48.使命と覚悟
美女へと変貌したファフニールは、上機嫌でソフィアに語りかけた。
「ソフィア。お前の『眼』と『発想』は合格だ。だが、今のままでは真の『八宝斎』にはなれん」
「ッ……!」
ソフィアの表情が強張る。
薄々は気づいていたことだった。しかし、誰も到達していない領域ゆえに、今まで指摘されることはなかった事実。
それを、神域の賢者に断言されたことで、ソフィアは確信せざるを得なかった。
「歴代の八宝斎の至上命題。それは神の領域にある道具……神器の創造だ」
「神器……とは、何ですの?」
ヨランダの問いかけに、ガンダールヴが厳かに答える。
「神器とは、神の御業にも等しい力を発揮する魔道具……人智を超えた力の結晶のことじゃ」
「……!」
ファフニールは、琥珀色の瞳を細めた。
「六代目も、七代目ヴィルも、神器を作り上げることで、八宝斎の名を継いできた」
分かっている。
お祖父様たちが目指し、成し遂げてきた偉業。そして、自分が抱える致命的な欠落。
「だが、神器作成には絶対条件がある。それは『作り手自身の魔力を核として埋め込むこと』だ」
ソフィア、そして全員の顔から血の気が引いた。
そう、この場にいる全員が突きつけられたのだ。
ソフィアが抱える、絶対的にして、変えようのない問題を。
「小娘。お前は、魔力がない。だから、魔力を必要とする神器を絶対作れん」
それは、魔力ゼロのソフィアには、物理的に不可能な条件だった。
「このままでは、お前は『八代目』を名乗ることはできても、真の継承者にはなれん。……悔しいか?」
「…………はい」
ソフィアは唇を噛み締めた。
名誉や地位が欲しいわけではない。
ただ、大好きだったお祖父様たちが代々繋いできた「道」を、自分の代で途絶えさせてしまうことが、申し訳なくて、寂しかった。
魔力を読まずとも、その場にいる全員が、ソフィアの辛さを共有していた。
魔力がない。それは生まれつきのもの。この場にいる誰も解決できない問題。当の本人でさえも。
しかし、神域の竜は不敵に笑う。
「だが、余なら解決できる」
ファフニールは甘美な毒のように囁いた。
「秘術を使い、お前を『魔力を持つ種族』……エルフかドワーフに転生させてやろう。そうすれば魔力を得て、神器を作れる。祖父を超え、真の『八宝斎』となれるぞ」
「て、転生……?」
つまりは、別人に生まれ変わることだ。
誰もが「そんな馬鹿な」「可能なのか」と疑うような提案。
しかし、ソフィアだけは、その概念をスッと受け入れることができた。
誰よりも、理解できた。
なぜなら彼女は一度、転生を経験しているからだ。
病弱だった現代人が、こちらの世界に来て、健康な体に生まれ変わった。
その経験があるからこそ……そんな夢物語を、現実として信じることができた。
そして――。
(魔力のある体に、なれる……。それって……つまりお祖父様たちと、同じことが……できるようになる……ってこと?)
