49.竜の試練
夜の帝都を、ギルバートは疾走していた。
呼吸が苦しい。足が重い。
だが、そんなものはどうでもいい。
(早く、ソフィに俺の思いを伝えないと……!)
フクロウ亭まで、あと少し。
そう思った、その時だった。
グニャリ、と。
ギルバートの視界が歪んだ。
「な……!?」
足元の石畳が粘土のように波打ち、周囲の建物が遠ざかっていく。
風の音が消え、色彩が反転する。
気づけば、ギルバートは異次元のような、無機質な空間に立っていた。
そして、目の前には。
翡翠色の髪をなびかせ、黄金の瞳で彼を見下ろす美女――ファフニールが浮いていた。
「ファフニールさ……」
「だめだ」
彼女は、氷のような声で告げた。
その瞳は、以前のような、路傍の石に向けるものではなかった。
眼光は鋭く、敵に向かって、刺しに来ている。
そう……敵だ。
ファフニールからは、明確な敵意を感じる。
「ここから先へは行かせん」
(ソフィをそれほどまでに、欲しいということか)
ギルバートは冷静に周りを分析する。
おそらく、ここは魔法で作った異空間……結界の中だろう。
彼女の意図としては、ギルバートを結界に閉じ込め、ソフィアのもとへ行かせまいとしているのだ。
なぜか?
簡単だ。ファフニールはソフィアのことを、弟子として欲しいからだ。
その邪魔をしようとする人間を……隔離しておきたいのだろう。
(前の俺なら……神域の大賢者を、相手取ろうなんて思わなかったろうな)
そもそも敵わない。
師であるガンダールヴと同格、否、それ以上の魔法使いだ。
自分が敵うわけがない……と。
能力面で、劣っている。
それに、精神面でも。
ソフィアのためと言いながら、その実、彼女の人生を歪めるのを怖がっていた。
だから、ここから出るため、賢者と相対するなんて、そんな選択肢は……採らなかっただろう。
(でも今は違う……! 俺は、ソフィのために、この人と戦う!)
ギルバートは杖を抜き、切っ先をファフニールに向けた。
「ファフニール様……! 退いてくれ! 俺はソフィアに会わなきゃいけないんだ!」
ファフニールは一瞬、ほんの一瞬だけ……薄く笑った。
「久しく忘れていたな。畏れ以外の感情を、向けられることを」
「え……?」
ブワ……ッ!
ファフニールの体から、先ほど以上の魔力が迸る。
「ならん」
ファフニールは手を翳した。それだけで、見えない壁がギルバートの行く手を阻む。
四方を、硬い結界で囲われたのが分かった。
高位の魔法使いであるギルバートだからこそ、この結界の強度が恐ろしいものだということに気づけた。
おそらく、最上級の魔法であっても、壊せはしないだろうと。
「『アレ』はこの世界に必要な存在だ。『アレ』を、お前のような人間に渡すわけにはいかん」
「アレ……?」
「そう。『アレ』は余の元で学ぶべきだ。数百年かけ、至高の職人となる運命なのだ」
彼女はソフィアのことを、まるで道具のように呼んだ。
その響きに、ギルバートの中で何かが切れた。
「ふざけるな!」
ギルバートは激昂し、見えない壁を拳で叩いた。
「アレ、アレと……彼女を物扱いするな! 彼女の人生を、お前が勝手に決めるな!」
「ほう?」
ファフニールは冷笑した。
「では、お前も勝手に、あの子を自分のものにしようとしているのではないか?」
「ッ……!」
「本当に好きなら、好きにさせてやるのが男ではないのか? あの子の幸せを考えて、身を引くのが愛ではないのか?」
痛いところを突かれた。
それは数分前まで、ギルバート自身が悩み、逃げ出した理由そのものだったからだ。
ファフニールは追撃する。
「お前が今しようとしていることは、彼女の未来を奪う行為だ。職人としての栄光を、お前のエゴで摘み取るつもりか?」
「…………」
ギルバートは俯いた。
反論できない。正論だ。
だが、脳裏に浮かぶのは、偉大な職人として成功し、けれど誰もいない未来で一人佇むソフィアの姿だった。
ギルバートは顔を上げた。
その瞳に、もう迷いはなかった。
「……ああ、その通りだ。これは俺のエゴだ」
「なに?」
「だが! 俺は知っている。あの子は優しい。誰もいない数百年後の未来で……あの子は絶対に泣いてしまう!」
ギルバートは叫んだ。
