002, 名前は
建物を後にした俺は今ーー
「お待ちくださーい!」
「お断りしまぁぁぁす!」
足場の悪い森林の中、脱兎の如く少女から逃走中である。
見知らぬ地へ放り出された矢先、怪しい宗教団体に迫られる?
たまったもんじゃない、転生もののテンプレってこれであってますか?
美少女とお近づきになれる機会、とうとう俺の時代が舞い降りたなんて淡い期待を抱いていた少し前の俺の純情な気持ちを返してほしい。
ーー何分、何十分走っただろう。
息が切れる。
振り返るとそこに少女の姿はなかった。
流石に諦めたのだろう。
少し後ろめたい気持ちが沸き上がったが、後の事を想像すると雑念は容易に祓えた。
本気で走ったのなんて20年ぶりくらいだろうか。
体力が限界を迎えた俺は、身を隠すのにもってこいの大木を見つけ根本まで寄り腰を落として深く一息ついた。
既に日は落ちかけ、辺りは暗く染まり始めている。
木々の影が月の光を遮り、周りを見渡すのは困難になってきた。
目が覚めると元の世界にいてさっきまでの出来事は全て疲労によって観ていた悪夢であった、なんてことを考え瞼をとじたーー
すーすーと寝息を立てる男に何かの足音が迫る。
"ゔぅぅぅぅゔぁう!"
獣の威嚇に目を覚ました。
ぼやけた目を擦り木々の隙間から差す僅かな月明かりを頼りに凝視する。
そこには自分とは大差ない大きさをした狼のような見た目の獣が三匹、こちらに対し警戒心を向け今にも飛びかかろうとする体制をとっていた。
勘弁してくれ。
宗教団体の次は見たこともない猛獣。
前世で何か悪行でも働いたのだろうか。
だとしたら、そいつをぐーで殴りたい。
先の展開を悟った俺は深くため息を吐いた。
「はあ、厄日だ」
"ゔぁぅ!"
俺の声を同時に獣たちが襲いかかる。
刹那、ふと母親の顔が頭を過る。
ああ、親孝行もなにもしてないな。
おそらく俺は向こうでは行方不明の状態、母さん俺の体すら見つからないってなってたら悲しむかな、きっと悲しむよな。
39年、最期まで彼女もできないまま生涯を終えるなんて嫌だなあ。
一度でいいから可愛い女の子とデートしたかったな。
あ、でも俺の息子重症だから幻滅されちゃうよな。
自虐にクスっと笑った。
ーーああ、死にたくねえなあ。
瞼を強く閉じた。
「やっと見つけました!」
死の直面、聞き覚えのある声が耳に入った。
俺を目掛けて飛びかかる獣達に、火を灯した松明を片手に短剣を振り翳すシャルロットの姿があった。
キャンっと鳴き、吹き飛ぶ獣の姿にポカンと口を開け目を丸くした。
吹き飛んだ獣の姿を確認し、血が付着した短剣を一振り薙ぎ払い、腰に掛けた鞘へと納めた。
こちらに目線を回し、あわわと駆け寄り俺の手をとった。
「お怪我はありませんか? ハッ! いけませんと、と、とりあえずこれを……」
そう言って彼女は自身の服の中へ腕を潜らせ何かもぞもぞと探り始めた。
そして俺の体格と比較して少しぶかぶかな衣類を取り出した。
白色ではあったが装束ではなく、少し土を被った普通の衣類であった。
礼を口にし頭を下げ、差し出す衣類を受け取った。
パンツは……
なかった。
「……というかどうして逃げるんですか! ずっと探してたんですよ!」
「えっ」
袖に通しかけた腕がピタリと止まった。
彼女は俺を見失った後も諦めず探していたのか。
姿を隠してもう体感五時間程は経過している。
「……えっと、怪我はないです。 その……逃げた事については猛省しております」
むぅと拗ねた表情を向けた後、正面背後と身体を見渡し外傷が無い事を確認をした。
彼女がこの場に駆けつけるという僥倖に恵まれていなければ今頃獅子をもがれていただろう。
つま先を正座する俺の膝へ向け目線を配り、安心感に包まれたのか一息ついた後彼女は足を崩していった。
「良かったぁ、アルバーグ様の使いの方に怪我でもされてしまっては、捧げる顔もない……」
そんな、合わせる顔がないみたいに。
「……助けてくれてありがとうございます、すいません話もちゃんと聞かず逃げ出してしまって」
俺が怪我を負っていた場合を想像したのか胃を抑える彼女は、本当ですよと言い口角を上げた。
最初も疑問に感じたのだが、俺があの腹立つ声の主の使いとはどういうことだ。
確かに奴もこの地に俺を召喚したのは自身だ等と口にしていたが。
彼女等が崇拝しているアルバーグという存在は一体。
崇める対象という事は神聖なる存在なのだろうか。
頭を抱える俺をみて彼女は何かを察したかのように口を開く。
「ーーでは気を取り直して、アルバーグ様の崇拝すべきポイントを50まで絞ってきたのでお話、聞いていただけますか?」
ハっと気を取り戻し彼女へと視線を戻す。
屈託のない笑みを向ける彼女に目を奪われる。
気を使ってくれたのだろうか。
話し方からするに、恐らくそのポイントは元は膨大な数であったのだろう。
その数は彼女なりの俺に対する配慮なのだろうか。
獣達から無力な俺を守ってくれた命の恩人だ。
少し変わった子ではあるが決して悪い子ではないのだろう。
覚悟を決め、深く息を吐いた。
彼女を捉えた目線を逸らすことなく僅かに口角を上げて返答した。
「お断りします」
「なあぁんでぇぇ!?」
両手を地に押し付け嘆く姿は先程までの畏まった彼女と違い少しキャラが崩壊していた。
話し始めたら盛り上がって夜が明け日が昇る頃だろう。
そうこれは自己防衛である、そう自分に言い聞かせ罪悪感を相殺させた。
ぐすんと涙を目に浮かべ何かをもごもごと発している彼女の姿にクスッと笑いが漏れた。
彼女はゆっくり顔を上げ口を開けた。
「では、お名前をお聞きしても宜しいでしょうか?」
一瞬僅かな沈黙が流れ、出遅れた思考が直ぐに追いつく。
そういえば自分の事を一切口にしていない。
名前も知らない見ず知らずの男を助けてくれたのか。
「……申し遅れました、僕の名前は鈴木政宗といいます。政宗と呼んでください、シャルロットさん」