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第1話 異世界に転移したら、チートが地味すぎて絶望した話

 佐藤健太、23歳。俺は正真正銘のブラック企業の社畜だった。新卒で入った会社は、入社前の説明とは全く違い、残業は当たり前、休日出勤も多く、上司からの理不尽な要求は日常茶飯事。

 常に身体と精神の疲弊がピークに達していた。何のために働いているのか、この先自分はどうなるのか。そんな漠然とした不安と疲労が、常に俺の心を蝕んでいた。会社から帰宅しても、ただ飯を食い、風呂に入り、あとは泥のように眠るだけの毎日。


 唯一の救いは、学生時代からやりこんでいた『エターナル・ライフ・シミュレーター(ELS)』というゲームだった。巷では「クソゲー」の烙印を押されている生産・生活系シミュレーションゲームだ。

 戦闘要素は皆無。ひたすら畑を耕し、料理を作り、家を建て、家畜を育てる。それだけのゲーム。なぜクソゲーと呼ばれていたかといえば、そのあまりに地味すぎるゲーム性、圧倒的な作業量、そしてスキルレベルの上限が異常に高く、ひたすら同じ作業を繰り返すストイックさが、多くのプレイヤーに「苦行」と見なされていたからだ。

 そして、なんといっても『超絶料理』『完璧清掃』『奇跡の園芸』など、スキル名の絶妙なダサさもクソゲーと呼ばれるのに一役買っていた。


 だが、俺は違った。現実の疲弊から逃れるように、ELSの「地味な極地」を極めることに、なぜか妙な達成感と快感を覚えていたのだ。自分の手で、完璧に整えられた仮想の生活空間を作り出すことだけが、俺の心の平穏だった。

 あのクソみたいな会社で、ひたすら消耗するだけの毎日を送るよりも、ELSの中で地道な作業を繰り返している方が、よっぽど人間らしい生活をしている気がしたのだ。


 昨晩もELSでひたすら畑を耕し、トマトを収穫しまくっていた。気づけば朝。疲労困憊で、ベッドに倒れ込んだまま深い眠りに落ちていたらしい。カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しい。うつらうつらと意識が覚醒しかける中、「あと5分だけ……」と目を閉じたのがいけなかった。


 次に目を開けた時、俺の視界に映ったのは、見慣れたアパートの天井でも、仕事の資料が散乱したデスクでもなかった。


 うっそうと茂る巨大な木々。幹には深く苔が生え、湿った土の匂いが鼻腔をくすぐる。頭上からは、聞いたこともないような、しかし妙に心を落ち着かせる鳥のさえずりが降り注いでくる。

「……は?」

 思わず声が出た。いや、声にならない声だった。

 俺は、横たわっていたらしい。背中に感じる土のひんやりとした感触に、ゾワリと肌が粟立つ。慌てて飛び起きると、そこは完全に森の中だった。深い、深い、まさに「ファンタジーに出てくる森」そのもの。木々の間から差し込む陽光は、まるでステンドグラスの光のように神秘的で、足元の草花には朝露がきらめいていた。


「なんで? 俺、寝てたはずだよな?」

 パニックになりかけたその時、頭の中に直接響くような、妙に澄んだ、しかし抑揚のない声が聞こえた。


『――転移、完了しました。祝福を』


「え、誰!?」

 周りを見渡しても誰もいない。だが、声は確かに聞こえた。

『あなたは、元の世界での功績(ELSにおける膨大な生活スキル経験値)が認められ、この異世界に転移されました。特典として、あなたの持つゲームスキルは、この世界で現実の能力として発揮されます』


「ゲームスキル? ELSの?」

 ELSでカンストさせた『超絶料理 Lv.MAX』、『完璧清掃 Lv.MAX』、『奇跡の園芸 Lv.MAX』、『高速裁縫 Lv.MAX』、そして『生活品錬成 Lv.MAX』といったスキル一覧が頭の中に入ってきた。


