Oblivion Episode 11 炬火
3年目を迎えた学院生活も後半を迎えたある日のこと。
机の上でアイリが昼寝をしている中、緋色の少女は図書室の一角で担任から預かった無数の書面を拡げ、小一時間頭を抱えていた。
内容はいずれも似たり通ったりで、彼女にとっては好ましくないものばかりである。
緋色の少女「はあ…」
レティシア「何溜息を漏らしているんですか?」
緋色の少女「レティシアさん…貴方、どこにでも現れますね…」
呼んでもいないのにどこからともなく現れたレティシアに、緋色の少女は呆れている。
しかし、この頃には彼女もレティシアには心を許しており、表面上は煩わしくしても追い返したりはしない。
レティシアの方でも彼女との適切な距離感は熟知しており、奇妙な関係を築き上げていた。
レティシア「この紙面は?」
緋色の少女「各国から私を文官にという形で高待遇で迎え入れたいという招請状です。地方都市だけでなく各国の首都からも…おかげで国の数でなく街の数ごとに届くものですから山のように…」
レティシア「うわあ…」
1年程前にアリエル公国とのバトルグラウンド交流戦を催してから、その後もエクノア魔導学院選抜チームはメンバーを入れ替えしながら他の国とも試合を行い、その度に各国の要人の目に止まったのだろう。
まず地上ではほぼお目にかかれないリーヴェの民という肩書きに違わない圧倒的なその実力は、どの国も自国に招き入れたい。
卒業まであと一年あるが、早い生徒はこの頃になると進路の話にもなってくる。
学院を出る頃には16歳になっているが、この世界では才能があれば若くして取り立てられることは珍しくはない。
レティシア「あ、これ、アリエル公国からも来てますね。ファルタザードではないですが…」
緋色の少女「はい、ファーヌスは確か…ファルタザードより西にありますね。酪農が盛んだったかと。」
ファルタザードの都市全てを網羅しているわけではないが、時折緋色の少女は蒼の公子達公爵家の面々と長期休暇を利用して家族ぐるみで保養地へ行くことがあった。
ファーヌスもその中の一つで、かつては彼と共に酪農の街を散策したものだ。
レティシア「うーん、でも___様は…」
緋色の少女「…私の気持ちは、あの時のまま。それは変わらない。」
各地から届いた書類を見比べながらも、レティシアはなぜ緋色の少女が浮かない表情をしていたのかすぐに察した。
レティシアは緋色の少女と行動をよく共にするにつれ、彼女の第二の故郷、ファルタザードに対する深い思い入れはこれまでにも何度か触れている。
どんなに高待遇の条件を突き付けられようが、彼女は振り向きもしないであろう。
返答はすぐに返す必要はないが、これからこれら全てに謹んで断りを入れる彼女の身を考えると、確かに複雑な感情にならなくもない。
レティシア「それにしても、___様にこんなにも想われているアリエルの幼馴染、羨ましいなぁ。」
緋色の少女「…」
レティシア「あ、冗談です…いや…半分ですけど。だっていずれ公国から王国に生まれ変わった祖国を導く方なんですよね?そして___様は、国に戻り彼を支えられるなんて…尊さが溢れます…!」
からかいなどではなく、素直な印象をレティシアは述べているに過ぎない。
一度ムッとした緋色の少女もそこはわかっているが、一部修正を入れなければならないと口を挟んだ。
緋色の少女「はあ…レティシア、一つ勘違いをされています。私は別にあの人とはそんな仲ではありません。」
レティシア「ん…?」
ある意味衝撃的な発言が緋色の少女の口から聞こえた。
彼女の言うことはあながち間違いではない。
3年前離れ離れになるその時まで、蒼の公子とは友達として仲良く遊んでいたに過ぎないのである。
間違っても恋人ではない。
だがこれは彼らの間柄を想像上とはいえ把握していたレティシアからしたら、呆気に取られてしまう。
レティシア(どの口が言ってるの!!)
