第6話 スポンサーは欲しいけど枕営業はごめんだわ<下>
景雲の中では、凜華はすでに「手放せない特効薬」のようなものになっている。
そして彼のような絶世の美貌を持つ権力者にとって、夜の相手をさせるということは、その女に最高の栄誉を与えることと同義であった。
昨夜は少し急ぎすぎたところがあった。
拒まれてすげなく追い返されたが、正式な召し出しなら凜華も応じるだろう。
皇帝の寵愛を喜ばぬ女など、この国の、いや大陸のどこを探してもいないはず。そう彼は確信していた。
ところが――。
「皇帝の夜のお召し? 私に夜伽しろってこと?」
突然勅令だと言って迎えに来た李元ら宦官の一団を前に、凜華はすり鉢を回しながら、心底面倒くさそうな声を上げた。
「左様にございます。さあ凜華殿、これは滅多にないというか、千年に一度の機会ですぞ。陛下の期待にお応えすれば出世の道が開けます。湯浴みや衣類の支度はこちらでしますゆえ、この金の輿にお乗りを!」
李元が必死に促すが、凜華の反応は極めてドライだった。
「お断りします」
「……はあ?」
何言ってんだコイツと、宦官たちは驚愕した。
「私は薬師であって、コンパニオンじゃないの。夜は、薬草を集めたり煎じるのに忙しいし。具合が悪い子が出た時のためにストックしておかなくちゃ」
「な……な、なんですと? 陛下のお召しですよ!」
「だから何?」
「だから何ではありません。夜伽を断るなんてありえません。処刑されてもおかしくない大罪です。あなただけではなく、一族郎党が連座して皆殺しになりますよ」
「そうなんだ。別にいいよ」
「はいい?」
凜華は腕を組むと、せせら笑った。
「だって私、天涯孤独で家族も親族もいないし(たぶん)存在しない人間を皆殺しなんてしようがないし。そもそも私自身も死人みたいなもんだしね。どうぞどうぞ。殺したいなら殺せば? 国家レベルの損失だと思うけどね」
「いやいやいや……そんな詭弁で居直られても困りますから。勘弁してください」
李元はとんでもないとばかりに食い下がる。
皇帝の命令を遂行できなければ、当然罰を受けるわけで。
凜華を皇帝の寝所へ連れていかなければ、自分たちの首が飛ぶ。
凜華は飄々と続ける。
「李元さん。私は確かにスポンサーが欲しいわ。研究費を出してくれるパトロンは、そりゃあ喉から手が出るほど欲しい。でもね、『枕営業』で予算を勝ち取るなんてのは、私の流儀じゃない」
「枕営業? なんですかその不敬極まる文言は!」
「要するに、身体は売らないってこと。皇帝のために薬は作るけど、夜のお供はしません。陛下には『不眠症の再発防止なら、寝る前に温めたミルクでも飲んでろ』と伝えてちょうだい。はい、お引き取りください」
パタン、と板戸が閉められる。
後宮じゅうの女が憧れる「皇帝からの夜のお召し」は、こうして呆気なく退けられた。
数刻後。
李元から報告を受けた景雲は、生まれて初めて「皇帝としても男としても拒絶される」という衝撃に見舞われていた。
「断った、だと……? この私を? 枕……なんとかという理由で?」
「は、はい。『身体は売らん、ミルクでも飲んでろ』と……」
「みるくとはなんだ」
「牛の乳のことらしいです。寝る前に飲むと安眠効果が得られるそうで」
景雲の美貌が、怒りと驚愕で引き攣った。
……振られた。この私が?
よりにもよって、下女ごときのあのおかしな小娘に?
「ふざけるな。後宮の女に拒否権などない! 私の命に逆らうとは、まさかただですむとでも?」
景雲は立ち上がった。
その瞳には、これまでの彼には決して見られなかった、獰猛なまでの執着の炎が宿っている。
「李元、案内しろ。輿はいらん。私が直々に、あの不届き者の首をへし折って……いや、目の前でひれ伏させてやる!」
「陛下、落ち着いてください。陛下おん自らが、卑しき者の血で手を汚されることはありません。即刻、処刑人を差し向けさせます。今夜中には始末いたしますゆえ何卒お許しを」
「勝手に殺すな。だったら凜華をここへ連れてこい。今すぐにだ!」
「は、はい」
皇帝の怒りに恐れをなした従僕たちが、慌てて駆けだしていった。
そして、彼らは夜闇の中、松明を掲げて洗滌局へ走ると、住居房の扉を勢いよく蹴破った。
問答無用で凜華を縛り上げ、口に布を詰め込むと、両脇を抱えるようにして運び去ったのである。
「り、凜華さん……」
隣室にいた寿寿は、宦官たちによる拉致の一部始終を目撃しながらもどうすることもできなかった。
何ごともなかったかのように悠々と去ってゆく松明の列を、震えながら見ているしかなかった。




