Oblivion Episode 12 予感
最終学年。
緋色の少女がエクノア魔導学院に入学して早4年になる。
近頃世間を賑わせているのは彼女にとっても縁のあるアリエル公国と、隣接するウルノ帝国の情勢だった。
アリエル公国が将来的に現公爵の退位を以て公国から王国へと体制を変え、彼の嫡男が初代王に即位することが宣伝された。
退位の時期は王国へと体制が整ってからとされ、数年以内の刷新が予想された。
アリエル公国が体制を変える方針に打って出たのは、隣国のウルノ帝国が不穏な動きを見せていたことが決定打になったともいえる。
ウルノ帝国とは同盟関係にないながらもここ長きに渡り国境は安定していたが、数ヶ月前にある方針を打ち出した。
それは、各地に点在する異界へ繋がるとされる扉を制圧し、異界へ侵攻するという耳を疑うものだ。
アリエル公国、イリアス平原、エクノア王国、ノーレ帝国に異界を行き来できる扉の存在は伝承として知られているが、現在はその効力を失っているとされ立ち入りを制限している。
もしウルノ帝国が何らかの手段でその扉を起動しうる手段を持ち、手中に収めようとするものならば、確実にそれを阻止すべく迎え撃つ各国との衝突は避けられない。
これを受け、地理的に最も近いアリエル公国は同じ当事者となったイリアス族に加え兄弟部族であるキルリス族、そして両国とも繋がりの深いグリングラス王国とこれまでよりも強固な軍事同盟を結んだ。
エクノア王国は変わらずどこの同盟にも属さず攻撃された場合のみ動く中立の形を取り、地理的には遠いノーレ帝国も出方を伺う構えだ。
ウルノ帝国はノーレ帝国に次ぐ大国とはいえ、大陸を相手取るような国力はないとされていながら着々と準備を進め、不気味な空気を漂わせていた。
緋色の少女「やはり、お父様はこれを見越して地上に降り立ちアリエル公に接触したのかしらね…」
世界情勢が定期的に掲載されている新聞を手に取りながら、緋色の少女は警戒心を強めていた。
確信は持てなかったが、リーヴェにて四大貴族とも称されるフィーニクス家が爵位を捨ててまで地上に降り立つには、地上の民と交流を持つ以外に何かしら目的があるのではと幼い頃から聡明な彼女は勘付いていた。
別に家の方針に反対ではないどころか、命を懸けるに値する親愛なる人物とも出会い、むしろ感謝を伝えたいぐらいである。
レティシア「いたいた、___様!もうすぐ出番が回ってきますよ!」
緋色の少女「ありがとうございます、レティシアさん。すぐに参ります。」
レティシアの呼び掛けに、緋色の少女はすぐに応じる。
傍らにいたアイリは、彼女とは違う方向へ向き直りその場を後にする。
その日は他クラスとの間で行われているバトルグラウンドの日だった。
最終学年ともなると学級対抗という一面だけでなく、いかに撃破数を稼ぎ内外にアピールするか意識が変わってくる。
中には相手チームのエースを倒すことに躍起なる生徒もいたが、あまりチームプレイを無視するとマイナス評価に繋がりかねないので推奨されないことは周知の事実となりつつあった。
ところが…
黒ローブの男「逃がすか…!」
緋色の少女「…!」
緋色の少女の活躍で3-0とリードしている後半、黒いローブを纏い表情の窺い知れない相手チームの一人が、執拗に彼女に猛攻を仕掛けてきた。
余裕を以ってかわしていくが、ここまで露骨に攻め立ててくるのも珍しい。
足止めされるのを嫌い、反撃に転じる緋色の少女は一気にその人物へと距離を詰めることに成功した。
緋色の少女「はあっ!!」
黒ローブの男「!!」
確かにこれまで無意識のうちに周囲から恨まれたことはあるかもしれない。
他のクラスの生徒達を圧倒的な実力差で退けたのは、名声を得るためではない。
全力で戦い、結果彼らの評価が下がり、怒りを買っているのなら、それを全て受け止める。
緋色の少女の繰り出した剣は、黒いローブの男を捉え斬り捨てる。
黒ローブの男「届かない、のか…!」
敗退を示す消滅の間際、その男は余程に悔しがり転送された。
戦意というよりは敵意を通り越して殺意すらも感じたが、顔がローブで覆い隠されていたため外見からでは正体がわからない。
