第4話 日用品が伝説級のチートに?奇跡の石鹸
別荘の大改築を終え、健太の心には久々の達成感が満ちていた。社畜時代とは違い、自分の手で何かを作り上げ、人に感謝される喜びは何物にも代えがたい。
翌朝。ピカピカになった別荘のキッチンで、健太は朝食の準備に取り掛かっていた。
森で採れた卵と、健太が育てた柔らかい野菜、そして香ばしいパンをスキルで手早く調理する。バターの焼ける甘い匂いと、野菜が持つ本来の瑞々しい香りが混じり合い、食欲をそそる。フィオナとライアも、その香りに誘われるようにキッチンに顔を出し、目を輝かせた。
「健太様、今朝の朝食も、また素晴らしい香りがいたしますわ!」
フィオナが誇らしげに持ってきたのは、土の匂いがする濁った水だった。
「あー、フィオナ様、水は俺が綺麗にしますんで、そこの井戸から汲んでもらって大丈夫です」
健太は『完璧清掃』の応用で、井戸水を瞬時にろ過し、透明で美味しい水に変えてみせる。もう驚くことにも慣れてきたのか、二人の反応は初日ほどではないが、それでも健太の手際の良さには感嘆の息を漏らしていた。
朝食後、健太は身だしなみを整えることにした。異世界に来て数日、まともな風呂に入っていない。別荘には湯を沸かす設備もあるが、問題は体を洗うものだ。
「フィオナ様、この世界に、石鹸とかってありますか?」
健太が尋ねると、フィオナは首を傾げた。
「石鹸、ですか? ああ、薬師の方が作る『薬用洗浄剤』のことでしょうか? 高価なものですので、私も日常的に使えるものではありませんわ。年に数回、特別な時に使う程度です」
フィオナの言葉に、健太は眉をひそめた。やはり、この世界では石鹸すら貴重品なのか。
(『生活品錬成』で、自分で作るしかないか……どうせなら、ゲーム内でも作るのに時間もかかる「高級石鹸」を作ってみるか)
健太はELSで農場経営の一環として家畜の洗浄用に大量生産していた、「高級石鹸」のレシピを思い出した。材料は、森で手に入る植物油と、灰から抽出できるアルカリ、そして香料になる薬草。
「じゃあ、俺が作りますね」
健太はそう言うと、別荘の裏手で早速作業に取り掛かった。フィオナとライアは、健太が何を始めるのか興味津々といった様子で見守っている。
健太は『生活品錬成』のスキルを使って、木材から灰を作り、それを水に溶かしてアルカリ液を抽出。森で採取した植物の油を適切な比率で混ぜ合わせ、さらに香りの良い薬草を混ぜ込んでいく。健太の手は、まるで熟練の錬金術師のように淀みなく動き、みるみるうちに石鹸の素が完成していく。
「わあ……キラキラしていますわ!」
フィオナが、健太の指先から放たれる微かな光の粒子に目を輝かせる。それはELSのスキル発動時のエフェクトだが、この世界では魔法にしか見えないのだろう。
そして、型に流し込み、硬化を待つ。
数時間後、型から取り出された石鹸は、真っ白で滑らかな塊だった。
仄かに甘く、清々しい、どこか心を落ち着かせる香りが漂う。
「え、これが本当に薬用洗浄剤……?」
フィオナが恐る恐る手に取ると、その滑らかな手触りと、上品な香りに目を輝かせた。
「まあ、 なんて素晴らしい香りでしょう! 私が今まで使っていた薬用洗浄剤とは比べ物になりませんわ」
彼女は感激のあまり、石鹸を頬に擦り付けている。
ライアも無言で石鹸を手に取った。彼女は騎士としての訓練で常に泥と汗にまみれており、体を清めることも重要だ。香りを嗅ぎ、その穏やかな香りに僅かに目を見開く。
「健太様、これはまさに奇跡ですわ! ぜひ、私にも使わせていただいてもよろしいでしょうか?」
フィオナの純粋な瞳に、健太は思わず頷いた。
「もちろんです。好きなだけ使ってください」
その日の午後、健太は別荘の奥にある古い浴室を見て回ると、タイルは剥がれ、浴槽はひび割れていた。
(これじゃあ、まともに入浴できないな。よし、これも作るか!)
