Oblivion Episode 3 遭遇
あの邂逅は偶然か、必然だったのだろうか。
あの黄昏の誓い後、まだ地上に降りて日の浅い緋色の少女を蒼の公子は連れ出しては交流を図った。
そこには一切の出来心はなかった。
ただ純粋に、いずれ共にアリエル公国を大きくする同志…いや、同じ年頃の友達が欲しかったというのもあるが、己の住まう領内の美しい自然や街並みを緋色の少女に知ってほしかった。
そんな様々なことを教えてくれる蒼の公子と出会ってから早い段階で緋色の少女が全幅の信頼を置くことは何ら不思議ではなく、また退屈することもなく、いつしか彼と遊ぶことが楽しみになっていた。
緋色の少女「お母さん、行ってまいります!!」
夫人「日が暮れないうちに戻るようにね!」
元気よく家を飛び出す娘を、母親は温かく送り出した。
彼女の両親も娘を連れ出す蒼の公子の存在及び素性は把握しており、まだ地上において右も左もわからなかった彼女に知らない世界を見せてくれることから、いつの日からか一任していた。
まだ幼いながらも絆を育むその光景を、両親は微笑ましく見つめていた。
ベンヌ「今日はあの子と遊ぶ日だったか。」
夫人「ええ、たった今飛び出していきましたよ。」
ベンヌ「やれやれ、あそこまで表情豊かでお転婆ではなかったと思うんだがなぁ。」
夫人の言葉にフィーニクス家当主ベンヌ卿は頭を掻き苦笑を浮かべつつも、どこか安堵している心情が読み取れる。
フィーニクス家がまだ地上に降りる前、また降りた直後の緋色の少女の一日は、公爵家としての教養のため様々な知識や武芸を身に付ける日々が続いていた。
緋色の少女はいわば天才型で、物覚えが早い上に要領も良く、また剣を教えればすぐに様になり、一方で弓を持たせれば的を射抜くレベルには上達に時間を要さなかった。
しかし、やる気は感じられるものの淡々とそつなくこなすその様子は緋色の少女の日々に刺激をもたらすには至らず、それが両親の悩みの種になっていた。
地上に降りて違うアプローチを試みようとした矢先、年頃が同じ蒼の公子との、しかも現地の有力貴族アリエル公の嫡子との邂逅は、以来幾分か表情の明るくなった娘の成長という点では想像を遥かに超える僥倖だったと2人は彼との出逢いに感謝するのだった。
逸る気持ちを抑えきれず颯爽と街中を駆け出していく緋色の少女。
今ではこの綺麗なアリエル公国首府ファルタザードに住み慣れてきたのも、彼が親密親身に案内してくれたおかげだ。
齢8歳の2人が誰も護衛をつけず平然と街中を巡ることができるのは、偏に現アリエル公が治めるアリエル公国の治安の良さが成せる手腕である。
あの日夕陽が沈む中契りを交わした城壁の一角は、今では2人を引き合わせる待ち合わせ場所として思い入れがあり足を運んでいる。
すると城壁には既に、遙かなる水平線を見据える蒼の公子の姿がそこにはあった。
どうやら先に到着していたのは彼だったようだ。
緋色の少女「ごめんなさい、待たせてしまって…!」
蒼の公子「ううん、僕も着いたばかりだし、気にしないで!というか、お互い早かったね!」
それもそのはず、待ち合わせの時間までまだ30分もある。
思わず謝罪した緋色の少女も早かったが、蒼の公子が更に早すぎた。
お互い様である。
緋色の少女「?どうかしましたか?」
ふと、自身をまじまじと見て不思議そうに観察する蒼の公子の様子が気になった。
緋色の少女が心配そうに尋ねると、はっと我に振り返る。
蒼の公子「!うん、今更だけどフィーニクスの皆さんって着ている服はいつもどうしているんだろうと思ってね。特に、背中の部分とか…」