確かにお互いどちらかが想いを告げた事実はこれまでになかったのだろうが、手紙を出す際に見せるあの表情、そもそもこれまでにも彼の話題が絡むと、そこにいたのは間違いなく普段はクールなのに恋する乙女と化してしまう一面を何度か見てきている。
自覚はないのか、知られたくないのか。
突っ込みたいのは山々だったが、あまり彼女の機嫌を損ねるのは本意ではない。
緋色の少女「レティシアはどうなのですか?オルセーヌ家も由緒正しき名門。将来は家に残りエクノアを?」
レティシア「うーん、家はお兄様が継ぎますから、下の兄妹は割と自由なのよ。だから、私の元にもこんな書類が届くことはあるけど、まだなーんにも決まってない、白紙だよ。」
普段は緋色の少女に軽口を叩くレティシアだが、その実力は毎回選抜チームにも抜擢される将来有望な生徒。
緋色の少女には遠く及ばないにせよ、当然彼女にも何通かは届いている。
だがどうもどれもピンと来ないようで、検討と保留を重ねては溜め込んでいるとのことだ。
ふと、緋色の少女の頭にある提案が浮かぶ。
緋色の少女「もし貴方が良ければ、ファルタザードに来ませんか?」
レティシア「え…?」
事実上の勧誘。
この時緋色の少女はどんな思惑でレティシアを誘ったのかは自分でもわかっていない。
優秀な人材として招き入れたかったのか、それとも友人として招き入れたかったのか。
これからアリエルは歴史的な転換点を迎える。
ゆくゆくはそれを導く蒼の公子を支えるためにこの学院に入学した。
国を支えるという点では、有用な臣下は一人でも多いに越したことはない。
彼女の人となりも把握済みだ。
だが、この緋色の少女のさりげない一言が、レティシアを大いに湧き立たせるにはあまりにも十分過ぎた。
レティシア「本当に!?取り消しは聞かないよ!?___様のお誘いなら断るはずがないよ!!」
緋色の少女「わ、ちょっと、レティシア…!?」
レティシアに体を大きく揺さぶられて宥めようとする緋色の少女。
なぜこんなにも喜んでくれるのか全く以ってわからない。
こんなにも簡単に了承してくれるのも意外だった。
ある意味では緋色の少女はレティシアのことをわかっていないのかもしれない。
数年先、緋色の少女の親友であり腹心としてアリエルに多大なる貢献を果たす存在であることを、この時知る由もなかったのだった。
レグルス「___、ここにいたか!」
緋色の少女「貴方は…レグルスさん。」
緋色の少女とレティシアの元に現れたのは、クラスメートのレグルス・エンブラント。
ウルノ帝国出身で、とりわけクラスでも優秀な部類であり、先日のアリエル公国とのバトルグラウンド遠征にもメンバー入りする程の腕前の生徒である。
他者への関心が未だ薄い緋色の少女も、把握はしていた。
緋色の少女「その慌て様…皆さん今度の試験に焦ってるのですね?」
レグルス「正直俺もおさらいがてら___に教えを請いたい気分だ。難解な応用だけにな。俺だけには手に負えん。レティシアも頼めるか?」
レティシア「…何かついでみたいな言い方が気になるけど、仕方ないわね。」
レティシアは不服そうに、渋々レグルスの求めに応じている。
上位の部類に位置付けされる彼が苦慮しているのは、実技試験で課せられる火属性の上級魔法。
火属性の素養のある生徒全員が対象で、その難解さから赤点を覚悟する者も続出するとされる。
緋色の少女もその点は理解しており、クラスメートのため一肌脱ぐ労力は惜しまない。
緋色の少女「では、行きましょう。」
レグルス「助かる!みんな待ってる!」
レティシア「全く___様も人がいいんだから…」
レティシアが呆れるのは、レグルスの示す先に緋色の少女の手を煩わせる数多の同級生がいるからだ。
一人一人に教えていては彼女の時間が削られてしまう。
にも関わらず嫌な顔一つせず淡々と丁寧にアドバイスする彼女はもはやレティシアの目には女神にしか映っていない。
席を立ち、その物音で起き上がったアイリも机から降り緋色の少女に付き添う。
レティシア(まあ…確かにあの応用は制御が難しいわね。)
よくよく考えれば、クラスメート達が緋色の少女を頼るのもわかる気がしてきた。
レグルスですら手を焼いているのが何よりの証拠だ。
その難しさをいとも容易く彼女はこなすのだから、頼ってくるのもある意味では必然なのかもしれない。
入学当初は敬遠されていた彼女も、バトルグラウンドで各地で連戦連勝をもたらすチーム随一のアタッカーとして一定の信頼を得ていたのだった。
