29.鈍感な二人と、皇女の強引な招待
昼下がりの『銀のフクロウ亭』。
客足が落ち着いた店内で、給仕のヨランダは、お客様用の椅子に座りながら、はぁ、と深くため息をついた。
「まったくもー、じれったいですわ〜!」
「フォッフォッフォ。そうカリカリしなさんな」
彼女の前で優雅に紅茶を啜るのは、この国の魔法教育の最高峰、ガンダールヴル学長だ。
彼は時折こうして、店主のソフィアが不在の時でも、ふらりとサボり……休憩に訪れる。
そんな彼の相手を、同じくサボり……もとい、店番をしながらヨランダが務めるのが、この店の日課となっていた。
二人は、ソフィアとギルバートをくっつけようとする『守護者』であり、『同盟者』であり、そして単に他人の恋路を楽しむ『下世話な野次馬』でもあった。
「だって、そうでしょうガンダールヴル様! あのお二人、もう毎日顔を合わせて、あんなに甘い雰囲気を出して、お互いに信頼しきっているのに……なんで『付き合わない』んですの!?」
ヨランダはぷりぷりと頬を膨らませて怒る。
「今朝だってそうです。見ていて恥ずかしくなるような会話をして、最後はニヤニヤしながら見つめ合って。もう外堀どころか、本丸まで落ちているのに、なんで旗だけ立てないんですか! 寸止めにも程があります!」
ヨランダの悲痛な叫びに、ガンダールヴルは楽しげに髭を撫でる。
「まあ、ギルバート君は昔から奥手じゃからな。それにソフィア嬢も、ああ見えて自己評価が低い。互いに『自分ごときが』と遠慮しておるのじゃろう」
ギルバートにしても、ソフィアにしても、相手を高く評価しすぎている節がある。
高潔な英雄と、世界最高の職人。
互いに相手を眩しく思いすぎて、その光の中に踏み込めずにいるのだろう。
「じれったい……! 背中を蹴飛ばしてやりたい……!」
「良いではないか。そのもどかしさこそが、青春というものじゃよ」
「むう……はーあ、ソフィアちゃん、早くヴォルグの家に嫁いでこないかなぁ」
ヨランダはテーブルに突っ伏した。
「そういえば、ギルバート君は貴族の次男じゃったな。家督を継ぐ義務はない立場じゃから、他の兄弟よりは身分差を気にせず結婚しやすいはずじゃ」
「そうなんですわよー! もー! だからさくっとくっついて、さくっとお家にきて、さくっと子供うんで。将来的にはお二人の赤ちゃんを、このヨランダが教育するのが夢なのに〜」
「はてさて。それはいつになることやら……」
「はーあ、坊ちゃんぅ〜。早くしないとヨランダはばーばになっちゃいますよぉ〜」
「フォッフォッフォ。なぁに、まだまだヨランダ嬢は若い。老いるまでには、あと百年は猶予があるぞい」
「むきゃー! そういう問題じゃなくてー! ぼっちゃーん! 早くしてくれぇ! ですわー!」
◇
その頃、話題の主であるソフィアは、大通りにあるカフェ『白銀の猫』のテラス席にいた。
向かいの席には、豪奢なオレンジ色の髪を揺らす美少女、メルティア皇女が座っている。
ソフィアは今朝の出来事を、友人の一人としてメルティアに語ったところだった。
ちなみに、デリックの一件の後、ソフィアはメルティアから「実は私、皇女なの」と正体を明かされていた。しかし、ソフィアの反応は「あ、そうだったんですね」と、まるで天気の話題のように軽かった。
その反応もまた愛おしく、メルティアはソフィアのことをさらに好きになったのだった。
「へぇ。じゃあその子は、あたしの後輩になるかもしれないってわけね」
メルティアの通っている学園こそ、今朝少年が受験せんとしていた、ノアカーター帝国立魔法学園である。
「はい。とても素直な良い子でした。合格してくれるといいのですが」
「まあ、入試を甘く見ちゃダメよ。特に今年の筆記試験は、難易度が鬼畜らしいから」
そう言って、メルティアはテーブルに広げた羊皮紙へ視線を落とした。
彼女は現在、帝国立魔法学園の生徒でもある。今は試験休み中だが、山のような課題に追われていた。
「はぁ……もう無理。なによこれ、『複合属性における魔力干渉の相殺式』って」
「あら、難しそうですね」
「難しいなんてもんじゃないわよ。ちょー難問なんだから。学園主席のあたしですら解けないんですもの」
頭を抱える皇女の横から、ソフィアは羊皮紙を覗き込んだ。
そこには複雑怪奇な魔法陣と数式が並んでいる。
だが、ソフィアはサンドイッチを齧りながら、小首を傾げた。
「……これ、三行目の変換係数が逆ですよ」
「え?」
「火と風の干渉値を求めるなら、ここはプラスではなくマイナスで計算しないと、回路が暴走します。あと、ここの補助式は省略できますね」
「は……?」
メルティアがぽかんとしている間に、ソフィアは断りを入れた後、サラサラと正しい数式を書き記した。
それは模範解答よりも洗練された、美しい解法だった。
「ちょ、ちょっと待ってね。今提出するから……」
メルティアは懐から掌サイズの水晶板、『魔導撮影機』を取り出した。
これは召喚魔法と光魔法を応用し、写し取った映像を一瞬で遠方の受信機へ『転送』する最新鋭の魔道具だ。学園の学生たちには、課題提出用として特別に配布されている。
現実世界でいうところの、スマートフォンに近い機能を持っていた。
