第2話|ホッケーという言葉の刃
モントリオールの冬は、人の喉を試す。息を吸うと胸が痛み、吐くと白く濁った。
大学の裏手の凍った池には、夕方になると男たちが集まり、滑り、叫び、ぶつかった。
エミールはその輪の外縁に立ち、手袋越しにペンを握りしめていた。
氷上の遊びは荒く、怪我は日常で、骨折は笑い話の延長に置かれていた。
誰かが肩を抜ける音、頭が氷に当たる鈍い衝撃。痛みは冷気の中で遅れてやってくる。
エミールは、その遅れが怖かった。事故が起きたとき、人はいつも「仕方ない」と言う。しかし仕方ないの中に、誰かが意図して押した力が混じっているのを、彼は見過ごせなかった。
マギルの仲間たちは熱い。これは大学の誇りになる、観客が呼べる、他の学校とも競える。興奮が言葉になって、吐く息と混ざって消える。けれど同時に、責任という言葉も、誰かの喉に引っかかっていた。
もし死んだら?
もし取り返しのつかない怪我をしたら?
そのとき「遊びでした」と言えるのか。エミールが持ち出したのは、言葉の刃だった。
「ホッケー(hockey)」の語源は「hocquet」。フランス語の古語でスティック、棒を意味する。棒は道具だ。だが棒は武器にもなる。
競技が始まる前から、武器の名を背負っている。つまり、暴力は最初から影にある。ならば必要なのは、「暴力をなくす」ことではなく、「どこまでが許される暴力か」を定義する線だ。
ボールからパックへ変わったのは、最近のことだった。
最初はただの工夫だった。雪の上で転がる球は跳ね、予測できず、面白い。
だが氷の上では、それが偶然を増やしすぎた。円盤状のパックは跳ねない。狙い通りに進む。偶然が減る。偶然が減ると、狙う意味が増える。狙う意味が増えると、身体も狙われる。パックに向かうはずの突進が、相手の胸に向かう。意図が混じる。
そして意図は、熱狂として観客を呼ぶ。エミールは理解した。競技が“制御できる”方向へ進むほど、危険は、より計画的になる。
彼は紙の上に規則を書き始めた。禁止事項を並べるだけでは、現実の氷上に追いつけない。
だから「許可」を書く。どの角度の衝突は認めるのか、どこから先は罰するのか。
仲間の一人が、怖さを誤魔化すように笑って言った。「禁止じゃなくて、許可の線引きだな。許されるなら、皆やる。やるなら、観客が増える」その言葉に、エミールは背筋が冷えた。
観客が増える。熱が上がる。熱が上がるほど、選手は“壊れても替えが効く部品”に近づく。部品は交換できる。交換できるものは消費される。消費されるものを守るために、ルールが必要になる。
守るため、というより、消費を続けるために。
夜、寮の廊下は静かで、遠くの窓が風で鳴った。エミールは机に向かい、氷の上で感じた音を思い出しながら、文字を整えた。
未来のこの競技が、国家の旗を背負い、歓声の中心に置かれることなど、まだ知らない。ただ、熱狂は必ず大きくなる、とだけ予感していた。
彼はペン先を止め、ふと窓の外を見た。薄い月が氷を照らしている。
冷たい光の下で、線引きだけが、唯一の誠実に思えた。




