第14話 お妃さまからプレゼント(毒)が来たんだけど<五>
景雲が呼びかけて少しすると、ガタリと音がして壁が半回転した。
隠し扉になっており、裏側はやっと一人が通れるほどの狭い通路になっている。
普段は皇帝の身辺に潜む影の者が使い、いざという時は脱出路になる。
開いた扉から、するりと柔らかいものが出てきた。
頭に深く布をかぶった女だった。凜華と同じ下女の格好をしている。
つつっと音もなく歩み寄ると、景雲の前に跪いた。
「頭巾を取れ」
と景雲が命じると、女は布を取り払った。
容貌は麗しく、明るい栗色の髪を背中でゆるやかに束ねている。瞳は澄んだ翠色で、肌が際立って白く、目鼻立ちがくっきりしている。凜華たちとは明らかに人種が違う。
景雲よりは年上、二十代半ばか後半くらいに見えた。
凜華は小さな声で呟いた。
「この世界にも白色人種がいるのね」
女を見下ろしながら、景雲が説明した。
「これは絃楠。先帝の、つまり父の侍妾だった女だ」
凜華は絃楠をじっと見ると、不思議そうに言った。
「女? この人は男でしょう」
絃楠がハッとして凜華を見上げた。
「……どうしてわかる?」
景雲の問いに、凜華は自分の喉元を指差した。
「喉仏。甲状軟骨が前方に突き出している。喉頭隆起は男性ホルモン、テストステロンの分泌によって起こる。男性の男性たる特徴よ」
「よく見ているな。これの場合、それほど目立つものではないのだが……」
凜華の目敏さに感心しながら続ける。
「確かにこれは男だ。……いや、男だったと言うべきか。これは特殊な経歴でな。元々は戦争捕虜で罪人だった。刑罰として去勢され、珍しい容姿をかわれて父の寵童となった。そこまではよくある話だが……」
この国では、貴人が男の愛人、寵童や男寵を持つのは割と一般的である。
特に武官の場合、戦地に女は連れていけない。女は現地調達するか、代わりの男で補うしかない。そのため美しい宦者は重宝された。
絃楠は自分の喉にある突起に触れると、恥ずかしそうに目を伏せた。
景雲の表情に苦いものが走る。
「これが長ずるにつれ、父は常に女装をさせ、女として振る舞うことを強制した。そのため、これは男ながら侍妾の扱いとなって外廷にて父に仕えた。父は遺言で、自分の死後も寡婦、これに女として生きるよう命じた」
「死んだあとまで強制するんだ……」
主人の死後も女として生きなくてはならないとは、さすがに同情の念を禁じえない。
「そこまで徹底するなら、最初から女にしとけばいいのに」
凜華の素朴な疑問に、景雲はむうと唸った。
彼としても父親の倒錯趣味は理解しがたいのだが、先帝の定めたことを表立って非難もできない。
おそらくは、女装した男からしかとれない滋養、特殊性癖の栄養分みたいなものがあるのだろうが……。
言い訳するように言った。
「皇帝の命令は絶対だ。特に遺言は一番強い力を持つ。遺言を守らなかった場合、破った場合は誰であろうとも呪われて身の破滅を招く……とされる。複雑な立場ではあるが、今はこれを間諜として使っている」
景雲は絃楠を後宮に潜ませて、日々起きていることを報告させていた。絃楠は後宮のどの勢力、どの組織にも与さず、いわばフリーの下女として動いている。
「これが、お前の住居まで包みを届けたのだ。絃楠、そうだな?」
「はい」
景雲の問いに、絃楠は首是した。
……声が低い。姿かたちは女にしか見えなくても、声はまぎれもなく男のそれだった。
去勢されたというが、去勢手術が不完全だったのかもしれない。もしくは去勢されても、男性ホルモンが分泌される体質なのか。
「説明せよ。毒の軟膏を届けるようお前に頼んだのは誰だ」
「先春殿のお端下。下働きの女です」
「先春殿……梅妃か」景雲の眦がきっとつり上がる。
