第9話 波乱の婿入り!フィオナ決死の訴え
アルフレッド伯爵の甲高い叫びが伯爵家の執務室に響き渡った。
「なぜだ!? なぜ私がお見合いの仲介役までせねばならんのだ!」
彼の目の前には、先日のお披露目会以来、とめどなく届けられた書状の山がそびえ立っていた。そのほとんどが健太を「婿に迎え入れたい」という名家からの打診だった。なぜかお披露目会に参加していなかった名家からのものまで含まれており、その厚みに伯爵は文字通り頭を抱えていた。額には深い皺が刻まれ、その顔は苦悩に歪んでいる。
「健太様の力は、並の財力や魔力よりもはるかに価値が高いと判断されたのでしょう」
ライアは、伯爵の悲鳴にも動じず、静かに告げる。彼女の視線は、伯爵が手に持つ書状の山に注がれていた。
「令嬢方も健太様を婿に迎え入れれば、その恩恵を独占できると、皆様お考えですわ。このままでは、健太様がリリアン家を離れ、他家へ婿入りしてしまう可能性もございます」
ライアの言葉は、伯爵の焦りをさらに煽る燃料となった。伯爵は、ぶつぶつと独り言を呟きながら、額の汗を拭った。
伯爵は、やむなく健太に数件の「お見合い」の話があることを告げた。もちろん、直接「お見合い」という言葉を使わず、「屋敷の外の困り事を解決する機会だ」「新たな顧客との顔合わせだ」と、言葉を選んで説明する。
健太に婿入り話が来ていることを、フィオナは偶然耳にしたメイドたちの噂話から察してしまった。
「健太様が、わたくしから離れてしまう!?」
その事実に、これまでにない不安が嵐のように渦巻く。その感情は、純粋で、そして強烈だった。
そして迎えた「お見合い」当日。
伯爵が選んだお見合い相手の令嬢、お披露目会にはいなかったものの健太の能力に強い関心を抱いている名家のクレア様との場が設けられた。サロンの一角、優雅なティーセットが並べられたテーブルで二人は向かい合う。フィオナは、サロンの豪華なカーテンの陰に身を潜め、二人の様子をじっと伺っていた。
「健太様、本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」
クレア様は淑やかに挨拶し、健太が持参した手土産――健太が錬成した香りの良いアロマディフューザーを手に取った。
「これは……! どのような魔術でこのような香りを? そしてこの造形も、見たことのないほど洗練されていますわね」
彼女は目を輝かせ、驚きを隠せない様子だ。その表情は、健太への純粋な興味で満ちている。
失礼のないようにと、『完璧清掃』で自身の服をクリーニングし、髪の一本すら乱れないように整えた。さらに、『生活品錬成』で、クレア嬢への「手土産」まで錬成した。柔らかな光を放つ、女性好みの花の香りのアロマディフューザー。
「いえ、ただの趣味で……」
健太は照れくさそうに頭を掻き、アロマディフューザーの使い方や、それが心を落ち着かせる効果があることを簡潔に説明した。クレア様は健太の気取らない人柄と、その手作りのプレゼントに好意を抱き、さらに興味深そうに質問を続ける。
「健太様は、この屋敷の清掃も手がけていらっしゃるとか。我が家にも長年積もった埃に悩まされておりまして……」
「そうですね。屋敷の埃は放っておくと大変ですからね。庭の手入れなんかも好きなんですよ」と、彼の『地味チート』の片鱗を無自覚に披露する。
クレア様は「まさか、そのようなことも!」「我が家にも来ていただきたいわ」と、彼の能力に深い感銘を受けていく。健太自身は無自覚ながらも、クレア様の健太への評価は着実に高まっていった。フィオナの潜む影から、ため息が漏れる。健太は気づかない。クレア様も気づかない。
フィオナは、健太とクレア様が和やかに談笑し、健太の魅力がクレア様に深く伝わっていく様子を目の当たりにする。健太の表情はいつもと変わらない。それがフィオナには耐えられなかった。クレア様が健太に「ぜひ、今度は我が家にお越しいただき、わたくしの私室を……」と言いかけた、まさにその瞬間、フィオナの堪忍袋の緒が切れた。
「健太様!」
フィオナは半ば衝動的にサロンに飛び込んだ。絹のドレスの裾が、ひらりと舞う。一瞬、健太もクレア様も驚き、フィオナに視線を向ける。フィオナは健太の腕に抱きつき、上目遣いで彼を見上げた。その碧眼には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっている。
クレア様が、そんなフィオナの行動に驚き、2人に話しかけようと口を開きかけた。
その時、フィオナは健太の服の裾をぎゅっと掴みながら、クレア様に向かって一歩前に出る。その顔には、目を赤く腫らしながらも涙は消え、決意を宿した強い光が宿っていた。
「クレア様、健太様は、わたくしの大切な家族の一員ですの。健太様がわたくしのそばにいてくださらないと、わたくしは……」
「わたくしは、健太様なしでは生きていけませんの!」
その言葉は、健太への純粋なまでの愛情から出た言葉だった。
健太は(え? 生きていけないって、そんな大袈裟な……)と困惑するが、フィオナの真剣な瞳を見ると、何も言い返せない。
クレア様はフィオナの健太への一途な想いと、健太がそれを無意識ながらもそれを受け入れているその関係性に、ただただ圧倒される。健太という人物は、確かに魅力的だが、同時にリリアン家のお嬢様との間に、あまりにも深い絆があると感じた。
クレア様は、やんわりと頭を下げた。
「フィオナ様が、これほどまでに健太様を必要とされているのであれば、わたくしが口を挟むべきではありませんわね。本日は誠にありがとうございました。失礼いたします」
そう言い残し、クレア様はサロンを後にした。
フィオナの決死の訴えが功を奏し、クレア様と健太のお見合いは不成立に終わった。
「奇跡の職人はリリアン家のお嬢様と懇意らしい」との噂も広まり、お見合いの依頼も激減した。 アルフレッド伯爵は「ふむ……これで、健太殿を我が家から出す心配はなくなったな」と安堵の息をついた。
「フィオナ様は健太様への想いを隠そうともしていない。今度は伯爵様としてでなく、フィオナ様の父として悩むことになりそうだな」
ライアは健太の作った椅子に座りながら、誰にいうでもなく呟いた。
健太は、知らぬ間にお見合いが破談になったことも知らず、フィオナが自分にべったりで機嫌が良いことにどこか安心していた。
そして、自身の存在が、すでにこの世界を揺るがし始めていたことには、未だ全く気づいていないのだった。