Oblivion Episode 23 悪夢
緋色の少女がファルタザードに帰還して早1年が経過した。
それまでウルノ帝国との戦端が開かれることなく、不気味な日々を過ごしていた。
アリエル公国としてもこちら側から仕掛けることなく、着々と軍備を整えていた。
その中で、蒼の公子率いる【白銀の翼】に新たなメンバーが加わった。
目星はつけてはいたが士官学校に席を置いており、この度1年遅れて卒業を果たした蒼の公子の従弟にあたるユーリその人である。
ユーリ「光栄です、___義兄さん。期待に応えるべく、必ずやお役に。」
蒼の公子「あまり根詰まらないようにな。周りを頼ることも、忘れないように。」
士官学校でも優秀な成績を修め、実力の程は申し分ない。
他に隊に組み込みたい逸材が複数いたが、そもそもが少数の部隊であること、軍全体のバランスを考え、自国からは彼のみの選抜の運びとなった。
むしろ、魔法を一線級に扱えるのが蒼の公子や緋色の少女の他モージとレティシアの4名のみと心許なく、この度新たに3名の魔導を専門とする仲間をエクノア王国から迎え入れた。
一人は、緋色の少女に続き王立魔導学院の二期生として卒業を果たしたフロリマールである。
1年前緋色の少女が学院を旅立ったあの日、憧れの彼女の後を追うと誓い見送りに訪れた一学年下の後輩だ。
フロリマール「___様、またお会いできて嬉しいです!このような形で抜擢していただけるなんて…また、色々と学ばせてくださいね!」
緋色の少女「はい。私も、嬉しいです!」
比較的早い段階でファルタザードへの仕官を志していたフロリマールだが、緋色の少女も学院で割とよく見かけた筋の良い顔見知りの後輩として認知しており、彼女の後押しもあり晴れて【白銀の翼】の一員となった。
さらに、同じエクノア王国から2人。
中立国として他国に肩入れできない代わりに、個人の意思でアリエル公国に転属した、ライノルトとサロモンだ。
2人とも軍属経験があり、またライノルトは理属性に、サロモンは闇属性に精通しており、即戦力としても十分に期待できる。
ライノルト「流石にリーヴェの民の中でも名門と名高いフィーニクス家の出の貴方には遠く及びませんが…」
サロモン「転属して早々___様の部隊に加えられようとは…必ずや、エクノア魔道士に恥じない戦いを。」
初顔合わせで、新進気鋭の魔道士2人はそう意気込みを語った。
緋色の少女が学院に在学中の頃からその噂、実力に王国の正規軍の身ながら関心を寄せていたが、それ以上にアリエル公国もといこの大地に降り掛かる災いを見て見ぬふりをすることができなかった。
表向きは中立を装うエクノア王国も、民一人一人の意思を尊重し他国に所属することは禁止していない。
むしろ覇権を唱えるウルノ帝国に対し反発の声が国内からも上がっており、2人のように個人で祖国を離れ当事国に所属する有志も少なくなかった。
これで【白銀の翼】は17人と1匹までに部隊が拡大され、当初の目標に近い人員を確保することができた。
前衛、騎馬、飛行、回復、魔法と穴がない理想の部隊を束ねる身となった蒼の公子は、その後隊員間の連携を深めるため、様々な状況を想定して彼らと修練に励むのだった。
ある日、蒼の公子はフィーニクス家当主にして、緋色の少女が不在の間武芸や政と上に立つ者に必要なことを師事してくれたベンヌ卿に屋敷へと招かれた。
次期国王となる蒼の公子も、彼を前にすると恩師として頭が上がらない。
なおこの招待に、ベンヌ卿はあえて娘を席から外した。
彼女なしで2人で話し合いたいことがある裏返しであった。
ベンヌ「気分はいかがかな、___君。」
蒼の公子「ええ、おかげさまで。皆出身や地域が分かれて戦い方が多種多様ですが、連携を確認するごとに精度が増し、あらゆる戦況でも臨機応変に戦える力をつけてきています。」
