。


* * *


花火は、それきりでは、なかった。


次の夜も、その次の夜も。


夏の夜空には、決まって、花火が上がった。


一発、また一発。


まるで、何かを、ひとつずつ、数えるみたいに。


「アイザック様。毎晩、こんなに花火を上げて……もったいなくは、ないのですか」


「ちっとも。君が、喜んでくれるならね」


彼は、テラスの椅子から、じっと夜空を見上げていた。


その目は、花火の美しさを、見ているようで。


どこか、別のものを、見ているようでもあった。


「……今夜は、ひとつだけ、だな」


ぽつり、と、彼が呟いた。


「今夜は、ひとりぶん、しか」


「ひとりぶん?」


「いや。……こちらの話だよ」


彼は、わたしの髪を撫でて、話をそらした。


——ただ、不思議なことが、あった。


花火が上がった、その翌朝には。


決まって、奇妙な報せが、届くのだ。


「奥様。……その、王都から、報せが」


ある朝、青ざめた侍女が、そう告げた。


「わたしを断罪した、あの夜会にいた、殿下の側近の方が……ある晩、忽然と、姿を消したそうです」


わたしは、言葉を失った。


その側近は、わたしを陥れた偽の証拠を、揃えた張本人だった。


* * *


奇妙な失踪は、それから、続いた。


わたしに階段から突き落とされたと偽証した、あの令嬢。


わたしに罪を着せる手紙を書いた、あの使用人。


夜会でわたしを嘲笑った、取り巻きの令息たち。


ひとり、また、ひとり。


夏の夜に溶けるように、この世から、姿を消していった。


そして、そのどれもが。


前の夜に、花火が上がった、翌朝のことだった。


その頃、辺境の屋敷を訪ねてきた老貴族が、お茶の席で、こう漏らした。


「いやはや、王都は、えらい騒ぎですぞ。あなたを断罪した方々が、次々と、神隠しにでも遭ったように、消えておられる」


「神隠し、ですか」


「ええ。まるで、誰かが、あなたの無念を、晴らして回っているようだと。……もっぱらの、噂でしてな」


わたしは、なんと答えていいか、分からなかった。


正直に言えば——胸の奥が、少しだけ、すっとした。


もう二度と、あの人たちに、嗤われずに済むのだと思うと。


そんな自分に、ほんの少し、うしろめたくなりながら。


「アイザック様。あの、最近、妙な報せばかりが、届くのです」


わたしは、思いきって、尋ねてみた。


「わたしを、苦しめた方々が、みんな……いなくなってしまうなんて」


アイザック様は、ティーカップを傾けたまま、少しも動じなかった。


「気にしなくていい」


そして、いつもの穏やかな声で、言った。


「悪いことをした人間には、相応の報いがある。……それだけのことだよ」


「でも、こんなに続くなんて、まるで……」


「セシリア」


彼は、カップを置いて、わたしの手を、両手で包んだ。


「君は、ただ、幸せに笑っていればいい。……あとは、全部、僕がやるから」


その手が、あんまり温かくて。


わたしは、それ以上、何も言えなくなってしまった。


きっと、偶然なのだ。


きっと、悪いことをした人には、天罰が下るのだ。


そう思うことにして、わたしは、微笑んだ。


けれど、その夜。


眠る前に、わたしは、ふと、思ってしまった。


花火が上がった、次の朝。


決まって、誰かが、消える。


まるで——空に咲いた花火の数だけ、誰かが、この世から、いなくなっているみたいに。


そこまで考えて、わたしは、慌てて、首を振った。


いけない。


こんなに優しいアイザック様を、疑うだなんて。


あれはきっと、ただの偶然。


美しい夏の花火と、悪事の報いが、たまたま、重なっているだけ。


そう思い込んで、わたしは、固く、目を閉じた。


* * *


その夜の花火は、いつもと、違っていた。


どおん、と、腹に響くほどの、大きな音。


夜空いっぱいに、ひときわ大きな、真っ赤な花火が、咲いた。


血のように、鮮やかな、赤。


その赤は、なぜだか、見ていると、胸の奥が、ざわつくような色だった。


こんなにも美しいのに、どこか、痛いような。


けれど、隣に立つアイザック様の横顔は、いつになく、満ち足りていた。


長いあいだ探し続けた答えに、ようやく辿り着いた人みたいに。


「わあ……! 今夜のは、すごいですね」


「ああ」


アイザック様は、その赤い光を見上げて、静かに言った。


「今夜のは、特別なんだ」


「特別?」


「そう。……君に、いちばんひどいことをした人の、ぶんだからね」


