第8話 お嬢様たちの社交界!? 健太争奪戦
リリアン・アルフレッド伯爵の執務室の机は、連日王都からの書状が積み重なって山となり、その山の標高は日に日に高くなっていった。健太の噂は、もはや屋敷の中だけでは収まらず、王都の貴族社会にも確実に浸透し始めていったのだった。特に、フィオナが楽しげに読みふける健太作の『漫画』は、リリアン家に出入りする者たちの間で密かに話題を呼び、他の令嬢たちの耳にも届き始めていた。
「これでは、もはや隠し通すのは難しいか……」
アルフレッド伯爵は眉間にしわを寄せ、積み上げられた書状を眺める。
熟考の末、伯爵は一つの決断を下した。健太を「リリアン家の特別な技術を持つ職人」として、王都の有力名家のお嬢様方を招いた小規模な茶会でお披露目すること。あくまで常識の範囲内の素晴らしい技術として見せ、奇跡ではないと印象づけるのが狙いだった。
伯爵から「お嬢様方の前で、屋敷を綺麗にする様子を見せてくれ」と依頼された健太は、また新しい「厄介事」が来たかと多少げんなりした。
(掃除なんて、いつも通りやればいいだけなのに、なんでわざわざ人前で……)
しかし、リリアン家には掃除や料理の頼まれごとはあっても、不自由のない生活を保障してもらっている恩もあり、健太は強く断ることができなかった。
茶会当日、リリアン邸のサロンには、王都から名だたる名家のお嬢様方が集まっていた。
「まあ、リリアン伯爵家がこのような会を催されるのは珍しいですわね」
「健太という特別な職人がいると伺いまして、大変興味がありますわ」
「わたくしの家の古い書物も見ていただきたいものですわね」
国軍に絶大な影響を誇る公爵家令嬢のエレノア、行政執行官の人材を次々と排出する侯爵家の令嬢カサンドラ、大商会を束ねる伯爵家の令嬢イザベラなど多様な背景を持つ令嬢たちが、それぞれの目的を胸に健太に注目していた。
そして、いよいよ健太の実演が始まった。伯爵から指示された通り、健太は『完璧清掃』スキルで、会場の古びた装飾品や調度品に手をかざしていく。健太にとっては単なる「掃除」だ。しかし、彼の指先が触れた瞬間、埃と年月にくすんでいた銀細工の燭台が瞬時に輝きを取り戻し、長年手入れされなかった壁のタペストリーの染みが跡形もなく消え去る。
「まさか、これほどとは……」
「信じられませんわ! まるで時が巻き戻ったかのようです!」
「噂以上ですわ! 一体、どのような魔術を?」
お嬢様方の間から、驚きと感嘆の声が上がる。
実演が終わると、お嬢様たちは堰を切ったように健太の周りに集まってきた。
「健太様! わたくしの家の古い書物も見ていただきたいわ。きっと貴方様なら元通りにできるでしょう!」
「ぜひ、わたくしの屋敷にも来てほしいですわね。長年の汚れが蓄積されていて……」
「一体、貴方様は何者なのですか? そのような技、見たことも聞いたこともございませんわ!」
美しい令嬢たちからの質問や賛辞の嵐に、健太は顔を赤くして困惑する。「え、あ、いや、その……」とどもりながら後ずさりする。
フィオナは、その光景を目の当たりにし、これまでにないほど強く唇を噛みしめた。メイドたちの素朴な憧れとは全く異なる、他の令嬢たちの剥き出しの関心と、健太を品定めするような視線が、彼女の胸に鋭く突き刺さる。健太の隣に立つ彼女は、まるで周りの空気から切り離されたかのように、その場に留まることさえ苦痛に感じられた。「健太様は、わたくしだけのものなのに……!」とその場で叫んでしまいたいほどだった。
たまらず、フィオナは健太の腕にぎゅっと抱きついた。その細い指先が、健太の服の袖を強く握りしめる。「健太様! わたくし、今朝から少し体調が優れないのですけれど、健太様が作ってくださった『安眠香』が、もう切れてしまいまして……わたくしのお部屋で、二人きりで、新しいものを作っていただけませんか?」無邪気さを装った声の裏には、他の令嬢たちに向けられた、鋭い牽制があった。彼女の碧眼は、まるで獲物の横取りを警戒する獣のように、挑戦的な光を放っている。
健太は、フィオナの突然の行動と、いつもと違う強い眼差しに一瞬戸惑ったが、すぐに(ああ、体調が悪いのか。それなら仕方ないな)と納得した。
アルフレッド伯爵は、名家のお嬢様型に健太の能力を「控えめ」に示すお披露目会は成功したと安堵の息をついた。これからも健太に引き合いはあるだろうが、伯爵家と事を構えてでも強引に自分のものにしようという貴族は出てこないだろう、少なくとも今のところは。
「これで当分は、健太殿の能力の全貌を隠すこともできるだろう」
健太は、何事もなく茶会が終わったことに安堵しつつも、いきなり茶会で「体調を崩した」フィオナを心配して、「超絶料理」スキルでお粥を作っていた。