「職人として頂点に立っても、隣に誰もいなければ、あの子は笑わない! 俺は……俺はあの子を泣かせたくない!」
「だから未来を奪うのか? 自分のエゴで、あの子のキャリアを潰すのか?」
「そうだ! これは俺のエゴだ!!」
ギルバートは開き直り、強く言い放った。
「誰に罵られようが構わない! 俺のエゴで、俺が彼女を幸せにする! 悲しい未来になんかさせるか!」
ファフニールの目がすぅっと細められた。
「……話にならんな」
彼女が指を振る。
瞬間、膨大な魔力の奔流がギルバートを襲った。
結界の内側へ、高密度エネルギーをぶつける技術。
通常なら、体が消し飛ぶ威力。
だが、ギルバートは膝をつかなかった。
「おおおおおおおッ!!」
防御障壁を展開し、歯を食いしばって耐える。
魔法とはイメージ。そして「思いの強さ」。
「ソフィアを幸せにする」という強烈な意思が、ギルバートの魔力を爆発的に高めていた。
そして杖を障壁に向かって構え、同じく、ギルバートは魔法を放った。
己の一番得意な、氷と炎。
周囲の熱を奪い、その奪った熱をエネルギーと変えて、打ち出す。
轟音と共に、凄まじい炎のエネルギー波が迸る。
ファフニールの結界が、ガラスのように砕け散った。
「ほう……。余の魔法を打ち破るか」
ファフニールは感心したように呟く。
「ど、どうだ……」
「まだ、足りんな。魅せて貰おうか、お前の……覚悟を」
ファフニールの体が、翡翠色に輝く。
人の形が崩れ、鱗が、翼が、顕現する。
それは、天を摩するほどの「巨大な神龍」。
本能的な恐怖が、ギルバートの魂を震わせる。
『二度は言わん。アレを寄越せ』
神龍の声が、空間をビリビリと震わせた。
逆らえば死ぬ。生物としての格が違いすぎる。
気圧されそうになったギルバート。
しかし……恐怖がフッ、と和らいだ。
手に、暖かな温もりを感じる。
それは、ソフィアの、愛する者が作ってくれた……杖。
杖から熱が、思いが……伝わってくる。
ソフィアと出会い、交流し、杖への理解を……深めた日々。
杖は、心なき道具ではない。
杖にも心があって、自分たちと同じ、感情があるのだと。
魔力が、杖から逆流してくる。
それは怯え、折れてしまいそうになるギルバートを、強く叱咤激励しているようだった。
何を俯いているのだ、前を向けと。
ソフィアのように、優しく寄り添うのではない。
クラウスのように、背中を蹴ってくるのでもない。
ただ、共に戦う相棒として、魂を鼓舞してくれている。
魔力を通して、気持ちが伝わる。
(やっと……君と同じものが、見えるようになった気がするよ……ソフィ!)
恐怖は消えた。
ギルバートは吼える。
「嫌だッ!! 俺は、ソフィアを幸せにする! 俺が! 一生かけて幸せにするんだ!!」
彼は竜を睨みつけた。
「だから、誰にも渡さない!!」
全力の魔法をぶつけようとした、その瞬間。
ファフニールからの圧力が、フッ、と消えた。
「――合格だ、ギルバート」
「え?」
顔を上げると、ファフニールは人の姿に戻り、ニヤリと笑っていた。
殺気は消え失せ、そこには満足げな表情があった。
「あとは任せる」
彼女がパチンと指を鳴らすと、空間がパリンと割れた。
「ソフィ……?」
割れた空間の向こうから、ソフィアが顔を真っ赤にして入ってきた。
彼女は涙目で、ととと、と駆け寄ると、ギルバートの胸に飛び込んだ。
「……ソフィ」
「……嬉しい」
ソフィアは、ギルバートの服を強く握りしめ、顔を埋めた。
(嬉しい……って、ま、まさか……)
「ど、どこまで聞いてた?」
「全部です」
ギルバートの顔から血の気が引いた。
「余が映像と音声をリアルタイムで転写しておいた。臨場感たっぷりにな」
「そんな……」
ファフニールが悪戯っぽく笑う。
あの恥ずかしい愛の告白を、本人に見られていたのだ。
ギルバートは羞恥心で死にそうになったが、腕の中の温もりを離すことはしなかった。
「さて、ソフィア・クラフト。愛の告白も受けたことだし……答えを聞こうか」
ファフニールはニヤニヤしながら二人を見た。
ソフィアはギルバートの服を掴んだまま、しっかりと前を向いた。
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