わたしは、彼の横顔を見た。


赤い光に照らされたその瞳は、凪いだ湖みたいに、静かで。


けれど、その奥の奥に、燃えるような何かが、揺れている気がした。


「アイザック様……?」


「なんでもないよ」


彼は、わたしに向き直って、微笑んだ。


「ただ、これで、ようやく。君を傷つけたものは、全部、片付いた」


「片付いた……?」


「うん。もう、大丈夫。……君を泣かせるものは、この世に、ひとつも残っていないよ」


「アイザック様は……どうして、そこまで、してくださるのですか」


わたしが震える声で尋ねると、彼は、少しだけ、困ったように笑った。


「僕はね、セシリア。一度、守るべきものを、この手から、取りこぼしたことがあるんだ」


その銀灰の瞳が、ほんの一瞬、遠くを見て、すぐに、わたしへと戻ってきた。


「だから、決めたんだ。……今度こそ、君を傷つけるものは、ひとつ残らず、この手で消すと」


「消す……?」


「ああ。君が、なんの憂いもなく、笑っていられるように。ね」


その言葉の、本当の重さを。


わたしは、まだ、知らなかった。


彼の言葉の意味を、わたしは、深くは考えなかった。


ただ、彼の腕が、わたしをそっと抱き寄せて。


その胸が、あんまり、あたたかかったから。


わたしは、こわいくらいの幸せの中で、そっと、目を閉じた。


——翌朝。


王都から、大きな報せが、届いた。


わたしを断罪した、あの王太子殿下が。


失政と醜聞の数々を暴かれ、廃嫡された、という報せが。


わたしは、何も知らない。


あの美しい花火が、いったい、何を、夜空へ打ち上げていたのか。


ひとつ、またひとつ、この世から消えていった人たちが、最後に、どんな光になったのか。


——けれど、それでいいのだと思う。


だってわたしは、あの人の隣で。


夏の花火に見惚れながら、こわいくらいに、幸せなのだから。


* * *


夏の終わりに、わたしとアイザック様は、静かに式を挙げた。


理不尽に、すべてを失ったはずのわたしが。


今は、こんなにも、あたたかい場所にいる。


辺境の夏は、王都よりも、ずっと静かだった。


もう、わたしを嗤う声も、陥れようとする気配も、どこにも、ない。


「アイザック様。わたし、こんなに穏やかな夏は、生まれて初めてです」


「そう」


彼は、わたしの髪に、白い花を一輪、挿してくれた。


「これから先の夏も、ずっと、こうだよ。……僕が、そうすると決めたからね」


その約束が、どれほど深く、どれほど途方もないものか。


わたしは、知らないまま、ただ、幸せに、笑った。


「セシリア」


その夜、テラスで、アイザック様が、わたしに手を差し伸べた。


「おいで。今夜も、君のために、上げよう」


「ふふ。もう、わたしを苦しめる人は、いないのに?」


わたしがそう言うと、彼は、ほんの一瞬、目を細めた。


「そうだね。……なら、これからは、ただ、君が笑ってくれるためだけに、上げるよ」


その手を取って、わたしは、彼の隣に立った。


どおん、と。


夏の夜空に、大輪の花火が、咲く。


光が、少し遅れて、音になって、届く。


その音に紛れて——ずっと遠くで、誰かの、最後の声のようなものが。


ほんの、かすかに、聞こえた気がした。


けれど、それが何なのか、確かめる前に。


次の花火が、どおん、と、夜空を、明るく照らした。


「綺麗ですね、アイザック様」


「ああ。……君のほうが、ずっと綺麗だよ」


夏の夜。


花火の音に、すべてを溶かして。


わたしは、この人の隣で、いつまでも、幸せに笑っていた。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。蜜月 憂です。「夏の音」シリーズ、今作は花火。

悪役令嬢のセシリアを嗤った人たちが一人ずつ消えていく――その爽快さの裏で、あの花火が本当は何を打ち上げているのか。彼女は生涯知らないまま、夏の夜空に見惚れて、幸せに笑っています。

「ざまぁしてスッとして、そしてゾクッ」を楽しんでいただけたら嬉しいです。★やご感想が次を書く力に。


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>罪を着せられた相手の令嬢は、皮肉にも、いつも、わたしが庇っていた娘だった ↑これだと相手の令嬢が罪を着せられた被害者になってます あと句読点が多過ぎて少々読みづらいです。
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