緋色の少女「ああ、これ…リーヴェには私達に合わせた仕立て屋さんがいたんです。そういえば、アリエルに降り立つことになった時連れてくることは叶わなかったかな…」
蒼の公子「ふーん…?」
リーヴェの民そのものが文字通り【天空の国 リーヴェ】にしか存在しないため、そもそもがリーヴェの民に合った服を仕立てる職人はファルタザードもといアリエル領、ひいては地上のどこにも存在するはずがない。
今になって気付いたが、今後彼らにとっては不便を強いられるはずだ。
蒼の公子「なら僕達の出番だね!後で父上に掛け合ってみよう!」
緋色の少女「え…?いえ、わざわざ私達のために…!」
蒼の公子「これからこの街に住むんだから、不便さは解消しないと!」
そんな手間はかけられないと緋色の少女は慌てふためく。
だが既に蒼の公子の頭の中は、領主である父に進言する上でどう手順を踏むべきか思考を巡らせている。
蒼の公子「でも課題はある。僕は職人さんじゃないからよくわからないけど、適当にフィーニクスのみんなに合わせて仕立て直したところで必ずズレとかが生じると思う。そこで、フィーニクス家に仕える使用人さんを呼んで、その人のアドバイスを元に職人さんに技術として教えてもらえれば…!」
あれこれと熟考こそしてはいるが、所詮は10歳にも満たない子供の思考である。
或いは周囲の大人達は取り合わないことだってあるだろう。
しかし、彼が領主の嫡男だからという身分もあるだろうが、それ以前に不思議と彼の言葉には実行力が伴うような確信を抱かせた。
自分の一族のために真剣に検討を試みる。
緋色の少女が移住を決断したわけではないが、改めてこの街に移り住んで良かったと思う。
緋色の少女「あ、ありがとうございます…」
頬が赤くなっていくのが自分でもわかる。
自分だけでなく一族のために考えてくれることが、こんなにも嬉しいことなのだと初めて実感する緋色の少女なのであった。
ファルタザードの開けた緑豊かな街道を肩を並べて歩く2人は、近況を報告し合っている。
もちろん2人で遊ぶこともあるが、生まれが生まれだけに公務の話に及ぶこともしばしばある。
蒼の公子「キルリス・イリアス産の馬を僕達の国の主力に添えようという話があがってて、今度、父上が自ら交渉に出向するんだって。僕もついていくことになったんだ。」
緋色の少女「騎馬…私の国にはなかった部隊ですね。リーヴェはペガサスが主力でしたから。地上にも少数ながら生息するみたいですけど、地上に降りる時何頭か連れてきましたよ。」
蒼の公子「厩舎で見た!やっぱりカッコいいね!」
フィーニクス家がアリエル公国に属したことでペガサス部隊も編入することになるが、あくまで主力は騎馬に添えるつもりだ。
そこで、遙かなる大地が広がる草原に住居を構えるキルリス族、イリアス族が放牧する馬をアリエルに提供してもらうための、両部族との交渉及び同盟を結ぼうと画策しているのだ。
他国から見たアリエル公国は、近年現当主の下で力をつけてきている新興国としての位置付けであり、近隣の国や部族からも無視できなくなっている。
一方で他国の侵略を目的とした勢力圏拡大には関心がなく、今の領地を元にしたより強固な国を造ることを念頭に置いている。
そのためには軍事力の強化も必須事項であり、アリエル公は歩兵隊だけでなく騎馬隊を主力に編成する狙いがある。
同盟だけでなく遊牧民達との交流を図り、国を発展させるその交渉に、蒼の公子も同行するというわけだ。
緋色の少女「期間は長いのですか?」
蒼の公子「往復入れたら5日ぐらいかな?聞いた話だけどね!無事締結して、戻ってくるよ!