ベンヌ「結構。若手からベテランの傭兵まで、非常にバランスの良い部隊が組み上がったことだろう。戦力の底上げは、波音がまだ立っていない今の時期だからこそ欠かせない。」
【白銀の翼】の構成員はベンヌ卿も知るところであり、独自に各々が力も評価していた。
師である彼が思うに、蒼の公子と緋色の少女を筆頭に公国の精鋭に頼りすぎない粒揃いであること、また他国との混成軍により様々な特色を取り入れた強力な一小隊であると認識を示した。
ベンヌ「君の一団は、必然的に軍略の要を受け持つことが多いだろう。誰一人欠けず、最後まで生き抜くために、君の采配が鍵を握る。まあ、一人でできることはたかが知れている。娘だっている。周りを頼ることも忘れずに。」
蒼の公子「はい、肝に銘じて。」
ベンヌ卿がこの話を持ち掛けてくるということは、既にその時が近いということである。
最近になってウルノ帝国の国境が活発になってきていると斥候からの報告もある。
仲間の命を預かるとは、それは並大抵の人間ではプレッシャーに押し潰されるほどの重責を背負うということだ。
その点は強靭な精神力に物を言わせ戦場に立てる器であることは、既にベンヌ卿からお墨付きを貰っている。
たった一点だけを除いて。
ベンヌ「話は変わるが…君達はうまくいっているのかい?」
蒼の公子「…えっと!?」
完全に不意打ちをくらった。
師からとんでもない爆弾を落とされた。
しかし、よくよく考えればベンヌ卿はフィーニクス家の当主である以前に緋色の少女の父親だ。
2人の仲は幼少期の頃から見てきている。
これが彼が娘を席から外させた理由か。
蒼の公子「どうも何も、私と___は…」
ベンヌ「そんな子供騙しの話をしているのではないさ。確かに、顔に出やすいあの子と違って、君は表面上には出にくいがね。」
顔から火が出るとはまさにこのことか。
ベンヌ卿に呆気なく看破されて、観念した蒼の公子は下手に言葉を濁すことなく素直に返すことにした。
ベンヌ「ここにきてからというもの、アリエル公爵家、特に君には娘が随分世話になった。あの子はリーヴェでは誰とも関わりを持たずいつも一人だった。だが君と出会ったことで、笑うようになった。様々な思惑が重なり合ってこの地上に降りてきたが、娘を新たな環境に連れ出す点においては、間違いなく功を成したと言える。」
娘に笑顔が見られるようになったのは、蒼の公子のおかげであると懐古する。
そういえばアリエル公国に来る前の、フィーニクス家の歩みや暮らしぶりをこれまでに聞いたことがない気がする。
リーヴェにいた頃の緋色の少女が閉鎖的だったとは、出会ったばかりの頃を思い返すと予想の範疇とはいえやはり堪えるものがあった。
蒼の公子「初めて聞きました、そのお話。」
ベンヌ「だろう?君とはこれまで武芸や政としか話したことがほとんどなかったからな。」
普段とは違うベンヌ卿の語り口に、不思議と緊張感が和らぐ。
ベンヌ卿はおもむろに食器棚から2人分のカップを取り出し、慣れた手つきで紅茶を注ぎながら語った。
ベンヌ「君に出会ってからというもの、あの子は君の前ではとても親身だ。本当の意味で目に光が宿った。食卓もそれはそれは賑わった。父親としてどれほど嬉しかったか。あの子は間違いなくこの先君が苦難に出会しても、その身を粉にして君を守ろうとするだろう。どんな手を使ってもね。その身を厭わない献身性、実のところ私は親としては反対しないことにしている。」
蒼の公子「?それはどういう…?」
緋色の少女の自身を顧みない特性は蒼の公子も薄々と勘付いてはいた。
普通であれば親は自分を大事にと諭すであろう。
それを、ベンヌ卿は静観する構えだというのだ。
蒼の公子が疑問に思うのも不思議ではない。
