35.鉄馬車の心臓手術
「金返せ! いつまで待たせるんだ!」
「こっちは腹減ってんだよっ!」
店主の悲鳴もかき消されそうなほどの怒号が、広場に渦巻いていた。
キッチンカーの前は、殺気立った客たちで溢れかえり、一触即発の空気が漂っている。
そんな喧騒の中へ、ギルバートが一歩、踏み出した。
「――静かに」
大声を張り上げたわけではない。
だが、低く、よく通るその声は、不思議な浸透力を持って広場全体に響き渡った。
同時に放たれたのは、歴戦の指揮官だけが纏う、静謐な威圧感。
「あ……?」
騒いでいた客たちが、毒気を抜かれたように押し黙る。
ギルバートは群衆を睨みつけることはせず、ただ静かに諭すように告げた。
「店主も困っているようだ。少しだけ、時間をくれないか」
「あ、あんたは……」
「原因はすぐに特定させる。……彼女に任せてほしい。この国一番の職人だ」
ギルバートが示した先には、ドレスの袖をまくり上げ、凛と立つソフィアの姿があった。
その信頼しきった眼差しと、有無を言わせぬ説得力に、客たちも「あ、ああ……そういうことなら」と矛を収め、場所を空けた。
確保された聖域。
(ありがとう、ギルバートさん)
ソフィアが作業しやすい環境を、一瞬で作ってくれた。
一番確実なのは、OTK商会等の魔道具技師を呼んでくることだ。でも彼はそうせず、ソフィアを優先した。
それはつまりこの子ならば、トラブルを絶対に、そして迅速に解決してくれると信じてくれているからこそ。
彼の信頼が心地よく、それでいて、身が引き締まる。
ソフィアは迷わずキッチンカーへと駆け寄った。
「状況を説明してください!」
ギルバートは、すでにソフィアが魔道具技師の腕も持っていることを説明済みだ。
店主はこくんと頷いて、状況を報告する。
「く、クレープを焼く鉄板が、急にめちゃくちゃ熱くなってしまって。点火スイッチを切っても、熱いままで……。このコンロ、外部で買ったものだから、どう直せばいいかまで教わってないし」
店主自らが、この魔道具を作ったのではないようだ。だから、故障した際、どうすればいいのか分からないでいる様子。
キッチンカー備え付けの魔導コンロ。基盤は足元の戸棚の奥にある。
ソフィアは魔力ゼロの目で、しっかりと、コンロの状態を見る。
魔道具の構造は、動力源となる魔石、魔石の魔力を流す魔力回路、この二つが必須となる。
ソフィアの目は、コンロ内を走る、まるで迷路のような魔力回路を正確に見抜いていた。
長時間の連続稼働で、魔力を熱に変換する回路が劣化し、目詰まりを起こしている。
出口が塞がれているのに、魔石(心臓)からは全力で魔力が供給され続けている状態だ。
行き場を失った魔力が逆流し、回路全体に熱がこもっている。
また、魔力供給をストップさせる機構も、回路の熱で完全に溶けてしまっている。
(まとめると……長時間魔力を流し続けた結果、回路が歪み、熱がこもってしまっている。魔力供給をストップさせようにも、その機構が熱で溶けてしまっていて、魔力を止められない)
魔力供給を止めればいいが、肝心の止める機構が壊れてしまっているのだ。
しかし機構を直すためには、厄介なことに魔力供給を止める必要がある。
(魔石を摘出すれば魔力供給は止まる)
電池を抜けば、どんな電池駆動の製品も止まる。しかし問題は、その魔石にエネルギーが溜まりすぎていることだ。いわば、爆弾のような状態になっている。
少し突けば、たちまち魔石は大爆発を起こしてしまう。
そう……少しの衝撃も、今の魔石には加えてはいけないのだ。
だが……ソフィアは躊躇なく、魔石を掴んだ。
瞬間、魔石から回路へと流れる魔力が……ストップする。
魔力ゼロのソフィアは、『魔力絶縁体質』。魔力の流れを完全に止めることができる。
これは技術でも、能力でもなく、彼女の生まれ持った体質。彼女にしかできない芸当だ。
「工具を!」
「は? え……っと」
店主が戸惑っている。
「工具箱の一つくらいあるでしょうっ?」
「な、ないです……」
(信じられない……。メンテナンス用の工具を、持っていないなんて……)
魔道具も杖と同様、日々のメンテナンスは必要不可欠。工具がないなんて、ソフィアにとっては考えられないことだった。
(今はこの人を責めてもいけないわ。どうしよう……)
「ソフィ!」
その時、外からギルバートの声が聞こえた。見上げると、彼の手には、工具箱が握られている。
「ぜえ……はあ……『銀のフクロウ亭』が近かったからな。借りてきたぞ!」
「ギルバートさんっ」
なんて、ナイスタイミングだ。それに……工具が必要となると思って、走り出していたなんて。
おそらく、ソフィアがまごついているところを見て、何らかのトラブルがあったのだと察したのだろう。そして、ソフィアですぐ解決できない、つまりは何らかの専門道具が必要と考え……道具を取りに、ギルバートは走り出したのだ。
それもやはり、ソフィアへの信頼があってこそだった。
ソフィアなら、道具さえあればすぐに問題を解決できる、それくらいの腕があると。
(私の欲しいもの、言わなくても分かってくれるんだ……)
なぜか分からないが、ソフィアの胸は高鳴っていた。
それは単なる「仕事仲間」への信頼を超えた、もっと深く、甘やかな感情。
