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第4話|編集される勝利

放送会議室は、リンクよりも温度が一定で、だからこそ息苦しかった。

モニターには企画案のスライドが映り、「奇跡」「涙」「再現ドラマ」という言葉が踊る。

律は椅子の背にもたれず、机に指先を置いた。

指先で紙の角を揃える癖は、彼が感情を整えるための小さな儀式だった。

プロデューサーが言う。「1980年をフックにして、今大会の日本代表に重ねる。視聴率は取れる。スポンサーも乗る」別のスタッフが笑う。

「奇跡って言えば視聴率が取れるんだよ。視聴者は構造じゃ泣かない」

律は、言葉が喉に刺さるのを感じた。構造では泣かない。

泣かないから、語らない。語らないから、責任が消える。

律は封筒から取り出したソ連側の資料を思い浮かべる。

A.のメモ。そこには、泣かせるために削られた行がある。

敗者の沈黙と勝者の編集で、奇跡は作られる。違和感は確信になっていた。

「奇跡」と呼ぶ瞬間に、誰かの努力も、誰かの失策も、誰かの圧力も、ひとまとめに消える。

消えることで、観客は気持ちよくなれる。気持ちよさは消費され、次の気持ちよさを欲しがる。編集は、その欲望に合わせて形を整える。


律は会議で口を開いた。「1980年を使うなら、ソ連側の分析も出してください」空気が一瞬止まり、次に小さな笑いが起きた。

「誰が見るんだよ、それ」「暗いよ」「スポンサーが嫌がる」律は言い返す代わりに、別の資料をテーブルに置いた。

1879年、マギルのルール策定。

そこにあった一文。「ルールは危険を消すのではなく、危険を管理可能にする」律はゆっくり言った。

「ホッケーは最初から、衝突を管理して熱を作る競技でした。今の編集も同じです。危険の匂いを、感動に変換して売っている。なら、その構造も語るべきです」

そのとき、律の脳内には断片が差し込まれた。観客の視点。

リンクサイドの男が、乱闘の気配に立ち上がる。

拳が振り上がる前の、あの甘い瞬間が好きだと思っている。

別の観客は、涙の物語を求めている。負けてもいい、泣けるなら、と心のどこかで思う。

SNSの画面では、短い言葉が飛び交う。「熱い」「泣いた」「神」「奇跡」危険の匂いは、画面の中で光沢のある感動に塗り替えられる。

塗り替えの速度が速いほど、人は安心する。問いが残らないからだ。


会議は結論を出さないまま終わり、廊下に出ると、冷房の風が首筋を撫でた。

律は資料の束を抱え、決めた。奇跡として語る解説ではなく、構造として語る解説を本番でやる。

炎上するかもしれない。切られるかもしれない。だが、語られない行が増えるほど、この競技は透明な暴力を抱えたまま熱狂へ滑っていく。

律はスマホを開き、台本のファイル名を変えた。「MIRACLE」ではなく、「STRUCTURE」。小さな変更が、彼にとっては宣戦布告だった。

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― 新着の感想 ―
メディア論としても極めて完成度が高い回。 「奇跡」という言葉が、誰の責任も努力も消してしまう装置であることが明確に示されます。 台本のファイル名を MIRACLE から STRUCTURE に変える場…
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