彼女の、諦めていた心に、小さな灯がともる。
確かにこの体は、杖作りには便利だ。この体で、目で、手でなければできないことは山ほどあった。それで感謝されることも多くあった。
今の体に不満は何もない。
それでも……。
ヴィルや、他の八宝斎達とは、違う。
その体であることを、呪ったことがないと言ったら、嘘になる。
そんな中、降って湧いた……チャンス。
そう、この提案をソフィアは、好機と捉えていたのだ。
(神器が……作れるかもしれない。お祖父様と同じになれるかもしれない……なら……)
「ただし、代償がある」
彼女は指を立てた。
「転生の儀式には時間がかかる」
「じ、時間がかかる……?」
「ああ。繭の中で魂を再構成せねばならんからな」
「それは……どれくらいですか?」
「さあな。……目覚めるのは、いつになるか分からん。明日か、一年後か、はてまた……数百年後の未来か」
店内が静まり返った。
数百年後。それはつまり、浦島太郎のようなものだ。
目覚めた時、今の生活、友人、そしてギルバートは、もうこの世にいない。永遠の別れを意味していた。
「職人としての頂点か、凡人としての小さな幸せか。……選べ」
「…………」
そんな究極の二択を、急に選べるわけもなかった。
ファフニールも分かっているのか、溜息をついて言う。
「返答は朝まで待ってやる」
「朝って……」
気づけばもう夜だ。
数時間しかない。
「言っておくが、余は気が長いほうではない。これで決めきれないのであれば、もう転生はさせん。チャンスは一度だ」
「…………」
「余は、新しい体の試運転に行ってくる」
ファフニールは言い残し、突風と共に空へ飛び去っていった。
◇
残されたフクロウ亭のリビングには、重苦しい沈黙が漂っていた。
「……ま、迷うことなんて、ないですよねっ?」
ヨランダが、努めて明るく言った。
当然、断るだろうという前提で。
だが、ソフィアは即答できなかった。
「…………」
彼女は俯き、自分の手を強く握りしめている。
それだけ、彼女にとって「八宝斎」という継承の重みは、真剣なものだったのだ。
その沈黙を見て、ギルバートは悟ってしまった。
(彼女は、迷っている。職人としての高みに行きたがっている――)
ふと、ソフィアが顔を上げ、ギルバートを見た。
その瞳は揺れていて、何かを求めているようだった。
引き止めてほしいのか、背中を押してほしいのか。
だが、ギルバートは思わず目を逸らした。
「……良かったな。すごいチャンスじゃないか」
「え……」
「俺は……軍に戻るよ。急ぎの仕事があるんだ」
ギルバートは、逃げるように背を向けた。
「ギルバートさん……」
背中に投げかけられた細い声を振り切り、彼は店を出て行った。
自分のエゴで、彼女の偉大な未来を潰してはいけない。
そんなもっともらしい理由をつけて、決断から逃げたのだ。
◇
一人残されたソフィアは、自室にいた。
机の引き出しを開け、中から古びた『黄金のハンマー』を取り出す。
六代目が作り、七代目ヴィルが使い込み、そしてソフィアに託された、魂のバトン。
(私が断れば、この八宝斎の歴史は終わってしまう……)
職人としての本能が、高みを目指せと叫んでいる。
だが、ここを去れば、二度とギルバートには会えない。
コンコン、とドアがノックされた。
ヨランダが入ってくる。
「……ヨランダさん」
「八宝斎にとって、神器を作ることは至上命題。魔力がない自分は作れない……そう悩んでいるのですわね」
ヨランダは優しく微笑み、ベッドへ座るように促すと、ソフィアの隣に腰掛けた。
転生には時間がかかる。
儀式が終わるのが、いつになるか分からない。
……ヨランダや、ギルバート。大切な人たちが、儀式が終わったときに、生きているかは……分からない。
(みんな……大好き。優しくて、大好き……なのに、なのに私はっ)
皆との日々、そして使命。それを天秤にかけてしまっている自分を、ソフィアは責めた。
優しくしてくれる人たちに、申し訳なかった。
そもそも天秤にかけること自体……失礼なことなのに。
「ごめ、ごめんなさい……」
「謝らないで、ソフィアちゃん」
ソフィアは顔を上げる。
ヨランダは笑顔で、その身から放たれる魔力は……日輪のような、暖かな波動をしていた。
その温かい魔力に触れて、ソフィアの涙が止まる。
「ソフィアちゃん。もし弟子になって、すごく時間がかかるとしても、大丈夫ですわよ」
「え……?」
「わたくしがヨボヨボのお婆ちゃんになっても……ううん、お化けになっても、わたくしたちは友達ですし、ずっとここで帰りを待っていますわ」
ヨランダは、多くを語らない。
多分言いたいことや、吐き出したい気持ちは……たくさんあるのだ。
魔力を見れるソフィアだからこそ、それが分かった。
でも、その気持ちをグッと堪えて、ソフィアの意思を尊重してくれる。
ソフィアの我が儘を、聞いて、受け止めてくれる。
ソフィアの目から、再び涙が溢れ出した。
ヨランダの魔力は、本当は「行かないで」と言っている。寂しがっている。
けれど、彼女は答えを強要しなかった。ソフィアが出す結論なら、どんなものでも受け止める覚悟を決めていた。
(……それに比べて、あのヘタレ坊ちゃんは!)