なだめるように絃楠は言った。
「そこまでは……。下女も中身が何かはわかってないようでした。包みを持て余して、通りすがりの私に押し付けただけかと。おそらく軟膏を届けるよう命じた者と、下女との間にも幾人か人を挟んでいるでしょう」
凜華が尋ねた。
「その先春殿だけど、薬の知識を持つ人がいる? 巴豆を手に入れて抽出液を混ぜられるような」
絃楠はしばらく思案し、それから言った。
「梅妃さまの筆頭侍女・周但娘なら可能かもしれません。薬を煎じているという噂は聞きませんが、彼女は蕭家に出入りしている医家・周氏の傍系の出です。毒物の知識があってもおかしくありません」
「周但娘……ね」
ふうんと凜華は鼻を鳴らした。
まだ確定ではないが「なかなかやるじゃない」という気分である。
「周氏の本家は、代々太医を務めている。やろうと思えば巴豆も手に入るだろうな」
と言いながら、景雲は冷笑を浮かべた。
「梅妃とその一派の仕業であったとしても、きゃつらは認めんだろう。問い詰められても、しらを切りとおす」
「はい。いざとなれば、下の者たちを切り捨てて処分するだけかと」絃楠も同意する。
景雲は凜華に向き直った。
「お前はどうしたい? 仮にも皇帝の侍妾を害そうとしたのだ。意趣返しがしたいのなら、手を貸してやらんでもないが」
「……仕返しね。したら騒ぎになるよね?」
「そうだな。先春殿の捜索にしろ、尋問にしろ、罰を与えるにしろ、流血は避けられまい」
「うーん、そこまでしなくていいよ。何も知らない人が処分されるのも嫌だし」
毒入りクリームに腹は立つものの、現時点で梅妃や周但娘がやったという証拠はない。未遂で終わっているし、報復は大袈裟すぎる気がする。
でも……舐められっぱなしなのは悔しいし、薬師の仕事を邪魔されるのは困る。
釘は刺しておいた方がいいのかも……とも考える。
凜華は目をつぶり、思案した。
しばらくして、かっと目を見開いた。
「よし、お妃さまへの貢ぎ物を作ろう」
「貢ぎ物?」
凜華は、両手のこぶしをぎゅっと握りしめる。
「私もすんごい化粧品を作っちゃうもんね。滑雪膏なんてメじゃないやつ」
「作る?」予期せぬ方向性に、景雲は困惑した。
「そう。リッチ感にあふれて美容にも抜群にいい高級クリーム。陛下、欲しい材料があるんだけど」
「何が欲しいのだ?」
「まずは豚の皮と脂身を沢山」
「豚の皮……」
「肉つきでいいよ。肉はおいしく食べるから。調理場にないものは買ってもいいよね? 珍珠、当帰、薏苡仁……あと巴豆も欲しいな。ふふふ……あれをこうして、混ぜて……うわあ、楽しみ!」
うきうきとほくそ笑む凜華に、景雲は引いている。
「巴豆……。お前まで毒の軟膏を作って梅妃に送りつける気か。報復する気満々ではないか」
「違うよ。クリームは自分でも使うつもりだし。巴豆は油を抜いて毒性を極限まで薄めるから。流血沙汰にはしないから安心して」
「……」
凜華は、滑雪膏が乗った銀の皿も指差した。
「このお皿も毒で汚れちゃったし、陛下には不要だよね。だったらもらってもいいよね? 昇汞はこちらで処理しておくから。石灰と塩と重曹もちょうだい。全部まとめて届けてくれると助かる」
目をきらきらさせ、銀の皿まで持っていこうとしている。
絃楠も呆気にとられている。景雲にそっと目配せした。
……随分と変わった御方のようで。陛下はこのような女人がお好みで?
声には出さないが、そう言いたげである。
景雲は、居心地が悪そうに咳払いをした。
「これは……薬師だからな」
何かあればまた報告に来るように命じると、絃楠を下がらせた。
絃楠が隠し扉の向こうに消えると、再び李元を呼ぶ。
仕方がない。凜華が欲しがるものを、すべて用意させるつもりだった。




