33.建国祭の光、路地裏の影
「――よし。完璧だね」
帝都の一等地、『OTK商会』のVIPルーム。
マリアが満足げに頷き、ソフィアを大きな姿見の前に立たせた。
「さあ、見てごらん。これが今のアンタさ」
ソフィアは、鏡の中の自分に息を呑んだ。
いつもの、煤で汚れた作業着の職人はどこにもいない。
そこにいたのは、淡い水色のドレス風ワンピースに、薄手のカーディガンを身に纏い、緋色の髪を美しく結い上げた、深窓の令嬢だった。
職人仕事で荒れがちだった指先も、マリアの店のエステティシャンたちによって、丁寧にケアされている。
昨日の時点でも、とんでもない美人になっていたソフィア。
そこに加えて、商会の一流職人たちの手により、ソフィア・クラフトは至高の美を手に入れていた。
と言っても、素材の良さがあってこそ、である。
「アンタは職人だ。腕一本で生きていくその覚悟は美しい」
マリアは、ソフィアの華奢な肩に手を置いた。
「でもね、今日は『建国祭』だ。職人の看板は工房に置いておきな。今日一日くらい、ただの女の子として楽しんでおいで」
「マリアさん……」
「さあ、行きな! あの堅物男の度肝を抜いてやるんだよ!」
マリアに背中を叩かれ、ソフィアは一歩を踏み出した。
慣れないヒールの靴音が、コツコツと高らかに響く。
「いってらっしゃいませ、ソフィア様!」
見送りに来ていたヨランダが、ハンカチを振って涙ぐんでいる。
(ありがとう、二人とも)
もう一度、窓ガラスに映る自分を見やる。そこにいるのは、生まれ変わった自分。
(ギルバートさん、どう、思ってくれるかな。綺麗だって、言って、くれるかな)
前世、そして転生してからデリック破滅までの長い間、彼女は自分に期待というものを一ミリもしてこなかった。
けれど、今は違う。
ソフィアは胸の高鳴りを抑えながら、光の溢れる大通りへと向かった。
◇
待ち合わせ場所である『英雄広場』は、すでに多くの人でごった返していた。
初代皇帝・英雄帝ノアカーター氏の像の前で、彼女らは待ち合わせをしている。
屋台からは香ばしい匂いが漂い、色とりどりの旗が風にたなびいている。
そんな喧騒の中に、ソフィアは一人、ちょこんと立っていた。
「…………」
周囲の視線が、痛いほどに集まっていた。
無理もない。
雑踏の中に咲いた一輪の花のように、彼女の存在感は際立っていた。
透き通るような白磁の肌に、鮮やかな緋色の髪。そして、どこか儚げな佇まい。
誰もが振り返り、「あの子は誰だ?」「どこの貴族様だ?」と囁き合っている。
だが、当の本人はそんな称賛の声には気づかず、緊張でガチガチになっていた。
(ど、どうしましょう……ギルバートさん、まだかな……)
心細さに俯いていると、不意にチャラついた男二人が近づいてきた。
「よぉ、お姉さん。一人?」
「えっ、あ、はい……」
「こんなお祭りの日に一人なんて寂しいねぇ。待ち合わせ? どうせ男がビビって逃げたんじゃないの?」
「? そんなことないですよ」
そんな人ではないことくらい、ソフィアは分かっている。
彼女が分かっていないことは、自分の容姿がずば抜けて良いこと。そして、彼女は今、いわゆるナンパされているということ。
「いいじゃん、俺らとお茶しようよ。美味い店、知ってるぜ?」
男の一人が、馴れ馴れしくソフィアの細腕に手を伸ばす。
ソフィアは身をすくませた。
職人としてなら強気に出られるが、こういう「異性としての強引なアプローチ」には免疫がない。
「や、やめてくださ……」
その時だった。
ガシッ、と男の手首が、万力のような力で掴まれたのは。
「――連れに、気安く触るな」
地の底から響くような、ドスの利いた声。
男たちが悲鳴を上げて振り返ると、そこには鬼の形相をしたギルバートが立っていた。
私服姿ではあるが、その全身から放たれる「歴戦の猛者」のオーラは隠しようがない。
「ひっ、ひぃっ! す、すみませんでしたぁッ!」
男たちは脱兎のごとく逃げ出した。
ギルバートはふぅ、と息を吐く。
「まったく……。祭りだからといって、羽目を外しすぎだ」
彼は助けた女性――ソフィアの方を一瞥した。
「怪我はないか? お嬢さん。……気をつけてくれ」
