34.鉄馬車の聖女と、暴発するコンロ
建国祭のメインストリートは、色とりどりの紙吹雪と歓声に包まれていた。
そんな中を、一組の男女が歩いている。
ソフィアと、ギルバートだ。
二人の手は、しっかりと繋がれている。
(ど、どうしよう……心臓が、うるさいです……)
ソフィアは俯き加減で、自分の胸を押さえた。
男性と手を繋いで歩くなんて、生まれて初めての経験だ。
ギルバートの掌は大きく、ゴツゴツしていて、そして驚くほど温かい。
触れている部分から、ドクンドクンという脈動が伝わってくるようだ。
(ギルバートさん、ずっと無言だわ。やっぱり、私なんかと歩くの、恥ずかしいのかな……)
隣を歩くギルバートは、難しい顔をして前を見据えている。
その表情は硬く、まるで戦場に向かう兵士のようだ。
ソフィアが不安になり、彼の顔色を窺っていると――不意に、彼が口を開いた。
「……降参だ」
「え?」
「君相手に、澄ました顔をしていても無駄だな。その目には、すべてお見通しだろうから」
ギルバートは苦笑し、少しだけ握る手に力を込めた。
「緊張しているんだ。……その、女性とこうして手を繋いで歩くのは、初めてでな。どう振る舞えばいいのか、正解が分からない」
その告白に、ソフィアは目を丸くした。俯いていたので気づかなかったが、確かに彼の顔は少し赤い。
ソフィアの、魔力ゼロの瞳には、彼の魔力が緊張で揺らいでいるのがはっきりと視えていた。
帝国最強の英雄が、ただ手を繋ぐだけで、自分と同じようにガチガチになっていたなんて。
デリックを断罪した時の、あの氷のような冷徹さと、圧倒的な強さ。
普段の、頼りがいのある背中。
それを知っているからこそ、今彼が少年のように緊張していることのギャップに、ふっと笑みがこぼれてしまう。
「……ふふっ」
「笑わないでおくれよ」
「すみません。でも……私もです」
ソフィアは嬉しくなって、彼の手を握り返した。
「私も、心臓が破裂しそうなくらい緊張してます。ギルバートさんと一緒ですね」
「! そうなのか。そっか……なら、よかった」
お互いに「初心者」だと分かったことで、二人の間の張り詰めた空気がふわりと緩んだ。
(やっぱり、一緒にいると、安心するな)
またしても、同じ気持ちになるソフィアとギルバート。
ここにヨランダがいれば、「もう付き合っちゃえ告っちゃえ!」と煽っていたことだろう。
さて。
「そういえば、大丈夫か? これだけの人がいる。君の目は、人の魔力や感情が見えすぎるだろう」
ギルバートが気遣わしげに尋ねる。
確かに、以前のソフィアなら、これほどの人混みの中にいれば、情報の奔流に酔って寝込んでいただろう。
「平気です。昔はよく酔いましたけど、今は『見ないようにする』訓練をしましたから」
「見ないように?」
「はい。ほら、大きな音のするところにいると、最初はうるさいと感じるけれど、次第に気にならなくなるでしょう? あれと同じ原理で、意識的に見える情報量を絞ることができるんです」
祖父から教わった、先天性魔力過敏症への訓練方法だ。
「そうか、たくさん訓練したのだな」
才能ではなく、ソフィアの努力を、ギルバートは褒めてくれた。
じわじわと、心が温かくなる。
(ギルバートさんに、もっと、甘えたいなって思っちゃう)
ソフィアは少し恥ずかしそうに、彼を見上げた。
「それに……今は、ギルバートさんの魔力が一番近くにありますから」
「俺の?」
「はい。貴方の魔力は、大きくて、とても温かいんです。それが私を包んでくれているから……周りのノイズが、全然気にならないんです」
それは、ソフィアなりの精一杯の殺し文句だった。
ギルバートの足が止まる。
「……ギルバートさん?」
「……いや。不意打ちは卑怯だと言っている」
彼は帽子を目深に被り、赤い顔を隠した。
その反応を見て、ソフィアも自分の言ったことの恥ずかしさに気づき、ボンッと顔を赤くする。
◇
その後、二人は祭りを満喫した。
大道芸人の火吹きパフォーマンスに驚いたり、屋台の串焼きを半分こしたり。
何もかもが新鮮で、輝いて見えた。
「あ! あれ見てくださいギルバートさん!」
広場の一角に、ひときわ大きな人だかりができていた。
その中心にあるのは、鋼鉄で作られた無骨な馬車――キッチンカーだ。
「あれは……『鉄馬車の聖女』か?」
「はい! 最近話題のクレープ屋さんです! なんでも、店主さんが元魔導技師で、自作のすごいコンロで焼くクレープが絶品だとか……」
花より団子、もとい職人魂と食欲が刺激され、ソフィアは目を輝かせた。
「私、食べてみたかったんです!」
「よし、並ぼう。まだ売り切れではないようだ」
二人は列の最後尾に向かった。
だが、様子がおかしい。
列は全く進んでおらず、前方からは怒号が飛び交っていた。
「おい! いつまで待たせるんだ!」
「こっちは一時間も並んでるんだぞ!」
「やる気がないなら店を畳め!」
殺気立った客たちの視線の先。
キッチンカーの中で、エプロン姿の女性店主が泣きそうな顔で頭を下げていた。
「も、申し訳ありません! 魔導コンロの火が急につかなくなってしまって……! 今、調整しますので!」
どうやら、調理器具の故障らしい。
店主は必死にコンロの下部をいじっているが、火は一向につく気配がない。それどころか、焦げ臭い煙が漂い始めている。
彼女の目は、コンロの不具合を一発で見抜いていた。そして、そんな彼女の変化に、誰よりも早くギルバートが気づく。
「……気になるか?」
じっと車を見つめるソフィアに、ギルバートが尋ねる。
ソフィアは、かつてのように反射的に飛び出したりはしなかった。
冷静に、その瞳を細める。
彼女の目には視えていた。
鉄馬車の内部、コンロの魔力回路の中で、行き場を失った魔力がどす黒い渦を巻いているのが。
「……ギルバートさん」
ソフィアは、繋いでいた手を離し、真剣な表情で彼を見上げた。
「協力を、お願いできますか」
「協力?」
「はい。あのお店、ただの故障じゃありません。魔力循環が逆流しています。……あと五分もすれば、コンロが暴発します」
「なっ……爆発だと?」
ギルバートの顔色が変わる。
ここは広場の中心だ。もし爆発すれば、周囲の客を巻き込んで大惨事になる。
「私が修理します。ですが、今の私はただの一般人です。私が『危ないから下がって』と言っても、興奮したお客様たちは聞いてくれないでしょう」
ソフィアは、騒ぎ立てる群衆を見やった。
以前の彼女なら、自分の身も顧みずに飛び込み、罵声を浴びながら修理をしていただろう。
だが、今は違う。
自分の無力さと、頼れる人の存在を知っている。
「ギルバートさん。軍の権限で、人払いをお願いします。……その間に、私が元凶を断ちます」
その判断に、ギルバートは感嘆の息を漏らした。
ただ優しいだけではない。状況を見極め、最適解を導き出す。
それはまさに、一流の仕事人の顔だった。
「……承知した。君の指揮に従おう」
ギルバートはニヤリと笑い、ソフィアの背中を押した。
「さぁ行こう、最高の職人殿。デートの続きは、美味しいクレープを食べながらだ」
「はいっ!」
ソフィアはスカートの裾を翻し、戦場へと駆け出した。