健太は『生活品錬成』と『完璧清掃』を組み合わせ、浴室の修復に取り掛かった。
ひび割れた浴槽は瞬時に新しい真っ白な陶器製に生まれ変わり、剥がれたタイルは光沢のある新品に置き換わった。そして、温かい湯を張るための湯沸かし器も設置した。
「フィオナ様、ライアさん、お風呂が沸きましたよ」
健太が声をかけると、二人は信じられないものを見るかのように浴室へと向かった。
湯船に張られた透明な湯からは、心地よい湯気が立ち上り、浴室全体が清らかな香りに包まれている。
フィオナがそっと湯に指を浸すと、その温かさと柔らかさに感嘆の声を上げた。
「なんと……こんなに清らかな湯は初めてですわ!」
そして、健太が作った石鹸を肌に滑らせると、きめ細やかな泡が立ち、これまで感じたことのないほど優しい肌触りに包まれた。泡を流すと、フィオナの肌はつるつるになり、修行でこわばっていた筋肉まで解きほぐされるような感覚に襲われる。
ライアは、入浴後、鏡に映った自分の肌を見て驚いた。普段は訓練による日焼けと乾燥でごわついていた肌が、まるで絹のように滑らかになっている。疲労も洗い流されたかのように、体が軽くなっていた。
「これは……」
ライアは、湯から上がった後の肌のすべすべ感と、全身に広がる優しい香りに、普段の厳格な表情を忘れて、少女のように目を輝かせていた。彼女にとって、この石鹸は日々の訓練による疲労を癒し、肌を整える、まさに騎士の身体を完璧に維持するための秘宝のように思えた。
「健太様……この石鹸は、まさに天上の恵みですわ! これは、父上にも差し上げなければなりません! きっと、王都の貴族の方々も、この素晴らしいお品を求められるはずですわ!」
フィオナは興奮した様子でそう言った。
「え、いや、別にそこまでのものでは……」
健太が慌てて止めようとするが、フィオナは聞かない。彼女は早速、別荘に到着した使いの者に、健太の作った石鹸を1ダースほど持たせ、本邸へと送ってしまった。その石鹸が、王都の貴族社会に、驚くべき波紋を広げることになるとも知らずに。
数日後。
健太は別荘の庭で、『奇跡の園芸』を使って新しい種類の野菜の試験栽培をしていた。すると、別荘の入り口から、けたたましい馬車の音が聞こえてきた。
慌てて出てみると、そこには先日の使いの者と、その隣に立つ、威厳に満ちた初老の男性がいた。その男は、フィオナと瓜二つの碧眼を持ち、見るからに高位の人間の雰囲気を持っていた。
「フィオナ! 貴様、とんでもないものを寄こしおってからに……!」
男性は馬車を降りるなり、健太を睨みつけるように見据えている。その背後には、彼を取り囲むように、重装備の騎士たちが控えていた。
フィオナの父、すなわちリリアン家の当主アルフレッド・リリアン伯爵が、自ら別荘にやって来たのだ。彼の表情には、怒りにも似た困惑と、隠しきれない興奮が入り混じっていた。
アルフレッド伯爵の訪問には、ただならぬ理由があった。フィオナが送った「奇跡の薬用洗浄剤」――健太の作った石鹸――は、王都の社交界で瞬く間に話題をさらっていたのだ。
王都の貴族たちは、石鹸の効果と心地よい香りに度肝を抜かれた。特に、長年肌荒れに悩まされていた貴婦人たちや、体臭を気にする騎士たちにとっては、まさに「神からの贈り物」と称賛された。瞬く間に、リリアン家にはその石鹸を求め、高値で買い取りたいという申し出が毎日くるほどだった。
「まさか、石鹸でここまで大事になるとは……」
健太は冷や汗をかいた。
健太の穏やかで快適に過ごすはずだった異世界ライフは、思いがけない方向に舵を切り始めていた。