Oblivion Episode 2 黄昏
フィーニクス家。
元【天空の国 リーヴェ】の四大貴族にして、アリエル公国への移住を試みる一族。
まだ地上に降りて1ヶ月足らずだが、アリエル公や地元の住民の協力もあり引っ越しが一段落しつつあった。
一人娘の緋色の少女もたった一日だけ無断で、メイド達が話題にしていた花畑を見に抜け出した暁には随分と叱られたものだが、それ以外の日は懸命に手伝った甲斐もありここにきて彼女はようやく両親から自由時間を与えられるようになった。
その上あろうことか、齢8歳の娘に護衛もつけなかった。
アリエル公国で暮らす決め手の一つとなった治安の良さを鑑みての判断だ。
いずれはフィーニクス家の跡を継いで欲しい思いもあるのだが、地上で暮らすとなった以上娘には貴族である以前に等身大の少女として育って欲しいという願いがあったからだった。
とはいうものの、いざ外に出ようにも当てがない。
まだ日が浅く、土地勘を広げるため領都ファルタザードの街を散策しようにも、一つ問題があった。
それは、緋色の少女は人見知りであった。
これまでに四大貴族として様々な教養を身につけてきたこともあり、最低限の挨拶もできる上に極端に言葉が詰まり縮こまる程でもないが、どうにも他人と話すのは苦手だ。
元いた故郷でもこれといった友人はおらず、もはや友達の作り方すらわからない彼女にとって土地勘のない場所を散策するのにはある種の勇気がいるのだった。
ちょうど眼前に新鮮な野菜や果物を販売している市場が飛び込んできた。
中でも特に目を引いたのが、自身の好物でもある赤い林檎だ。
緋色の少女(美味しそう…)
女店主「いらっしゃい!あら、その背中…最近引っ越してきたお嬢ちゃんかな?」
緋色の少女「!は、はい…!」
店主から声をかけられ、一瞬驚きながらも丁寧に礼節を正す緋色の少女。
林檎を見て思わず頬が緩みかけるも、購入するにはまず店主と話しかけることから始まる。
これが意外にも彼女にとってハードルが高い。
先日ファルタザード郊外で出逢った、不思議と全く警戒心を抱かない程の類稀な同い年ぐらいの蒼の公子が異質とすらも思えた。
相手が名家の令嬢故にセーブしているとはいえ、店主独特の勢いにのまれかけ、諦めて帰ろうとしたところ、見知った声が横から響いた。
蒼の公子「おば様、林檎を2つお願いします!」
緋色の少女「!?(___さん…!?)」
女店主「あら___様、いらっしゃい!お代はいいから、持って行きな!!」
蒼の公子「もうおば様、僕もそんな歳じゃないですよ。いつかはこの地を治める身。領民の善意に現を抜かして何度も頂くわけにはいきません!」
女店主「まあ…!じゃあ今回はお言葉に甘えようかしら!」
相手がこの地を治める領主の子息だけあって敬意を抱きつつも仲慎ましく会話する2人。
思ったよりも早く再会した、現状緋色の少女が唯一心を開いている蒼の公子に、彼女ははっとする。
緋色の少女「___さん…!」
蒼の公子「うん、また会ったね!」
女店主「あら、2人とももうお友達?___様、このお方はここに来てまだ日が浅いと思うから、案内してあげて!しっかり頼んだよ!」
蒼の公子「もちろん!」
店主の打診に快活に応える蒼の公子と、戸惑いながらもやがて緊張の色が晴れるようにどこか安堵する緋色の少女。
この屈託のない無邪気な心ながらも、大器を秘める彼に対し人慣れしていない彼女はある種の憧れのようなものを感じた。
自分もフィーニクス家の人間として、いずれは彼のようになりたい。
そんな羨望の眼差しに気付いたのか、いや元より緋色の少女に今購入した林檎をあげるつもりでいた蒼の公子は、早速一つを彼女に差し出した。
蒼の公子「はい、これ!」
緋色の少女「いえ、そんな…!これは___さんがお買いになられたもの…!」
