64. 導く職人
凍りついた炎竜の傍らで、見事な逆転勝利を収めたフランケが大きく息を吐き出した。
隔離空間から出た彼は、誇らしげな顔で振り返り、小走りで駆け寄ってきたソフィアに向かって深く頭を下げる。
「あんがとな、姉ちゃん。あんたのおかげで、新しい扉を開けることができたぜ」
魔力ゼロのソフィアの瞳には、フランケの真っ直ぐな感情がストレートに映っていた。
それは心からの感謝の念である。職人として、使い手を笑顔にできたことがソフィアは何よりも嬉しかった。
それでも、ソフィアは一つだけ訂正しておくべきことがあった。
「いいえ。フランケさんが、その扉までの険しい道のりを逃げずに歩いてきたからこそですよ」
あくまでソフィアがしたのは、彼の背中を少し押しただけである。
逃げずにそこへ辿り着いた彼自身が一番すごいのだと、彼女は本心から思っていた。
ソフィアはふわりと微笑む。
その優しくて可憐な笑顔に、フランケの顔がポッと赤く染まる。
「へへっ。なんか、惚れちまいそうだぜ」
コホンッ。
背後から、鼓膜を震わせるような恐ろしく低い咳払いが聞こえた。
ギルバートである。その目は絶対零度の冷気を放っていた。
「あー、君。俺のフィーに惚れるのはしょうがない。俺のフィーは可愛いからな」
ぎゅーっ、とギルバートが背後からソフィアを抱きしめる。
(や、焼き餅焼いてる……?)
ソフィアの目には、ギルバートの嫉妬の炎がありありと視えていた。
以前の自分であれば、自分ごときに嫉妬なんて、と卑下していただろう。だが、恋人となった今、ギルバートが自分が他の男に取られまいと独占欲を丸出しにしていることが、ひどく嬉しかった。
「なんだ、兄ちゃんと姉ちゃん、結婚してるのか」
「「け、結婚なんてそんなっ」」
ぽっ、と二人同時に頬を真っ赤に染める。
「そ、それはまだ早いというか」
「じゃあ婚約?」
「それもちょっと時期尚早というか……」
照れまくる二人を見て、フランケが小さく息をつく。
「まあ、兄ちゃんが姉ちゃんを大好きなのはわかったぜ」
「そ、そうか。そういうわけだ。悪いな少年」
「んにゃ、いいや。しょうがないし。おれじゃあんたに、魔法使いのランクとしても家のランクとしても負けてるし」
「へ?」
ソフィアが不思議そうに目を丸くする。
家のランクは、まあわかる。ギルバートはフォン・ヴォルグ公爵家の次男坊だからだ。しかし、魔法使いのランクとはどういうことだろうか。
「なんだ、姉ちゃん気づいてないの? そこの兄ちゃん、魔導士じゃん」
「えっ。ぎ、ギルさん。魔導士だったんですかっ」
たしかに、ギルバートの魔法使いとしての実力は相当なものだと思っていた。
しかしまさか、一級の資格を持っているとは知らなかった。
「実はそうだったんだよ、フィー」
「な、なんでフランケ君はわかったんですか」
「そりゃ、『氷炎の魔導士』を知らない炎使いなんていないからね」
「ひょうえんの、魔導士?」
全く聞いたことのない単語だった。
うぉほん、とギルバートが気まずそうに咳払いをする。
「俺の二つ名だ。一級魔導士以上になると、二つ名が与えられるんだ」
一級の魔法使いである魔導士。さらにその上の特級が賢者である。
たしかに、ランクの高い魔法使いには『牙の賢者』だの『刃の賢者』だのと、大仰な冠がつくものだ。
「氷炎の魔導士にあえて、こーえーっす!」
びしっ、とフランケが腰を直角に曲げてお辞儀をする。
「俺も、君みたいな才能のある炎使いと知り合えて光栄だよ。素晴らしい魔法だった」
「あざっす! まあでも、あれは姉ちゃんのおかげでもあるんで」
「まあ、そこは否定しない」
(否定しないんだ……)
フランケは内心で苦笑した。
「第二試験でも頑張れよ、フランケ」
「うっす!」
フランケはぺこりと頭を下げると、足早にソフィアたちの前から去っていった。
一方で、ソフィアはぽかんとしたままである。
「どうした、フィー。そんな可愛い顔をして」
からかってくるギルバートに対し、ソフィアの胸の中には、少し、ほんの少しのむかむかが湧き上がってきた。
「ギルさん。酷いです」
「えっ!? ど、どうしたフィー!?」
ソフィアを傷つけてしまったのかと、ギルバートは大いに動揺する。
その必死な姿を見て、ソフィアの溜飲は完全に下がっていた。
でも、そんな風に心配して、動揺してくれるのが嬉しくて。
ソフィアは少しだけ、彼に甘えてみることにした。
「何か酷いことをしたかっ?」
「ええ。しました」
「そんな……」
(あ、そこまで悲しませるつもりは無かったのに。いけないわ、それで嬉しいと思うなんて……)
「ギルさん、自分が魔導士ってこと、どうして私に教えてくれなかったんですか」
「え、いや……別に言う必要なくないか……?」
「恋人に隠し事とか、酷いです」
「いや隠し事だなんて。いや、でも、うう……ごめん……」
(落ち込んでいるギルさん……可愛い……)
ソフィアがふにゃりと口角を緩めると、ギルバートがハッとして彼女の頬を軽くつねった。
「フィー、もしかしてからかっているのか」
「へ?」
(ど、どうしてバレてしまったんだろうか)
ギルバートがソフィアの柔らかなほっぺたを優しく撫でる。