ほどなくして、水晶板が淡く発光し、教授からの返信が表示される。
そこには、『Excellent(素晴らしい)!』という賛辞と共に、『教科書よりも効率的で美しい式である』との講評が記されていた。
大絶賛である。
「すごいわソフィア。こんな難しい問題を、鮮やかに解いちゃうなんて」
「お祖父様に教わった基礎ですけれど、違いましたか?」
「基礎!? これ、最新の魔法論文レベルらしいわよ!?」
メルティアは戦慄した。
そういえば、彼女の祖父は「八宝斎」と呼ばれた伝説の職人だったという噂がある。その英才教育は、どうやら学園のカリキュラムを遥かに凌駕していたらしい。
「ソフィア……あんた、学園に通う気ない?」
「ええっ、無理ですよ。私、勉強なんて全然できませんし」
「いや、『教師』として。あんたの学力と魔法知識なら、普通にうちで教鞭を取れるレベルよ」
現に、この解法は現役の教師を上回っていた。
「あはは。面白い冗談ですね。こんな田舎の小娘に、教師なんてできるわけないじゃないですかー」
(これが嫌味でもなんでもなく、本気でそう思ってるんだから、ほんと、逆にすごいわ……)
メルティアは深くため息をついた。
そして、もったいないと思ってしまった。
これだけの腕、そして知識がある才女を、我が国の学生として迎え入れることができなかったなんて、と。
(でも、無理に教育の現場に立たせるのは、この子に申し訳ないわね。ソフィアには、幸せになってほしいし、好きなことをしてほしいし)
皇女としての立場ならば、ソフィアを今すぐにでも学園に招聘すべきだ。
しかし、メルティアはそうしなかった。
「冗談よ」
「ですよね。分かってますっ」
ソフィアは無邪気に笑う。
その笑顔のおかげで、メルティアの難解な課題はあっという間に片付いてしまった。
彼女は羊皮紙を鞄にしまうと、紅茶を一口飲み、ニヤリと笑みを浮かべる。
「で? ギルとはどうなのよ。進展した?」
「ぶっ……」
「とぼけないで。今朝もイチャイチャしてたって、風の噂で聞いたわよ」
メルティアは皇女であり、ギルバートは帝国の軍人だ。情報網などいくらでもある。
ソフィアは顔を真っ赤にして俯いた。
「……ど、どうって……」
「好きなんでしょ?」
「うぅ……」
否定はしなかった。
デリックの一件で守られたあの日から、ギルバートはただの「いい人」から、明確に「意識する異性」へと変わっていた。
「……好き、だとは思います。でも……」
ソフィアは、誰にも言っていない心の内をぽつりぽつりと話す。
相手が親しい友人であるメルティアだからこそ言える本音だ。
ヨランダも親しい間柄だが、彼女はヴォルグ家の使用人。うっかりギルバート本人の耳に入ってしまう可能性がある。
「でも?」
「私、人の魔力が読めるんです。だから、彼が私を大切に思ってくれているのは分かります。でも……それが『恋愛』なのか、妹のような『庇護欲』なのか、確信が持てなくて」
もし勘違いで告白して、この心地よい関係が壊れてしまったら。
そう思うと、どうしてもあと一歩が踏み出せない。
「うじうじしてないで、もう既成事実を作っちゃいなさいよ」
「へ? きせい……?」
「そう。お酒の勢いで押し倒して、デキ婚よ、デキ婚」
メルティアはお忍びで城下町によく出入りしているため、庶民の間で流行っている最新の話題にも詳しいのだ。
「ぶっ……!」
ソフィアが盛大に紅茶を噴き出した。
「な、ななな、何を仰るんですか皇女殿下がっ!」
「あら、一番確実よ? ギルは責任感が強いから、一発で落ちるわ」
「うう……」
顔から湯気を出してオーバーヒートするソフィアを見て、メルティアは楽しそうにクスクスと笑った。
「まあ、冗談はさておき」
「じょ、冗談ですか……心臓に悪いです……」
「本題よ。実はお兄様が、あなたに会いたいって言ってたの」
「お兄様?」
メルティアに兄がいたのか、程度の認識でソフィアは首を傾げた。
「ええ、第一皇子よ。なんか、暇な時に連れてこいって」
「はあ……第一皇子殿下が……?」
「で、ソフィア。あんた今日の午後の予定は?」
不意に問われ、ソフィアは素直に答えた。
「え? 今日はもう、お店の予約も入っていませんし……暇ですけど」
「あら! 奇遇ね!」
メルティアは満面の笑みを咲かせ、パチンと指を鳴らした。
「あたしも試験休みで暇なのよ。大量の宿題もソフィアのおかげで、ちゃちゃっと片付いちゃったし」
「は、はぁ。それは良かったです……?」
「じゃあ、決まりね」
メルティアが立ち上がると同時、店の前に王家の紋章が入った豪華な魔導車が滑り込んできた。
車輪ではなく魔力で浮遊して走る、最新鋭の乗り物だ。
まるで、最初から待機していたかのようなタイミングで。
「えっ、あの、メルティアさん?」
「行くわよ」
「ど、どこへ!?」
「帝城に決まってるじゃない」
「えええええーーーっ」
抵抗する間もなく、ソフィアの手が引かれる。
有無を言わせぬ皇族の強引さに、ソフィアは魔導車へと押し込まれた。
優雅な午後のティータイムは一転、ソフィアはドナドナと揺られ、雲の上の存在である第一皇子の元へと連行されていくのだった。