蒼の公子「食べてみてよ。この時期になるとうちの林檎は格別なんだ!」
蒼の公子がシンプルに、しかし興味を引かせるには十分に薦めてくる上に、そもそも他でもない自身が林檎には目がないことから、これ以上好意を無碍にはできまいと手にする。
そのまま彼が齧り付いているように、見様見真似で食べてみると、緋色の少女の表情がみるみるうちに変貌していった。
緋色の少女「!美味しい…!」
蒼の公子「でしょ?」
元々主張が弱い緋色の少女は、いくら林檎が好きでも親や家の者にせがむことはまずなくそんなに多くを食べてきたわけではないとはいえ、これは本当に美味しかったと振り返る。
偽りのない率直な感想を聞いて、蒼の公子だけでなく店主も嬉しくなる。
ところでこの2人、一方はこの領地を治める領主の子息であり、もう一方は未知なる国、リーヴェから降りてきた有力貴族の令嬢という組み合わせである。
ゆくゆくはアリエル公国の行政を担うかもしれない2人が、今こうして肩を並べて林檎を食べている。
もしかしたら一生ものの光景になるのでは。
微笑ましく見守る店主は、年長者として見守っていこうと決意を抱くのだった。
これは後日談だが、やがて緋色の少女は蒼の公子同様にこの店主と懇意になり気軽に話せる数少ない人物の一人となるのだった。
林檎を堪能した緋色の少女は、そのまま蒼の公子に連れられ2人でファルタザードを散策することにした。
先日の花畑に続き本当に美味しい林檎を貰った、普段は警戒心の高い彼女は完全に彼を信頼し切り、これから定住するこの地の見聞を広めていくのだった。
蒼の公子「ここが書店!政治から地理、魔導書まで、色んな書物を揃えているお店だね!」
緋色の処女「…!」
次に案内されたのは、蒼の公子もよく来店するファルタザード唯一の書店だ。
一人でいることが多かった緋色の少女は屋敷にあった書物を読み漁っては知識を深めていったが、当然ともいうべきかこの量は屋敷の書斎を凌駕する。
彼女が興味を持ったことで、ドアベルを鳴らしながら中に入っていく。
客の来店を知らせるドアベルが鳴ったことで奥から管理人が現れ、蒼の公子の姿を見るなり快く出迎えてくれた。
店主「おお___様、今日は何をお探しでおいでですか?」
蒼の公子「いえ、彼女に街を案内しているところです!本を読むのが好きみたいだから、いつかまた来た時はよろしくお願いします!」
店主「左様で!___様自ら案内を務めるとは、頼もしいですな!」
蒼の公子「むしろ僕しかできないことかなと。ちょうど歳が同じくらいの方が、気楽だと思います。」
書店の店主は目を丸くする。
8歳にしてこの気配りは感心せざるを得ないところがある。
次期領主の器としては既に逸材、老いたこの身でいつまで成長を見届けられるか、今後の人生の楽しみになりつつある。
その後アリエルの中枢を担う庁舎やファルタザードで最も高い時計塔、その他武具屋、文具を取り扱っている店などを案内され、気が付けばあっという間に日暮れの時間となった。
かれこれ正午過ぎから蒼の公子に連れ回されているからファルタザードの街をかなりの距離を歩いたはずだが、不思議と全く疲れはなく退屈はしなかった。
最後と思わしき場所に連れられたのは、ファルタザードを取り囲むまだ建設中の城壁だった。
既に完成されている一区画の城壁に登り、2人はそこから眺めるファルタザードの街、そして、城壁の外、遥かなる大地と水平線に沈む夕陽を眺める。
蒼の公子「ここ、僕のお気に入りの場所なんだ!時計塔からだともっと高い場所から見渡せるけど、あそこは登るのが大変だし、何よりファルタザードを取り囲むこの城壁そのものはまだ未完成。いつか僕が治めるこの街、この国を守るんだ!」