生徒A「またレティシアがいる…」
生徒B「げっ、レティシアも…!?」
レティシア「『げっ』とは何よー!」
緋色の少女「そこまで。時間が限られているから、早く始めましょう。」
委員長気質のレティシアは一部のクラスメートからは煙たがられていたが、緋色の少女がいればいい彼女は意にも介さない。
その彼女の教え方についてだが、一つ変わっていた。
教えられる側の生徒の手を両手に取り、お呪いをかけるように祈るのだ。
アドバイスを受ける側はルーティンとも言えるその行動に文句はないのだが、なかなか慣れるものではない。
年頃の男子ともなると尚更である。
生徒C(ツンツンしてなければ可愛いのにね。)
とは言っても緋色の少女の原動力は何たるかを知っているため、考えるだけ無駄であった。
それよりも、実際に彼女の手に包まれなければわからないことがある。
目の錯覚か気のせいか、その手から燃えるような炎と共に温もりが伝わってくる。
その炎は決してその手を燃やすことなく、やがて自身に吸い込まれるように収束するのだ。
この現象は指導された側の間では摩訶不思議として度々話題になり、しかし誰もその正体を掴めずまた何となく本人にも聞きづらいというサイクルが出来上がりつつあった。
確かなことは、彼女に教わった者は例外なく火属性の扱いが上達するという事実。
或いは瞬く間にコツを掴み試験すらも高い水準で合格する。
教師A「あの学級、また今回も平均点が高いな…」
教師B「不正は全く。再試験の該当者もいません。」
緋色の少女に訓練に付き合って貰えれば不合格は回避できる噂は学年を重ねるごとに広まっていき、果ては平均点の向上、追試を受ける生徒は激減していた。
ただし、異質過ぎる特徴付きだ。
教師C「この学級は全体的にレベルは高いが、火属性の扱いだけは段違いだ。クラス全員が扱えるのは異様とも言える。」
教師D「特にこの子は入学当初は火属性の素質はなかったはず。素質は学院に入学したからといって簡単に身につくものではありません。」
3年目の後半にもなると教師陣の間でもこの異質さは議論に挙がっていた。
火属性のみという限定的だが素質が増えるのは喜ばしいことだ。
しかし実態を掴めない以上原因を把握しておきたい。
教師C「『煌炎の天使』…」
教師A「何だそれは?」
教師C「その学級に所属するあのリーヴェの子のことですよ。クラスではそう呼ばれてるんだとか。」
教師B「煌炎…確かにあの子は秀才、中でも火属性の扱いは天才的だが。」
教師C「それだけではありません。実技試験前にあの子に教わった子は全員パスしています。事前には試験通過は難しいと思われていた子から直前まで火属性の発現すら叶わなかった子まで。」
教師D「なっ…!?」
それは驚くべき現象であった。
不正をしているしていない以前に、あり得ないからだ。
魔導学院のカリキュラムでは、まず属性の素質を発現することから始まる。
それでも個人がより複数の素質を発現するかは才能による。
よって多くの属性を発現する程ステータスとして重宝され、例え1つの属性を発現できなくてもあくまで失格扱いになるだけで進級には然程影響はなく、多くは素質がなかったのだと諦めがつく。
ただし、いくらなんでも一学級全員が火属性を発現できたという話は前代未聞である。
例の緋色の少女は火、風、雷に加え回復魔法と多彩だが、多くは2つの属性を極め卒業していくことを想定している。
このクラスの場合、他のクラスより全員が火属性を扱える分平均して1つ多い属性を行使できる計算になる。
教師A「まさか…」
教師の脳裏にある可能性が浮かんだ。
大陸随一の魔導大国を誇るエクノアですら、その実態は掴めていないある特殊能力群の存在。
後世で特異種と称される何らかの力を持っているのではないかと推察した彼であるが、その実態が明らかになるのはもう少し先の話になるのであった。
・エクノア魔導学院
緋色の少女…ヴァーミリオン Lv26
レティシア…マージナイト Lv21
レグルス…マージナイト Lv21
【登場人物】
・レグルス・エンブラント
エクノア王立魔導学院に一期生として入学した、ウルノ帝国出身の生徒。緋色の少女のライバルの一人。
入学早々に名を上げていき、安定して優秀な成績を修める。真面目な性格で、自身よりも優秀な生徒に頭を下げ教えを請うことも厭わない。