彼に理解されている、信じてもらえているという事実が、こんなにも嬉しいなんて。
「ありがとうっ」
ソフィアは片手で工具を受け取り、足元に広げる。
左手は魔石の魔力を抑えている。この状況で、彼女はこのコンロ魔道具の、魔力供給をストップさせる機構を直す必要があった。
片手間で、できる作業ではない。言うなれば、初めて見る時限爆弾を、片手で処理するようなものだ。しかもミスすれば大火事どころじゃ済まない。
だが……ソフィアは、一切緊張していなかった。
彼女の感覚が研ぎ澄まされていく。彼女の目は、魔道具の複雑な内部構造を見抜く。
彼女は作業を開始する。ぐいっ、と体を、コンロの下、棚の中に入れる。
淡い水色のドレスが、土埃と油の染み付いた床に触れる。背中に冷たく硬い感触が走るが、そんなことは些細な問題だ。
今の彼女の頭にあるのは、目の前の「患者」を救うことだけ。
魔力の流れを止めていた機構は、完全に溶けている。これをソフィアの手で復元するのは不可能だ。
溶けた飴細工を元に戻すような神業は、祖父ならできただろうが、特殊なスキルを持たぬソフィアにはできないこと。
なので、ソフィアは機構を思い切って、ピンセットを使って除去。次に、ハンダごてを使って、新しい術式を、回路に刻み込む。
コンロのつまみ部分の動きに連動して、魔力の流れを緩やかに止める。そんな新しい回路を、ゼロから、それでいて、素早く作り上げる。
それは言うなれば、血液の通り道である血管を、新しく作り上げるような作業だ。
しかも恐ろしいのは、心臓の動きを片手で止めながら、もう片方の手で新しい血管を作り、既存の血管と繋げる……。
という、天才外科医も真っ青な神業を、彼女は披露しているのである。
言うまでもなく、並レベルの魔道具技師にはできない芸当。
惜しむらくは、この場に魔道具技師がいないこと。彼女の神業を、誰も理解できないことだ。
額から流れる汗によって化粧が剥がれ、油で汚れるドレス。
でもソフィアはそんなのどうでも良かった。
ただ、目の前の作業だけに、苦しんでいる魔道具を助けることに集中した。
「よしっ」
ソフィアは、オーバーヒート寸前の魔石から手を放す。彼女が新しく組んだ術式がきちんと作動し、魔石自身が魔力供給を緩やかにストップさせた。
「て、鉄板の熱が引いてく……!」
店主が腰を抜かした。
「ふぅ……間に合いました」
立ち上がり、パンパンとスカートの埃を払う。
そこで初めて、ソフィアは自分の姿に気づいた。
「あ……」
マリアがあんなに綺麗に仕立ててくれた服の、スカートは油まみれ。
腕には油の黒い筋が走り、顔にも煤がついている。
せっかくのデートなのに。
可愛いと思ってもらいたかったのに、これじゃ台無しだ。
「ソフィ、終わったんだね」
カウンター越しに、彼が立っている。ソフィアは咄嗟に目線を逸らす。
「……ごめんなさい、ギルバートさん。私、汚れてしまって……」
泣きそうになって俯くソフィア。
「見事だったよ、ソフィ」
ギルバートは、懐から真っ白なハンカチを取り出すと、ソフィアの頬についた煤を、そっと拭った。
その手つきは、壊れ物に触れるように丁寧で、ドレスの汚れなど気にする素振りもない。
「でも、こんな格好……一緒に歩くの、恥ずかしいですよね……」
「恥ずかしいものか」
ギルバートは、真っ直ぐにソフィアの瞳を見つめた。
「確かに、着飾った君は驚くほど綺麗だった。……だが」
彼は煤だらけのソフィアの手を取り、ぎゅっと握りしめた。
「困っている誰かのために、自分の身も、ドレスが汚れることさえも厭わず全力を尽くせる。……そんな君の心のほうが、どんな宝石よりもずっと美しいと、俺は思う」
「……っ!」
ドクン、と。
今日一番大きな音で、心臓が跳ねた。
ソフィアの顔が、煤の黒さを隠すほどに真っ赤に染まる。
「お礼と言ってはなんですが! 一番いいやつ、焼かせてください! 特盛で!」
ソフィアの火照った肌から、すぅ……と熱が引いていく。
「それよりも、店主さん?」
「ひっ!」
ソフィアの体から、圧を感じた店主が悲鳴を上げた。
「メンテナンス……だいぶサボっていましたね? 魔道具の」
「あ、いや……あはは……その……稼ぎ時だからつい……」
「もう一歩遅かったら大火事でしたけど?」
「……す、すみません……」
「いくら他所から仕入れた魔道具だからって、日々のメンテナンスをしないなんてあり得ないです。工具箱もないなんて、どうかしてますよ」
「も、申し訳ないですぅ……はぃいい……」
ソフィアは、コンコンとお説教をする。それを、ギルバートが「まあまあ」と止める。
「説教は、後にしよう。今は待っている人たちがいるから」
……ギルバートが後ろの行列を指差す。彼女は小さく息をついて「それもそうですね」と怒りを静めた。
「まずは客を捌くことだ。店主。注意は……そのあとで」
「はいほんとすみませんでした……」
ソフィアがキッチンカーから出る。
ギルバートはソフィアを見下ろしながら、微笑む。
「お疲れ、ソフィ。見事な腕だ」
「ありがとう、ギルバートさんっ」
ギルバートは、こんな汚れてしまったソフィアを見ても、嫌な顔を一つしない。
そんな優しい彼のことが、ますます……好きになってしまうのだった。