ベンヌ「あの子がそこまでして挺身する相手…幼き頃より絆を育み、空白の4年の時を経てなお一層深まる無二の存在。私は、君になら娘を託しても良いと考えている。」
蒼の公子「…!」
今、ベンヌ卿の口から出た言葉を、蒼の公子はすぐには鵜呑みにはできなかった。
彼が冗談で相手を惑わすようなことはしない人物であることは百も承知である。
それが、内容が内容なだけに実感が湧かない。
無理もない。
今まで誰かに口にしたことも、当然本人を前にしても積年募らせた自らの想いを明かしたことはない。
奥手なのは緋色の少女だけではなかった。
だが、彼の表情は意外なものだった。
ベンヌ「?浮かない顔だね?」
蒼の公子「いえ、まだ信じられないといいますか…」
その言葉に決して嘘はない。
むしろ、ベンヌ卿からある意味で認められたようで、人目がなければ喜びを全身で表したい程だ。
もしかしたら緋色の少女の父親である彼からその言葉を聞くために、今日まで研鑽を積み重ねてきたと言われても否定はしない。
だが、昔と今とでは自身を取り巻く環境が全く違う。
とうとうこの日を迎えたかと感慨深いものがあったが、その表情はどこか影を落としていたのだ。
蒼の公子「大変嬉しく存じます。【天空の国 リーヴェ】の四大貴族当主だった貴方に、そのような評価をしていただけるとは。ですが、私はまだ、この申し出を受けることができません。今の私は、公国の要を担う一小隊を率いる身。___もいる。皆の力を借りながら、戦って、最後まで全員生き抜くことこそが私の役目。ただ…」
ベンヌ「自信がないかい?」
蒼の公子「いいえ。決して臆病ではありません。負けるつもりもない。ですが、戦場に絶対はない。」
揺るぎない自信と同伴して恐れを知る蒼の公子の姿が、そこにはあった。
どんな相手でも油断なきよう戦えるその心構えはなかなかその歳で持てるものではないが、彼はそれだけに留まらない。
蒼の公子「___は強い。それは、___が帰ってきて早々に手合わせして僅差で及ばなかった程には。勝った自覚はなさそうでしたけどね。それでいて、常に私のサポートに徹し、あの頃のように接してくれている。力だけでなく、あの笑顔、優しさ…私には勿体ないくらいです。ですが、もし私の身に予期せぬ何かがあったら、交わした約束は、取り残された___は一体どうなる?僅かにでもその可能性を捨て切れないうちは、胸を張って応えることができない。」
決して緋色の少女の前では明かさない心の内を、蒼の公子は打ち明ける。
ベンヌ卿は思わぬ返答をした愛弟子の抱えてきた苦難を、ただただ傾聴する。
蒼の公子「舞踏祭があったあの日の夜、私は___についファルタザードで帰りを待っていて欲しかったと漏らしてしまいました。どれだけ彼女が強くても、5年前のあの記憶がどうしても過ってしまう。二度と彼女をあんな目に遭わせまいと、貴方を頼りに磨きに磨いた4年間です。私に何があっても、彼女にだけは生きていてほしい。彼女の力を心のどこかで信じきれないでいる私は、そういう意味では臆病なのかもしれません。」
ベンヌ卿は理解した。
蒼の公子が言うように、彼は戦いに対する恐怖はない。
その反面、緋色の少女を独りにしてしまうこと、また彼女を失うことに恐れを抱いていた。
あの悪夢が、今もなお彼の精神を蝕んでいたのだ。
娘を避けているのではなく、誰よりも彼女を一番に想っているからこそ応えられないのだと理解したベンヌ卿は、その上で自らの彼に対する印象を明かした。
ベンヌ「君は良い公爵…王になれるよ。己の力に慢心せず、驕らず、常に誰かを思いやるその心こそ、領主に欠かせないものだ。」
真摯な眼差しで彼に向き合うベンヌ卿の言葉を、蒼の公子は真剣に受け止めた。