「そんな、ふにゃふにゃと笑いよって」
「あ、すみません。からかっちゃって」
するとギルバートが、愛おしそうにソフィアをぎゅううっと抱きしめた。
「まあ、フィーに言わなかったのは事実だ。すまないな」
「いえ、もう全然気にしてないので。ごめんなさい、私も、変なふうにすねちゃって」
「すねているフィーが可愛かったから、まあいいんだが」
「私も、落ち込んでいるギルさんが可愛かったので、まあいいです」
ふふっ、と二人は幸せそうに見つめ合い、笑い合う。
「あー、兄ちゃん姉ちゃん」
うぉほん、と立ち去ったはずのフランケが戻ってきて咳払いをした。
「あのさ、ここ、会場のど真ん中ってこと忘れてません?」
「「あ」」
そう、ここは第一試験会場のど真ん中である。
周囲を見渡せば、二人の甘いやり取りを、受験者、観戦者、そして大賢者たちまでもががっつりと見つめていた。
ファフニールに至っては、明らかに不機嫌そうに鼻を鳴らしている。
まあまあ、とガンダールヴルが宥めていた。
「「すみませんでしたっ」」
顔から火が出そうになった二人は、そそくさとその場を後にするのだった。
◇
その後も一次試験は滞りなく進んでいった。
古竜という圧倒的な壁を前にかなりの数の受験生が削られたが、それでも事前の予想を上回る合格者が出ている。
見学席から戦況を眺めつつ、ジュリアンが隣のギルバートに問いかけた。
「ギルバート様は、こうなることを予想できていたのですね」
先ほど、ギルバートは『合格者ゼロはありえない』と断言していたのだ。
「ああ。フィーがいるということは、あの最高傑作の杖があるというだけではない。彼女自身が、フランケのような迷える受験生たちをケアし、精神面でも支えるということだからな」
ギルバートは、遠くで受験生を励ましているソフィアの小さな背中を誇らしげに見つめた。
ジュリアンは、先ほどの二人の甘いやり取りを思い出す。
そして何より、ソフィアを心の底から信頼しきっているギルバート。そんな彼らの関係に、ジュリアンは密かに嫉妬していた。だからこそ、少々意地悪な発言をしてしまう。
「それは、彼らの真の実力と言えるのでしょうか」
「無論だ。フィーは彼らにブースト魔法をかけているわけではないからな。本人が見えていない可能性を視て、ただほんの少しだけ背中を押し、導いてやっているだけだ」
導く。
その言葉を舌の上で転がし、ジュリアンは目を細めた。
「あの子は、そんなことができるようになっていたのですね」
ただ無心に杖を作ることしか知らなかった妹弟子。
彼女の確かな人間としての成長に、ジュリアンは嬉しくもあり、同時に少しだけ置いていかれたような寂しさを感じていた。
◇
そして、一次試験がすべて終了した。
しかし、ここからはソフィアたち杖職人の戦いが始まる。
二次試験でも受験生たちが万全の状態で魔法を使えるよう、酷使された統一杖のメンテナンスを行わなければならないのだ。
控室に充満する油と木屑の匂いの中、ソフィアはものすごい剣幕で作業台に向かっていた。
「フィア。少しは休むんだ。残りの作業は僕とセシルでやるから」
「ダメですっ。これを作ったのは私ですから、私の手で全部最後までやり遂げますっ」
ソフィアは幻の犬耳をピンと立て、頑なに首を横に振る。
セシルも頭を抱え、呆れたようにため息をついた。
「このままでは過労でぶっ倒れますわよ。お願いですから、少し言うことを聞いてくださいましっ」
「聞きませんっ。杖のことは私が一番わかっているんですから」
プイッと頬を膨らませ、ソフィアはゴリゴリと杖を削る手を止めない。
職人としてのプライドと責任感が、彼女を意固地にさせていた。兄弟子であるジュリアンの言葉すら、今の彼女には届かない。
そこへ、見回りを終えたギルバートが控室へと入ってきた。
状況を察した彼は、ソフィアの背後に静かに歩み寄る。
「フィー。休みなさい」
「はぁいっ」
ソフィアは即座に削る手を止め、パァッと花が咲いたような笑顔で振り返った。
そして、大人しく作業台から離れてギルバートの隣へとちょこんと並ぶ。
ジュリアンは静かに目を細めた。
杖関連のこととなれば、絶対にテコでも動かないほどの頑固者だったはずだ。それなのに、彼氏の言葉一つであっさりと引き下がるというのか。
呆然とするジュリアンをよそに、少し離れた席に座るギルバートとソフィアは、二人だけの甘い世界に入り込んでいた。
「フィー、汗をかいているな」
ギルバートが清潔なハンカチを取り出し、ソフィアの額を優しく拭う。
ソフィアはそのハンカチを両手で受け取ると、そっと鼻に当てた。
「ギルさんの良い匂いがします。……香水ですか?」
「いや、特にそういうものは使っていないが」
「へえ、すごいです。本当に良い匂い……」
「匂いで言うなら、フィーも良い香りがするな。ずっと嗅いでいたい。こうして抱きしめながら」
「私もこうしてずっと、ギルさんに抱っこしてもらいたいです……」
周囲の目も気にせず、二人はとろけるような笑顔で身を寄せ合っている。
「どうなってますの、このバカップルは」
セシルがげんなりとした顔で呟き、ジュリアンは静かに視線を逸らすのだった。