「いやいやいやいや、待ってくれよ神様。いや、女神様? なんで戦闘スキルや魔法スキルじゃないんだよ!?」

 声がまた聞こえる。

『それは、あなたがELSで培ったものが、この世界で最も必要とされているからです。さあ、あなたの素晴らしい第二の人生を楽しんでください』

 それは完璧にプログラムされたAIのように淀みなく、しかし、ほんのわずかだが、「ふふ」と笑うような、人の感情のようなものが含まれていたように思えたのは、俺の気のせいだろうか。


「いや、楽しめないだろこんなもん! ブラック企業から逃げた俺が、今度は地味なスキルで異世界でブラック労働させられるってのか!?」

 俺の絶叫は、うっそうとした森の中にむなしく響き渡った。


 完全に詰んだ。


 俺は、チート能力はもらったらしい。だが、それは異世界での冒険や戦闘には何の役にも立たない、極めて地味なチート能力だった。


 ……こういうので、いいのか?

 いや、こういうのが、一番ダメだろ!


 俺は深い絶望に打ちひしがれながら、まずはどうにかして人里を探すべく、森の中を歩き始めた。足元の枯れ葉を踏みしめる音が、やけに大きく聞こえる。当然、方向も分からない。陽が傾き始め、森の奥は早くも薄暗くなり始めていた。


 そして、どれくらい歩いただろうか。

 赤く染まる夕焼けが木々の隙間から覗き始めた頃、ようやく遠くに小さな集落らしきものが見えた。藁葺き屋根の家々が、夕闇に溶け込もうとしている。安堵したのも束の間、そこからけたたましい悲鳴と、獣の唸り声、そして不穏な咆哮が聞こえてきた。


「なんだ、なんだ!?」

 心臓が警鐘を鳴らす。汗が背中を伝う。恐る恐る近づくと、森の開けた場所で、魔物らしき狼の群れに囲まれた、一人の少女の姿があった。

 金色の髪が夕日に輝き、見るからに高貴そうな、可憐な少女。だが、その表情は恐怖に歪んでいた。手には細身の杖を構えている。


「なんでこんな時に魔力が……!」

 少女は杖を構えるが、力が入りきらない様子だ。その腕は小刻みに震えていた。

 助けなきゃ。そう思った瞬間、体が勝手に動いていた。ポケットを探ると、たまたま転移時に持っていた小石がいくつか入っている。これは使える。

 俺はELSの『簡易罠設置 Lv.MAX』スキルを、意識せずに発動していた。


「地味なスキルしかねぇ!」

 走りながら、足元に小石をバラバラとばらまく。それは一見、適当に石を置いているようにしか見えない。

 だが、次の瞬間。


「ガルルルッ!」

 先頭を走っていた巨大な狼が、唐突にバランスを崩し、見えない何かに足を引っ掛けられたように転倒した。その巨体が、土煙を上げながらゴロゴロと転がっていく。後続の狼たちも、まるでドミノ倒しのように次々と転んでいく。一瞬の混乱。狼たちの唸り声が、驚きと戸惑いの声に変わった。


 少女は目を丸くして、その光景を見ていた。その碧眼には、驚きと困惑が入り混じっていた。

 俺は、転んだ狼たちに、ELSの『生活品錬成 Lv.MAX』スキルで、あり合わせの木の実から適当に作った「眠り薬(ELSでは家畜を眠らせるのに使う)」を投げつけた。すると、一瞬で狼たちは白目をむいて、ぐったりと眠りこけた。いびきさえ聞こえてきそうだ。


「ふう……」

 ほっと一息ついた俺は、少女の方を振り返った。夕日が彼女の金色の髪をより一層輝かせ、その表情は、恐怖から安堵へと変わっていた。


「あ、あの……大丈夫ですか?」

 俺の声に、少女はハッと我に返った。

「……貴方、は……?」

 少女の琥珀色の瞳が、俺をじっと見つめていた。その眼差しは、警戒と、そして驚きと畏敬の念に満ちていた。

 俺の地味なチートが、異世界でどんな「勘違い」を巻き起こすのか。

 この時の俺は、まだ知る由もなかった。

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