現当主として一族を統率している以前に、師からの助言として格段に重みがある。
ベンヌ「___にこの街に留まるよう本音を語ったと言うが、それでも君は部隊からあの子を外さなかったのだろう?信頼している、何よりの証だ。それにあの子はフィーニクスの歴史が始まって以来の秀才…今はまだ私には及ばないが、あれは私を超える。それに私は、あの子を君に託してもいいと言った。君だからこそ、安心して送り出せるのだ。」
戦いへの恐怖とは違う張り詰めた緊張を一旦解き本心を打ち明けた蒼の公子に、その上でベンヌ卿は自分を信じると背中を押す。
まだ彼の願いを受け入れることはできないが、そこまで信頼されては申し訳が立たない。
代わりに何とか報いることはできないか、蒼の公子は覚悟を決めて自身の思い描く未来を提案した。
蒼の公子「貴方のご子女は、必ず生きて返します。そして、私も戦乱を終結させ無事帰還できた暁に、今度は私の方から貴方の元へ伺います。今日お互いに叶わなかった約束を、果たすために。」
ベンヌ「うむ、今置かれている状況を思えば、君の意見を尊重しよう。その時が訪れるのを、私も待っている。」
ベンヌ卿が差し伸べた手を両手で固い握手を交わした蒼の公子は、厚意に応えられない葛藤を抱きつつも、部屋を後にしその場を去っていった。
独り応接間に残ったベンヌ卿は残った紅茶をカップに注ぎ、口にしながら思慮に耽っている。
正直なところ彼の誠実さに一層魅力を感じた。
その性格、娘を想うが故に苦悩する様をこの日まざまざと感じた。
ベンヌ「君の言い分もわかる。あの日のことが、今も忘れられないんだな。」
誰と話すでもなく、独り呟く。
あれ程までに娘を想ってくれる気持ちは、親としてはこの上なく嬉しいものだ。
あの事件さえなければ、今後戦乱が起きようとも蒼の公子の反応は変わっていたのだろうか。
その答えを、今となっては知る術はない。
一つ、彼の欠点を挙げるとするならば…
ベンヌ「ただ親としては、あの子の想いも、汲み取って欲しいものだがな。」
どこを見つめるでもなく、ただ窓際に立ちこの先を見据えるベンヌ卿。
空からは日の暮れを示す夕陽が差し込んでいたが、何かを暗示するように東の空から暗雲が立ち籠めている。
彼の危惧するように、戦乱は、もうすぐそこまで迫っていた。
・白銀の翼
ユーリ…傭兵 Lv24
フロリマール…ロッドナイト Lv24
ライノルト…魔導士 Lv27
サロモン…闇魔導士 Lv27
【登場人物】
・フロリマール
エクノア王立魔導学院の生徒で、緋色の少女の一学年下、第二期生。代々魔導騎士を輩出する貴族の生まれ。
控えめな性格だが、入学当初から緋色の少女に憧れを持ち、彼女のようになりたいと研鑽を積む頑張り屋。その努力を緋色の少女は見ており、後に卒業の日に彼女をアリエル公国に登用するきっかけとなる。「ステラ」と名付けられた愛馬に跨り、主に後方支援を担う。
・ライノルト
元エクノア王国軍所属の魔導士。祖国が中立の立場を崩さないため、ウルノ帝国の侵攻を阻止すべく同期のサロモンと共にアリエル公国に身を置くことになる。
結成された蒼の公子主導の【白銀の翼】の構成の中では同郷のサロモンと並び最年長となる。軍属としての経験があり、後輩のレティシアをはじめ面倒見が良く、エクノア王国に留学経験のある緋色の少女からも頼りにされている。
・サロモン
元エクノア王国軍所属の魔導士。同期のライノルトと共にウルノ帝国の侵攻に反抗しエクノア王国軍を円満に退役、蒼の公子率いる【白銀の翼】に所属する。
相方のライノルトと違い彼は扱いの難しい闇属性を行使するが、その技量はエクノア王国でも指折りであった。エクノアに魔導学院が創立される以前に軍に所属していたことから魔導に対する理解が深く、ライノルト同様に後進の育成に協力を惜しまない。