蒼の公子の口から語られたのは、彼の夢。
既に跡継ぎとして幼いながらも卓越した責任感に、緋色の少女はそのカリスマ性に興味を引かれた。
今日一緒に行動して感じたのだが、どこへ行くにしろ蒼の公子は様々な店の店員との交流が非常に広い。
全員が年上の誰とでも話し、敬意を寄せつつも将来を期待されていたのだ。
蒼の公子「君は、いつまでこの街にいるの?」
緋色の少女「わかりません…一時的、しばらくなのか、ずっとなのか…」
蒼の公子「そっか…」
この時蒼の公子は背を向けていたため気付かなかったが、どうしてか緋色の少女は内心残念そうな表情をしていた。
彼女は、非常に興味があった。
蒼の公子がこの先、どのような日々を歩むのか。
やがて政を学び、武芸を身に付け、彼が治める治世がやってくる。
緋色の少女もフィーニクス家の跡継ぎの将来が約束されているものの、一ヶ月、一年、数年先の未来は何もわからない。
そしてもう一つ、彼女にはある願いが芽生えていた。
叶うのであれば、それをこの先目の届く範囲で見ていたい。
フィーニクス家としての役目以外、何もわからない未来が、もどかしい。
だが、緋色の少女の顔は見ておらずともその願いを全て叶えてくれるような、もしかしたら待ち望んでいたかもしれない言葉が、蒼の公子の口から飛び出てきた。
蒼の公子「僕と一緒に、ファルタザードの、アリエルの未来を切り拓かないかい?」
緋色の少女「…!!」
それは蒼の公子にとって幼い告白でもない。
信頼に足る相手を、未来に描く夢に導く誘い。
緋色の少女も、未来のフィーニクス家としての責務が頭から離れたような感覚に襲われるも、そこは跡取りとしての責任感からすぐに我に帰る。
だが、彼の夢を応援したいのも本心だ。
仮に両親の意向でいつかこの地を離れようとも、フィーニクス家として舞い戻りサポートする未来だって可能なはずだ。
緋色の少女「その夢…私にも、手伝わせてください!」
蒼の公子「ありがとう!」
ここにきて一番の眩しい笑顔で応じる。
蒼の公子と緋色の少女は、固く約束を交わした。
ファルタザードの城壁で、草原に沈む太陽をバックにした黄昏の誓い。
この思い出は、やがて彼女の心の支えとなる一日となった。
同時に、これが緋色の少女の最初で最後の初恋でもあったのだった。
【登場人物】
・緋色の少女
【天空の国 リーヴェ】の四大貴族が一角、フィーニクス家の令嬢。当主の意向で、一族と共に地上へ降りることになる。
赤い眼と銀色の髪をしたフィーニクス家の一人娘。非常に人見知りで、地上に降りる前も同年代の友達らしい友達はおらず、孤独な幼少期を送っていた。英才教育を受けており、礼節を丁寧にこなし武芸にも秀でている。中でも魔法は一族の代名詞である火属性に加え風属性、雷属性、そして回復魔法と多彩で実力は抜きん出ており、一族きっての逸材と評されている。本人は努力家でありその視線に嫌悪感こそ抱いていなかったが、孤独で塞ぎ込む日々を送っていた。
アリエル公国に降り立ってから数日が経過したある日のこと。そこで、彼女は運命的な出逢いを果たすことになる。
・蒼の公子
アリエル公国アリエル公の嫡男。次期領主と目されていたが、体制の刷新により初代国王として期待される。
誰とも打ち解け合える、明るく素直な性格。幼少期の頃より街に繰り出しては人々と交流し、時には彼らの意見にも耳を傾け、父である領主に相談を持ちかける他、自身の将来の治世に役立てようと奮起している。そのため領民からの人気も高く、将来を期待されている。武芸の素質も高く、剣術の他水属性を中心に風属性の魔法も扱うことができる。
領都ファルタザードの城壁からの眺めと、また街の外れにある色とりどりの花々が咲き誇る花畑がお気に入りの場所。そこで、彼は運命的な出逢いを果たすことになる。