不気味さを残しつつも試合を支配すべくフィールドを奔走するのだった。
試合は6-1の快勝に終わり、クラスを勝利に導いた緋色の少女は、試合後の鍛錬を終え学生寮へアイリと共に街路樹を歩いていた。
模擬戦があってもなくても、この4年間放課後は毎日鍛錬を積み重ねてきた。
よく彼女を振り回すレティシアはさておき、その他誘惑にもならない誘いを悉く断りルーティンをこなしてきた日々は、彼女を孤高の存在へと導いた。
入学時はその生い立ち、圧倒的な実力差から畏怖されたが、今では憧れと尊敬も混在するようになり段違いに環境が変わった。
望んで手に入れた変化ではなかったが、避けられるよりかは良い。
どの道あと少しもすれば彼らとはお別れだ。
その時まで、今の関係のままで終わりたい。
そんな雑念とも呼べる思考を巡らせていた、その時だった。
緋色の少女「!?アイリ!!」
突然の殺気を覚え辺りを見渡したところ、闇属性の下級魔法、【ダークボール】が緋色の少女とアイリを襲った。
緋色の少女がアイリに、アイリが緋色の少女に危機を知らせ事なきを得たが、後から地面を抉る程の炸裂音に別の意味で驚く。
緋色の少女(ノーハート…!?)
ノーハートとは、エクノア王国ならではの風習を発端とする忌避すべき言葉だ。
キルリス族とイリアス族による交流戦を起源とするバトルグラウンドは普及しつつあったが、競技化するには武器と魔法が飛び交うため、エクノア王国が開発した対象物や人を物理的に傷付けないハートエムブレムの装着は必要不可欠である。
その中でも魔導具開発に優れ既に量産化に成功していたエクノア王国では、競技者のみならず市民や学院の生徒にも無償で配布し装備することが義務付けられ、生徒間では訓練のお供として切磋琢磨する日々を送っていた。
つまり地面が衝撃に伴い大破したということは、ハートエムブレムを装着していない状態で奇襲をかけた、少なくとも王都メディナでは歴とした犯罪であることを示す。
この行為そのものをノーハートと称し、中立国であるエクノア王国といえども普段耳にすることはなくとも彼らは知識として教えられていた。
緋色の少女「並々ならぬ敵意ですね…ハートエムブレム未装着の生徒への攻撃は罪に問われるはず…」
黒ローブの男「…」
暗がりの中で術者と思わしき黒いローブの男が姿を現し、殺意を向けている。
男を威嚇し警戒を露わにするアイリ。
一方彼のその立ち姿に、緋色の少女は見覚えがあった。
緋色の少女「貴方は昼間の…」
黒ローブの男「流石は主席、対峙した相手の癖を瞬時に見抜くとは…」
冷静に敵を分析する緋色の少女に、否定の言葉すらも口にしない。
この4年間、その実力を他クラスから追ってきた。
今日に限らずこれまでに何度か実戦で相対しその剣に斬り伏せられてきた故に、疑いようがない。
黒ローブの男「アリエル公国に進路を定めたんだってな?いや…噂を辿れば、最初からそのつもりだったか。」
緋色の少女「はい。それが、貴方に何の関係があるのでしょうか?」
黒ローブの男「エクノア魔導学院の誇る初代主席がアリエルに在籍する…どう考えても遠からず我が祖国の障害になる。しかもリーヴェの四大貴族の出身ときた。いっそここで消してしまうか、それとも我が軍門に降るよう説得するか…そんなところだ。」
緋色の少女「…!」
緋色の少女はある偶然に驚いた。
その日の朝からも図書館に籠もり新聞に目を通すなど以前から情報を追っていたが、ここに来てその実態を目の当たりにすることになったのだ。
独自の覇道を築きつつある国の存在。
彼は、その国の出身である。
緋色の少女「貴方、ウルノ帝国の方ですね?」
黒ローブの男「…ある程度の世界情勢まで把握済みってか。」
かねがねウルノ帝国による各国への侵攻を新聞を通して予期していた緋色の少女は、男の目的を理解した。
この人物が学生の身でありながらウルノ帝国において若くしてどれほどの地位を確立しているのかはさておき、先を見据えるなら敵対する人物は極力排除したいのだろう。
緋色の少女「つまり、フィーニクス家の私は敵であると…」
黒ローブの男「そういうことだ。うちに引き入れられれば最善だが、お前を始末すれば…!」
