第13話 お妃さまからプレゼント(毒)が来たんだけど<四>
宵の口になると、李元とその部下たちがやってきた。
「皇帝陛下のお召しです」
と、うやうやしく言う。
「また?」
寿寿と薬草の仕分けをしていた凜華は、思わずしかめ面をしてしまった。
寿寿はきゃあと叫び、手で口元を押さえた。
宦官の一人が顎で出口の方をしゃくり、無言で退出を促す。寿寿は凜華の方を見ながらも立ち上がり、足早に出て行った。
凜華は念のため尋ねた。
「本当に陛下が呼んでるの? 昨日の今日なのに?」
「はい。今宵も伺候するようにとのご命令です。ツボ押しや、足湯、特製安眠茶を差し上げてお尽くしください」
「できることはたいして変わらないんだけどな。安眠茶はレシピを教えるから、そっちで作ってくれてもいいんだけど」
「なりません。陛下は徹頭徹尾、凜華殿の手ずからの奉仕をご所望なのです」
逆らうなら強制的に連れていくまでと、宦官たちは縄や厚手の布を持ち、じりじりと近づいてくる。
ごねたところで、問答無用で簀巻きにされて運ばれるだけだった。
李元は思い出したようにポッと顔を赤らめた。
「ですが、私どもも無粋な真似は……。寝所に入られたあとのことは一切関知しませんので。陛下がお許しになるなら、異国の卑猥な踊りを踊ってもよいかと」
「ルンバは卑猥な踊りじゃないよ」
とつっこみつつも、凜華も観念した。
景雲は、皇帝である以上に唯一にして最大手のスポンサー。彼の気分次第で出資額のケタが変わる。
別に創薬に限った話ではないが、この世の中、たとえ異世界であったとしても一番偉いのはお金を出す人間である。
凜華も数年とはいえサラリーマン、宮仕えをしていたのでそのことはわかっている。
株主総会に駆り出された際には、脂ぎった株主のおっさんに「君みたいな若い子がいるとは思わなかったよ。おじさんドキドキしちゃったなぁ……」などと囁かれて手を握られたりもしたが、ウゲェと思いつつも愛想笑いを浮かべて耐えたのだ。
……致し方ない。
枕以外のことは、どんな要求にも無茶ぶりであっても対応するしかない。
薬箱がないので、木箱にスリープ精油やわずかな生薬を詰める。これのことも尋ねなくてはと、滑雪膏の小壺も入れた。
箱を持つと、李元たちと共に長楽殿へ向かった。
早速にも二度目のお召しとあって、外は下女たちが詰めかけ、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
凜華が長楽殿に入ると、景雲はすでに来ていて、無駄に広い居間で晩餐をとっていた。
大きな長卓の上には、海のもの山のものの豪勢な料理が並び、幾つかの小皿は空になっている。椅子が持ってこられ、凜華は景雲の隣りに座らされた。
景雲は凜華の顔をじっと眺めたが特に何も言わず、優雅に酒を飲み、食事を続けた。
侍妾なら当然するべき酌や給仕をしろとは命じなかった。一応にも、薬師の扱いなのかもしれない。
食事が終わるころを見計らって、凜華は滑雪膏を取り出し景雲の前に置いた。
自分にこれを贈ったかどうかを尋ねた。
「知らん」
と、彼はきっぱり否定した。
「これが何であるのかもわからん。女の化粧品など関わりのないことだからな」
「でしょうね」
凜華も納得する。
誰もが認める美貌であっても、男である彼が化粧をたしなむことはない。逆に詳しい方が不自然である。
景雲は小壺の蓋を開けると、中を覗き込んだ。
「お前はこういうものが好きなのか? どうしても欲しいと言うなら、くれてやってもいいが……」
「ううん、大丈夫。自分で作った方がいいものができるから」
「作るのか?」
景雲はぎょっとした。その発想はなかったと言いたげである。
「うん。材料さえあればね。なんでも作るよ」
当然のように言い放ちながら、凜華は目の前の小皿を見つめた。さっきから気になっていたのだが、景雲の食事で使う皿や器はすべて銀製である。
