Oblivion Episode 37 散策
【ヴィシュヌの会戦】から数ヶ月後。
その後も連合軍はウルノ帝国領内で連戦に連勝を飾り、帝都【カーラネミ】へ着実に軍を進めていた。
この間も蒼の公子と緋色の少女は作戦の中核を成す一方で、【七星】が戦線に復帰し再び現れることはなかった。
片や自軍も中心に遠く離れた敵地で疲労が蓄積しており、この日は比較的安全な野営地で休息を取ることにした。
行軍中に敷いた補給地点がここで有効に働き、軍全体に無事行き届く運びとなった。
その中で緋色の少女は、仲間達の安否を確認すべく、一人陣地を散策していた。
オルランド「ん?よお天使様!…あれ、珍しいな、あいつは一緒じゃないのか?」
オリヴェイラ「呼び方…いや、諦めた。でも確かに___といらっしゃらないのは珍しい…」
緋色の少女「ご機嫌よう、オルランドさん、オリヴェイラさん、フォアストルさん。」
オルランド、オリヴェイラ、フォアストルの3人組と遭遇した。
丁寧に挨拶を返す緋色の少女だったが、蒼の公子と特に交流の深い彼らと一緒にいるのではという考えは、早くも頓挫することとなる。
フォアストル「___さんを探してるんすか?」
緋色の少女「はい…あ、特に用があるわけではないのですが。」
フォアストル「じゃあ、上空から探したらいいのでは?飛べるんだし。」
緋色の少女「それもそうなのですが…歩きたい気分なので。」
オルランド「んー、何となくわかるな。空からだとすぐに見つかってしまうだろうし。」
オリヴェイラ「お前にそういう繊細さがわかるのが意外だよ。」
緋色の少女が地面に足をつけて蒼の公子を探すその真意をオルランドが察したことに、オリヴェイラが驚きを持って冷静に突っ込んでいる。
かつては交流戦で戦ったことに端を発し、蒼の公子の学友である彼らとこうして気軽に話すことができているのは、白銀の翼結集から既に数年が経ち戦友として確かな繋がりを得た信頼関係の賜物である。
オルランド「おっと、あんまり足止めするのも悪いな。じゃ、俺達はここで。」
緋色の少女「ええ、3人とも、しっかり休んでくださいね。」
気さくに挨拶を交わし、その場を後にしようとする。
その直後、ふとオルランドが何かを思い出したように振り返り、再び緋色の少女を呼び止めた。
オルランド「そうだ、一つ言い忘れていたことが。必ず、最後まで生き残りましょう。あ…?いや、普通に、今更感凄いな、うん。」
緋色の少女「ふふっ…そういう貴方の実直なところ、私は好きですよ。」
オルランド「!…おっと、思わぬ不意打ち。」
緋色の少女の返しに、オルランドは小さく身じろいでしまった。
普段は飄々としている彼も、「好き」という言葉を、ましてや彼女のような絵に描いたような正真正銘の可憐な天使の口から聞くと、何か揺さぶられるものがある。
無論親愛なる仲間に向けた言葉だとはわかっていても、動揺させられた悔しさがある。
こうなっては半分冗談でも何か返さなければ気が済まない。
オルランド「全く、心臓に悪い人だ。まあ、未来の王妃様たる者、それくらいの親しみやすさがあった方が…痛てててッ!!」
緋色の少女「お、王妃…?」
オリヴェイラ「すみません___様、こいつ後で締めておきますので、どうかお気になさらず。」
オルランド「何すんだオリヴェイラ、その腕放しやがれ!!」
オリヴェイラ「普通に無礼。」
オルランド「何でだよ!?」
フォアストル「し、失礼しましたー!」
オルランドがオリヴェイラに粛清されながら、フォアストルと共に足早に立ち去っていく様子を見て、緋色の少女は思わずクスッと笑った。
全く気にしていないどころか、「王妃」と呼ぶ声が、しばらく頭の中で響いている。
緋色の少女「王妃、ですか…」
当然ながら今まで一度もその呼称で呼ばれたことはないし、まさか自分がその座に着こうとは今も考えにも至らない。
公国が王国に生まれ変わる時、いずれ初代王となる蒼の公子の隣には誰が並び立つのだろうか。
オルランドに茶化されて、初めて意識したと言っても過言ではない。
緋色の少女「そんな未来が訪れたら、きっと素敵なんでしょうね。」
しかしやはりどうしても他人事のように考えてしまうため、現実感からは程遠い。