野心が見え隠れするが、それは全て自分を倒した後の話。
当然やられるつもりもないが、かといって緋色の少女は彼を返り討ちにするどころか剣を抜くような体勢をとることもなかった。
いずれ愛する第二の故郷に迫り来る侵略者の末端の者といえど、それは祖国に刃を向けるのと同義であり、以前の彼女ならなりふり構わず彼を消滅させたであろう。
あの森小屋で起きた騒動と同じように。
だが、今の彼女はその先を見据えていた。
緋色の少女「私を消すつもりなら、相手を務めます。もし私が勝っても、今日のことはなかったことにしてもいいですよ。ですが、その行き過ぎた行いがウルノの発展を閉ざすことと同義であることを、理解してください。」
黒ローブの男「…!?」
緋色の少女の口から出た言葉は、男の理解の範疇を超えるものだった。
今夜起きたことは全てなかったことにする。
ある種彼を助けることにもなりかねないその意思表示に、彼女に向けたその刃は矛先を失った。
緋色の少女「ここエクノアは中立国、そしてこの学院は門戸開放の開かれた学びの地。敵味方は関係ありません。そして少なくとも今は、アリエルとウルノは戦争状態にはありません。もしここで私か貴方か、どちらか事を起こしてしまえば両国の戦端が即座に開かれることにもなりかねない上に、エクノアが当事国の生徒を以後受け入れることを停止するかもしれない。そうなってしまえば、ウルノの前途有為な生徒の道が閉ざされてしまいます。エクノアが大陸最大の魔導大国であれば、ウルノ側としても関係性は保っておきたいはず。」
この事実がある限り、少なくとも緋色の少女側から仕掛けるつもりもなく返り討ちにして消滅させるつもりもない。
その覚悟があるのであれば、暗殺の成否関わらずそれ相応の代償を払うことになると彼女は警告しているのだ。
アリエルに仇なす者は許さない。
だがそれ以前に、例え自身に何が降りかかろうともこの地で騒ぎは起こさせない。
私情よりも国益を優先するその志、そしてそれを完遂しきるに足り得るその実力差に、男はただただ圧倒されるのであった。
緋色の少女「少しでも祖国を慮る気持ちがあるのならば…その上で私を亡き者にしたいのならば…しかるべき場所で、その地で会いましょう。その時は、私も容赦しません…!」
黒ローブの男「…!」
その気迫に圧倒された男は、半ば緋色の少女に諭されていることに歯痒く感じながらもその場を撤退せざるを得なかった。
本当に同い年なのか、その達観した視線の先に映る未来は一体何なのか。
何もかもが別次元であり、彼女の忠告を無視したところで今の自分で敵うはずもないと心のどこかで痛感した。
ある種の屈辱を抱きつつ、その男は雪辱を誓うのであった。
緋色の少女「ふう…」
ほっと一息をついた緋色の少女は、その場でアイリの緊張感を解くように頭を撫でる。
主人に警戒感を解かれ、アイリも身を委ねる。
今は同級生であっても、そう遠からず未来、再び彼とは相見える気がする。
できればそれが平和的であったらと願うばかりだが、彼個人の意思関係なくその希望は叶わぬことも直感が物語っている。
緋色の少女「何があっても、アリエルは…彼は…私が…」
間もなく卒業を迎える。
それは長きに渡り切望した、あの蒼の公子との再会の刻が近付いていることを指す。
夢にまで見たそのひと時は、実はそう長くは平和の恒久は望めないのかもしれない。
それでも構わない。
彼は自分が守り抜いてみせると、かつての誓いが、その胸にあるのだから。
・エクノア魔導学院
緋色の少女…ヴァーミリオン Lv28
黒ローブの男…闇魔導士 Lv23
【専門用語】
・ノーハート
エクノア王国が模擬戦やバトルグラウンド用に開発した、人や物を傷害しない効果を持つハートエムブレムを装着せず、明らかに敵意を持った状態で攻撃を仕掛けてくる相手を指す忌み言葉。
ハートエムブレムが試作段階の頃から生まれた言葉であるため、忌み言葉として誕生してから比較的まだ日が浅い。まだ各国に普及しておらずエクノア王国でのみ通じるところ、該当する外傷や破壊行為を行なった者は厳罰対象となるのが一般である。