そう短く告げると、ギルバートはすぐに視線を外し、キョロキョロと周囲を見渡し始めた。
(……あれ? もしかして、ギルバートさん、私だって気づいてない? でもさっき連れって言ったような)
ああ言うことで、男たちを追い払っただけだった。
ギルバートは完全に「人違い」だと思って、素通りしようとしたのだ。
「あ、あの……」
「すまない、今、連れを探していてな。待ち合わせなんだが……」
「……ギルバートさん?」
「――ッ!?」
その声を聞いた瞬間。
ギルバートの体が、錆びついたブリキのおもちゃのように硬直した。
ギギギ、と恐る恐る首を巡らせ、目の前の美少女を凝視する。
「……そ、ソフィ……なのか?」
「は、はい……」
ソフィアがおずおずと頷くと、ギルバートは目を見開き、そして次の瞬間、顔を真っ赤にして帽子を目深に被った。
「す、すまない……! あまりに、その……雰囲気が違ったので、分からなかった」
「へ、変……でしょうか?」
「馬鹿な。……綺麗だ。見惚れて、言葉が出なかった」
ボソリと呟かれた本音に、今度はソフィアが沸騰する番だった。
「あ、う……あ、ありがとうございます……」
「……行こうか。はぐれないように」
ギルバートが、少し震える手を差し出す。
ソフィアはその手に、そっと自分の手を重ねた。
(あったかい手……)
奇しくも、お互い同じ感想を抱いていた。
(大きくて、あったかくて、触れてると安心する……)
とソフィア。
(細く儚い手だ。でも、温かい。まるで赤ん坊の手のようだ。……俺が、しっかり握ってあげないと)
とギルバート。
触れ合う体温。
周囲からは「お似合いのカップルだ」「絵になるなぁ」という溜息が漏れる。
二人は輝く光の中へ、建国祭の賑わいの中へと歩き出した。
◇
――そんな、光に満ちた大通りから一本入った、薄暗い路地裏。
そこには、まるで世界の掃き溜めのような空気が漂っていた。
「はぁ……足痛い……」
壁に寄りかかり、悪態をつく女が一人。
リサ。
デリックの元婚約者にして、ソフィアからデリックを奪った女である。
かつてデリックの店で、きらびやかな衣装を着て受付をしていた彼女の面影は、もうない。
着ている衣服は数シーズン前のもので、裾は薄汚れ、自慢だった髪も手入れが行き届かずにパサついている。
「なんなのよ、どいつもこいつも……」
デリックが逮捕された後、リサも重要参考人として騎士団に拘束された。
数日間の厳しい取り調べの末、共犯の証拠不十分で釈放されたものの、待っていたのは地獄だった。
『犯罪者の店の女』というレッテルは、想像以上に重かったのだ。
どこの商会に行っても門前払い。飲食店ですら、「デリックの女」と指をさされ、雇ってはもらえなかった。
田舎に帰ることも考えたが、プライドがそれを許さなかった。
だから、最後の望みをかけて、この建国祭に来たのだ。
金回りのいい男を捕まえれば、また以前のような生活に戻れると思って。
だが、現実は非情だった。
落ちぶれ、金に飢えたオーラを出している女になど、誰も寄り付かない。
「お腹すいた……。なんで私が、こんな目に遭わなきゃいけないのよ……」
全部、デリックのせいだ。
あいつが無能だったから。
そんな呪詛を吐きながら、ふと大通りへと視線を向けた時だった。
「…………え?」
リサの目が、点になった。
光溢れるメインストリート。その中心を歩く、一組の男女。
背の高い、容姿の整った、銀髪の美青年。
そして、その腕に寄り添う、この世のものとは思えないほどの美少女。
「嘘……でしょ……?」
見間違えるはずがない。
髪の色は違えど、あの顔……
かつて自分が「地味で、愛想がない」と見下していた、あの職人女。
「ソフィア……?」
なんで。
(なんで、あんたがそこにいるのよ。私はこんなに惨めで、泥だらけなのに)
なんであんただけが、そんなに綺麗なドレスを着て、英雄様に守られて、幸せそうに笑っているのよ。
「……ちくしょう」
リサは唇を噛み締めた。血が滲むほどに強く。
悔しさと、嫉妬と、どうしようもない敗北感。
その感情が綯交ぜになり、彼女はその場にうずくまった。
「なんで……あんたばっかり……っ!」
路地裏の影の中で、リサの慟哭は誰にも届くことなく、祭りの喧騒にかき消されていった。