自分はあくまでも蒼の公子の治世を支える剣である。
今は近くにいられるだけでも十分だと、心の底から喜びを噛みしめるのだった。
再び散策を再会すると、また一人白銀の翼の団員と遭遇した。
シャール「これは___様。護衛もつけずお一人とは。」
緋色の少女「ご機嫌よう、シャールさん。お互い様ですよ。」
白銀の翼の前身、【白い翼】の元団長であるキルリス族出身のシャール。
ちょうど愛馬の毛繕いをしている最中だったが、緋色の少女が通りかかったところでその手を止め、丁寧に挨拶をしてくれた。
緋色の少女「相変わらずお見事な毛並みです。」
シャール「お褒め頂き光栄ですが、貴方の白き羽には及びませんよ。」
緋色の少女「ふふっ…ご冗談が上手。」
馬の毛並みと羽を比べてくる辺り、シャールは掴みが上手い。
彼と共闘して既に何年も経つが、旅の傭兵団の団長として交渉や団員の取り纏めをになってきたのだろう。
シャール「前から気になっていたことがありますが、何と言いますか、今の貴公と戦場の貴公は、まるで別人のようだ。」
緋色の少女「別人、とは?」
シャール「今はお淑やか、ですが、戦場の貴公は、言葉を選ばずに申し上げるなら、苛烈極まりない。」
緋色の少女「二面性のある女性は苦手ですか?」
シャール「いえ、むしろ魅力的ですね。」
シャールは包み隠さず正直に、緋色の少女をそう評した。
あまりそのような言葉で表現されたことがないので、ピンとは来なかった。
シャール「普段の貴公は常に一歩引いた位置で___様を引き立てる立場に徹しますが、戦いとなると人が変わり、彼に並び立つように戦場を舞う。貴方にとっての至上命題とは、___様を守り抜くこと。そのためなら、己が手を汚すことを厭わない。俺から見た貴方は、そんな印象です。」
緋色の少女「そんな…面として言われるとむず痒いですね。」
照れ臭く笑う緋色の少女だったが、悪い気はしなかった。
シャールの言うように、自分は蒼の公子のことを一番に思い障害を排除する役割に徹してきた。
己の原動力とは何たるか、秘めた想いを打ち明けた。
緋色の少女「あの人は私にとっての全てです。彼のためなら、私はどんな自分にだってなり切れる。命だって惜しくはありません。彼に救われた、あの日から。」
真っ直ぐで、純真で、蒼の公子のためなら全てを擲てる少女の全体像が、そこにはあった。
彼女より少し長く生きているはずが、シャールには物凄く眩しく見えた。
その齢にして何もかもをも捧げられる心の支えに出逢えていることが、どこか羨ましかった。
同時に危うさも感じた。
人生の先達者として、何かかけられる言葉はないものか。
シャール「何とも美しき慈愛の心。本当に大切に想ってらっしゃるのですね。こんな可憐な方が傍にいて、殿下も果報者だ。ですが、どうかご自分のことも自重されるよう。いずれ殿下の築き上げる治世に貴方がいなくては、本末転倒だ。貴公が彼を一途に想うように、彼にとっても貴公は間違いなくかけがえのない存在なのですから。」
緋色の少女「ええ。私も、あの人の治世を支えられるよう、負けるわけにはいきません。」
緋色の少女の想いの強さには到底及ばないが、根幹的な志は共にする2人。
確かにこれまでにも彼女の自身を顧みない危険な行動は過去にもなかったわけではないが、蒼の公子に心配させたくないのもまた本意である。
今の彼女であれば大丈夫なのではないか。
それを確認したシャールは、最後に今後とも彼の元で懇意な主従関係を築けるよう申し入れた。
シャール「この戦いに勝利し、王国が成った暁も、我々を是非貴方方の配下に加えてください。」
緋色の少女「ふふっ、願ってもいない、とても頼もしいです。」
その後シャールと別れた緋色の少女は、再び蒼の公子を探しに歩いて陣地の散策を再開した。
今日は特に白銀の翼の面々とよく出会う。
今し方シャールと分かれたはずが、既に視界には片隅で談笑している兄妹の姿すらも見える。
ジラール「お、___様。」
ナモ「こんにちは〜!」
ジラールと、明るく手を振ってくれるナモに、緋色の少女も手を振り返す。
偶然の鉢合わせはそれだけに留まらない。
道すがら、行く先々で同じ現象が起きだした。
チャルデット「あ、___様、見回りお疲れ様です。」