「ちょっとこの小皿を貸して。気になることがあるから」
銀の皿を手前に引き寄せると、滑雪膏を匙ですくって乗せた。
そのまましばらく観察する。
やがて接触した銀が黒ずみ、クリームからは白い結晶のようなものがにじみ出てきた。
「……銀に反応する。ということは、匂いは硫化水素?」
凜華の声は弾んだ。自分の嗅覚は当たった。
腐卵臭は硫化水素、いわゆる硫黄臭だ。
なおもブツブツと続ける。
「でも、香りづけで硫化水素を使うことはない。硫化水銀が入っていた? ……ううん、違う」
「ほう、毒か」
皿を見て、景雲が喉を鳴らした。
「わかるの?」
「お前の言うことはわからん。だが、幼少時より銀器が黒ずむものは毒ゆえ、何があっても口にするなと厳命されていてな」
「帝王教育として正しいわ」
景雲は皿に顔を近づけようとしたが、凜華は彼の腕を掴んで止めた。
「だめ。匂いも嗅がないで。熱した気体も粉塵も毒だから」
「そうなのか」
景雲は驚き、皿を遠ざけた。
凜華は注意深く観察を続ける。
「純度の低い硫化水銀、辰砂も混ざってそうだけど、辰砂は水には溶けない。おそらくは『昇汞』。水に溶ける塩化第二水銀よ。手術道具の殺菌や消毒に使われてたけど、人体には極めて有害なものだから」
部屋の隅に控えた李元たちも、聞こえてくる毒という単語にざわめいている。
「お前は毒入りの軟膏を贈られたということか。……舐めた真似をしてくれる」
景雲の声が、怒気を孕んで低まる。
凜華は冷静に言った。
「違う。毒物だけど、おそらく毒と意識して混入されたのは巴豆だけよ」
「どういうことだ?」
「塩化第二水銀には、メラニン色素を漂白する作用があるの。これが入った滑雪膏を使えば、確かに肌は白くなる。でもそれは一時的なもの。そのうち肌がまだらになったり、皮膚炎を起こしたりするはず。使い続ければ、水銀中毒の症状を起こして……」
「どうなるのだ」
「死ぬわ。それも錯乱状態で」
凜華は冷酷なほど、はっきりと言いきった。
「……つまり危ないのは、これを使っている女たちか」
「そう。塩化第二水銀自体は無臭だし、私も味まではわからない。劇物だから口にも入れられないの。逆に巴豆を入れてくれて助かったまである」
「ふむ」
景雲は腕を組んだ。
巴豆を見抜いただけでも凜華の知識はたいしたものだと思うが、元から毒の入った化粧品が後宮内に出回っているとは……。
彼はいっそ感心したように言った。
「女のいじめとは陰湿なものだ。大方、嫉妬からだろうが、巴豆で顔を焼こうとはな」
「ほんと。ただのテロよ。勘弁して欲しい」
「しかし、これでお前も立派な後宮の女。覚悟が決められるではないか」
凜華は、揶揄するような口ぶりの景雲を睨みつける。
「ちょっと、誰のせいでこんなことになってんの? あなたが一言、宣言すれば済むことでしょ。私はただの薬師で侍妾じゃないって」
「馬鹿め。一晩を共に過ごしておいて、誰がそんなことを信じる」
景雲はすっと目を細め、意地悪く唇を歪めた。
なまじ容貌が突き抜けている分、笑み一つにも凄絶なものがある。
「お前がどう思っていようと、お前はすでに私の女なのだ。否定すればするほど、有象無象が猛るだけよ」
「あ~もう迷惑すぎる」
凜華はふて腐れたように肘をつき、大きく溜息をついた。
「そう言うな。毒の一つや二つくらいなんだ。こんなことで嘆いているようでは、後宮では生き残れんぞ。主人の私が言うのもなんだが、ここは人の形をした魑魅魍魎がうごめく伏魔殿よ」
だが、と景雲は急に真顔になった。
「お前は毒害されなかったし、報告の通りでもあったな」
「報告?」
凜華の疑問には答えず、景雲は手を叩いた。
李元を呼ぶと、彼を含めて控えていた宦官たちを全員下がらせた。
宦官たちが出て行き、扉がぴったりと閉められると、景雲は部屋の左手の壁に向かって鷹揚に呼びかけた。
「そこにいるのだろう? 出てまいれ」