つまり、大凡1週間間隔で遊んでいる今と殆ど大差はない。
蒼の公子と会えるこのひと時が、かけがえのない安らぎの時間になりつつある緋色の少女にとって、決して待ち遠しい期間ではない。
今回はついていくだけとはいえいずれその役目を引き継ぐことになる彼と、アリエル公の外遊の成功を祈るばかりである。
その後も蒼の公子が緋色の少女を連れ街の様子を見に行こうと歩き出した、その時である。
蒼の公子「ん?」
緋色の少女「あら?」
蒼の公子と緋色の少女が街道の道端で同じものを見た。
異変を察知し、すぐに駆け寄る。
あまりにも小さな影であり、危うく気付かないところだったが2人は迷わなかった。
緋色の少女「酷い怪我…だいぶ弱っている…」
蒼の公子「動物も診てくれるお医者様は…ここからちょっと遠いな…!」
緋色の少女「私に任せてください!」
蒼の公子が抱き抱えたその小さきものに、緋色の少女は手をかざす。
彼女は一気に集中力を高め、ある詠唱を唱え始めた。
緋色の少女「再生の灯…【リジェネレイト】!」
何らかの魔法を使用した。
するとその小さきものを中心に光が眩き、満身創痍の身体を徐々に癒していく。
小さきものも徐々に落ち着き、蒼の公子の腕の中で眠りにつくのだった。
蒼の公子「凄いね…そんな力があったなんて…」
緋色の少女「いつも教養として練習していたから…でも、こんな形で役に立つなんて…」
リーヴェの民は教養として、素質がない限りは回復魔法は必修である。
フィーニクス家も例に漏れず、地上に降りた後も緋色の少女は家庭教師の指導の元熟練度を上げていた。
特に抵抗もなく淡々と磨き上げていたが、こうして力になれたことは無駄ではなかったと感謝の思いを抱いた。
緋色の少女「この子、どうしましょう…?」
蒼の公子「うーん…」
どこから迷い込んだのかはわからないが、まず野生と見て間違いない。
まだ小さく、おそらく群れから逸れたのだろう。
このまま森に返したとして、過酷な環境を一匹で生き抜くには子供でも難しいとわかる。
フィーニクス家の家風が動物を飼える環境なのかはわからない以上、自分の家の勝手はわかっている蒼の公子が、すぐにその役目を買って出た。
蒼の公子「じゃ、僕の家で飼おうかな!」
緋色の少女「でも餌とかは…」
蒼の公子「うちなら問題ないね!意外と変なところで寛容だし!」
何の迷いもなく蒼の公子は言い切る。
いつもながら思うことがある。
彼の言葉には全て現実味が詰まっている。
他ならぬ彼女自身が引っ張られているのだから間違いないのだが、これが王の器…カリスマというのだろうか。
彼なら必ず立派な王様になれる。
緋色の少女の頭の中は、既にそんな未来が浮かんでいた。
蒼の公子「となると名前も決めないとだな…」
緋色の少女「まず男の子女の子どっちでしょう…?」
蒼の公子「多分女の子。」
緋色の少女「わかるんですか?」
蒼の公子「雰囲気?」
緋色の少女「ふふ、何ですかそれ。」
この後もう少し街の外を散策するつもりが、思わぬ小さきものを拾ったことでその日は切り上げとなった。
向かった先は『それ』を飼育する籠、あるいはケースが置いていそうな店。
心当たりのある店で店主がその小さきものの大きさを見るなり手頃なのを用意してくれた。
まだ漠然としているが、森に帰れるぐらいに成長したら返すのもよし、それまではアリエル公爵家で飼うのが良いだろう。
蒼の公子「エリ…エイ…いや違うな。アイ…」
緋色の少女「名前ですか?」
蒼の公子「うん、ピッタリな名前が思い付きそうでね!」
ケースも入手することができて、犬か猫を拾ったような発想で思案する蒼の公子を、緋色の少女は興味深そうに覗き込む。
彼女も一緒になって考え込むも、結局は蒼の公子が考え付いた名前に落ち着きそうである。
それはそれで良い。
自分では良い案が思い付きそうにないというのはただの彼女の劣等感に過ぎないが、彼が一生懸命考えに考え抜いた名前であれば間違いがあるはずがない。
小さきものが今のままでも楽しい日常に更なる変化をもたらしてくれる予感がして、温かい眼差しで可愛がる。
これは後日談だが、度々街の中を散策する、いずれはアリエルを導くであろうある蒼の公子と緋色の少女の二人組に、いつからか尾が複数生えている一匹の小さきものが加わったのだという。