ダノワ「お疲れ様です、___様。」
テュルバー「先の戦いでは助かりました!」
ライノルト「___様、誰かをお探しですか?」
サロモン「___様を…あちらの方で見かけたような…」
フロリマール「___様、ご指導いただいた魔法、また後で見てもらっても良いですか?」
わずか1時間足らずで、これだけの苦楽を共にしてきた隊員達と遭遇するとは思いにもよらなかった。
それにしてもここまで見つからないとは、隊員達との交流があったにせよ想定外であった。
しかし急ぎの用件でもなく、焦らず再び歩を進めたところ、今度は意外な人物と出会した。
緋色の少女「あ、シングさん。」
シング「…あんたか。」
異邦からの来訪者、シングが出立の準備をしている。
彼は現在も連合軍に籍を置く傍らで、単独で行動することが多い。
とはいえ数ヶ月前の【ヴィシュヌの会戦】は不在だったものの、度々帯同しては連合軍の強力な戦力になることもある。
他方面の前線の情報を持ち帰ってくる彼の働きぶりは、今や欠かせないものとなっている。
緋色の少女「また、どこかへ?」
シング「帝都近郊へ。この戦いも佳境だ。だが気は抜けない。敵の本拠地に近くなる程、抵抗は激しくなる。俺はそもそも表立った行動には不向きだ。隠密活動兼威力偵察、この辺りは俺の領域だ。」
緋色の少女「そうですね。ですが、私は知っています。貴方もあの人のような、確固たる信条があるということを。貴方は謙遜しますが、現に私達は何度も助けられました。」
肝心な時に不在にすることの多いシングを不当に評価する者も軍内には少なからず存在したが、緋色の少女にその偏見の目はなかった。
同時に、蒼の公子同様に譲れないものがあると、彼を慮った。
シング「俺の主は、行き場のない俺に手を差し伸べてくれた大恩ある人物だ。若くして5つある群島をまとめ上げ、共に治めようと道を示してくれた。その群島こそが、この世界とを繋ぐ玄関となっている。だから俺は、扉の先の世界からの侵攻を防ぐべくこの地に立った。」
これまで、シングの過去のことについては誰も知るところではなかった。
彼もまた、己の命を懸ける者のために奔走していた。
群島を統一し、その人物と共に国を導こうとした矢先に、異なる世界からの侵略の噂を嗅ぎ付け現れたという。
緋色の少女「もう、長いのですか?」
シング「それは当然、開戦からもう3年経つからな。だが、彼女には不思議な力がある。離れていても時折思念で話しかけてくる。すぐ近くにいるような妙な感覚だ。」
緋色の少女「ふふ…不思議な方なんですね。」
シング「さて、な。生まれ付きらしいが。だからこそ、必ず帰還しなければならない。遠くに居ても気に掛けてくれる彼女の故郷へ…そこで懐刀として、彼女の治世を支えるためにも、な。」
遠方からのやり取りができるとあれば、あまり離れ離れの気がしていないようだ。
その分異界の地から無事帰るという強い使命感を抱いている。
身近な誰かのためにという点において、緋色の少女は親近感を覚えるのだった。
シング「いつも言っていることだが…俺が戻らなくとも、こちらのことは気にせず、あんた達は行軍を続けるんだな。」
緋色の少女「お気をつけて。皆さんに伝えておきます。シングさん、必ず、帰りましょう。お互い、それぞれの故郷へ。その時は是非、貴方の故郷を案内してください。」
シング「…将来の王妃様に、そんな余裕があるのか?」
最後に意味深な言葉を残し、背中越しに手を振りながらシングはその場を立ち去った。
王妃様…王妃とは?
一体誰のことを指しているのかと頭を巡らせるも、小一時間悩むような全く検討がつかない緋色の少女ではない。
オルランドといい、自分はそういう目で見られているのか。
これ以上照れ臭いことこの上ない。
決して自分のことではないと雑念を振り払うように首を振り、己を落ち着かせる。
緋色の少女「全く、皆さんは…」
呆れてため息をつく緋色の少女。
しかし冗談だろうがなんだろうが、どこか心地が良いとも感じる。
皆共通して自身がリーヴェの民という種族の壁を取っ払って接してくれたのが何よりも嬉しい。
未だ続く蒼の公子を探す陣内散策は、思いがけず仲間達の隠れた一面をも知る貴重な時間となるのだった。