ヨランダは内心で歯噛みする。
一番言葉をかけてほしい男が、一番肝心な時に逃げ出したのだ。
本当はあの後を追いかけて、ギルバートの頭を叩きたいのを、グッと堪えたのだ。
(坊ちゃん……信じてますからね。貴方のことを。わたくし……信じてますからね)
ソフィアを誰より幸せにできるのは、ただ一人、ギルバート・フォン・ヴォルグ。
そう、ヨランダは信じている。そして、彼が自分の意思で、愛する女性のもとへ帰ってきてくれると。
そう、信じているのだ。
◇
その夜。帝都の酒場にて。
ギルバートは強い酒を煽り続けていた。
向かいの席には、呼び出されたクラウスがいる。
「……彼女の人生だ。彼女が、職人として高みを目指したいなら、俺が止める権利はない」
ギルバートは、自分に言い聞かせるように語った。
「もし俺が引き止めて、彼女が神器を作れなかったら……彼女は一生後悔するかもしれない。俺のエゴで、彼女の偉大なキャリアを潰してはいけないんだ」
それは、とても綺麗で、理性的で、優しい言葉に聞こえた。
だが。
ドガッ!!
鈍い音が響き、ギルバートの体が床に吹っ飛んだ。
口の中が切れ、鉄の味が広がる。
「な、何を……」
見上げると、クラウスが立っていた。
普段の飄々とした態度は消え失せ、その目は血走っていた。
彼はギルバートの胸倉を掴み、強引に引き立たせた。
「この大馬鹿野郎が!! そんな程度の覚悟なら、今すぐ別れろ!!」
「クラウス……」
普段絶対に、人を殴るような男ではない……クラウスの、本気の一撃。
その怒気には、しかし、親友が誤った道へ行かないように、という友情が感じられた。
「権利がない? エゴだ? ふざけるな! 綺麗事を並べて自分を守ってるだけだろうが!」
クラウスの怒声が、酒場に響き渡る。
「人は、人の影響を受けるもんだ! 誰かと生きるってことは、相手の人生を歪めるってことだ! お前は『ソフィアの人生を変えてしまう責任』を負うのが怖いだけだろ!」
「っ……!」
「優しいふりして逃げてるくらいなら、あの子に関わる資格はねぇ!」
クラウスは拳を振り上げ、涙ぐんだ目で叫んだ。
「あの子が今、誰の言葉を一番待ってると思ってるんだ! 職人の栄光なんかより、お前の『行くな』って一言を待ってるんだろうが!!」
突き飛ばされ、ギルバートは壁に背中を打ち付けた。
殴られた頬が熱い。
だが、それ以上に心が痛かった。
(……俺は、逃げていたのか)
彼女の未来を尊重するふりをして。
「自分のせいで彼女が夢を諦めた」という事実を背負うことから、逃げていただけだ。
(あんなに小さな体で、一人で重圧と戦っている彼女を置いて……俺は、何を守ろうとしていたんだ)
本当に大切なものは、誰であり、何なのか。
ギルバートは……やっと、理解できた。そして……彼は気づいたのだ。
ここで彼女の手を取らなければ、彼女を永遠に失ってしまう。
その事実が、ようやく……彼の心の深いところ、頭の中に、入り込んできた。
そして湧き上がる、衝動。
失った後に待ち受ける、悲しみ、苦しみ。
(そんな未来……絶対に嫌だっ!)
ギルバートの目に、迷いはもうなかった。
「……行ってくる」
「おう。行ってこい、臆病者」
クラウスは乱れた服を直し、フンと鼻を鳴らした。
ギルバートは店を飛び出した。
夜の帝都を、全力で駆ける。
なりふり構わず、ただひたすらに、愛する人の元へ。




