38.盗まれた神の杖
朝食を終えた二人は、再び後夜祭の賑わいの中へと繰り出した。
大通りには多くの屋台が立ち並び、大道芸人たちが腕を競い合っている。
「見てくださいギルバートさん! あそこ、すごい人だかりですよ」
「ああ。ジャグラーか。なかなかの腕前のようだな」
人混みの中心では、道化師の格好をした男が、五本のこん棒を巧みに空中に放り投げていた。
観客からは歓声と拍手が巻き起こっている。
だが。
ソフィアがその光景を見た瞬間、彼女の背筋に冷たいものが走った。
(……え?)
ソフィアの『魔力ゼロ』の瞳には、世界が少し違って見えている。
ジャグラーが投げている五本のこん棒。そのうちの一本から、目が潰れるほどの神々しい魔力が溢れ出していたのだ。
(あの魔力の波長……間違いないわ。昨日、『神杖リスタルテ』と同じ……!)
一度メンテナンスを行い、間近でリスタルテを見たことがあるソフィアだ。
芯材に使われている魔力と同じ波長が、あんな薄汚いこん棒の中に隠されている。
どう考えても異常事態だ。
「ギルバートさん!」
ソフィアは、隣を歩くギルバートの袖を強く引いた。
「あの大道芸人を捕まえてください。彼が持っているこん棒、あれは『神杖リスタルテ』です!」
「なにっ!?」
ギルバートの瞳孔が一瞬で収縮する。
『神杖リスタルテ』といえば、帝国の至宝中の至宝。昨夜の式典後、厳重に宝物庫へ戻されたはずの代物だ。
「承知した」
普通なら、「間違いないな?」と一度確認を入れるところだろう。
だが、ギルバートは何も聞かなかった。
彼はソフィアの人柄をよく理解している。
彼女がそんな冗談を言うような人間ではないと、心から信じているのだ。
ギルバートは即座に行動を開始した。
だが、祭りの人混みは凄まじく、普通に走っていては逃げられる可能性がある。
ジャグラーもこちらの視線に気づいたのか、演技を中断して道具をまとめ始めた。
「失礼する」
「えっ?」
フワリ、と体が宙に浮いた。
次の瞬間、ソフィアはギルバートの腕の中にいた。
「きゃっ!?」
「舌を噛むなよ!」
いわゆる『お姫様抱っこ』の体勢のまま、ギルバートが地面を蹴った。
魔力による身体強化だ。
ドォン! という踏切音と共に、二人の体は人の波を飛び越え、露店の屋根へと着地する。
「う、うそぉ!?」
「最短距離を行く!」
ギルバートは屋根から屋根へと、まるで風のように駆け抜けた。
ソフィアは必死に彼の首に腕を回す。
速い。そして、顔が近い。
心臓が早鐘を打つ中、ギルバートの鋭い眼光は逃走を図る男を捉えていた。
◇
「はぁ、はぁ……なんだよあいつら! 空を飛んできやがった!」
ジャグラーの男は、大通りから一本入った路地裏へと逃げ込んだ。
だが、その退路はすでに塞がれていた。
「そこまでだ」
音もなく頭上から舞い降りたギルバートが、男の前に立ち塞がる。
ソフィアを優しく地面に降ろすと、彼は氷のような声で告げた。
「その手に持っているものを渡してもらおうか」
「な、なんのことですかい? 俺はただのしがない芸人ですよ!」
男は引きつった笑みを浮かべ、手に持っていた道具を見せた。
そこにあるのは、使い古された薄汚い木のこん棒だけ。
どこにも、国宝級の杖など見当たらない。
「神杖を盗み出そうとしているな」
「言いがかりだ! 憲兵を呼ぶぞ!」
「……ソフィ」
ギルバートが視線で問いかける。
彼の目にも、それはただの木切れにしか見えていない。
だが、ソフィアは確信を持って一歩前に出た。
「いいえ。それが杖です」
「はぁ? 目が悪いんじゃないのか嬢ちゃん。これはどう見ても木だぜ?」
男がこん棒を突き出す。
ソフィアは、そのこん棒をじっと凝視した。
(高度な『擬態魔法』……いいえ、違うわ。これは生物的な反応……)
ソフィアの目には視えていた。
こん棒の表面を覆う、薄い膜のような魔力の層。
そして、その膜を維持するために、一点に集中している魔力の結節点。
(『擬態スライム』ね。お祖父様から聞いたことがあるわ。特殊なスライムを薄く引き伸ばして杖を覆い隠し、木に見せかけているんだわ)
普通の魔導師なら、スライムの持つ「環境同化能力」に騙されて気づかないだろう。
だが、魔力そのものの流れを視るソフィアの目は誤魔化せない。
「……失礼します」
「あ? 何すん――」
男が反応するより速く、ソフィアは動いた。
こん棒のある一点を、指先でつまむ。
プチッ。
小さな音がした瞬間、スライムの核が破壊された。
魔力供給を断たれた擬態スライムは、ドロリと形を崩し、死滅して剥がれ落ちていく。
「あ……」
男が絶句する。
薄汚い木皮の下から現れたのは――眩いばかりの黄金と、巨大な宝石が埋め込まれた『神杖リスタルテ』だった。
「な、なんでバレた!?」
「詰めが甘いですね。……スライムの核、丸見えでしたよ?」
「見えねぇよ普通!!」
通常のスライムと違って、この特殊な個体は、核《弱点》の場所すら偽装できる。
故に、倒すのが難しい。しかし魔力ゼロ、すべての魔力の流れを見通す目を持つソフィアには、そんな偽装は容易く見抜けたのだ。
「チクショウ! こうなりゃヤケだ!」
男が逆上して襲いかかろうとしたが、それよりも速くギルバートの拳が閃いた。
ドゴォッ!!
ギルバートの、身体強化した拳。
男は一撃で白目を剥き、崩れ落ちた。
そしてギルバートは愛杖を取り出し、氷の魔法で犯人を瞬時に拘束した。
「……確保した。ご苦労だったな、ソフィ」
「はい。ギルバートさんが信じて走ってくれたおかげです!」
その後、駆けつけた軍人によって男は連行された。
やはり昨夜の混乱に乗じて宝物庫から盗み出した、国際指名手配犯だったらしい。
「それにしても……助かった。君がいなければ、国宝が国外に持ち出されていた」
「いえ、私はただ、違和感に気づいただけですから……」
謙遜するソフィアに、ギルバートはふと、自分の腕を見つめて呟いた。
「……軽かったな」
「へ?」
「君のことだ」
先ほど、彼はソフィアをお姫様抱っこしたのだ。
ギルバートは、腕の中に残るソフィアの感触と温もりを思い出し、急に顔を赤くして視線を逸らした。
「い、いや! 緊急事態だったからな! 他意はない! 忘れてくれ!」
「は、はい……」
ソフィアもまた、自分が抱えられて空を飛んだことを思い出し、ボンッと音が出そうなほど顔を真っ赤にした。
帝国の危機を救った英雄と聖女は、しばらくの間、お互いの顔を見ることができなかった。




