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図書監の渡り鳥  作者: 多部タイナ
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第1章 03 この世界は、そういう物語だ

 ついてきてください、と言ったきり、青年は一切話さなかった。

 地下というわりにはそれなりに明るいが、光源は本棚より少し高い位置の壁に等間隔に据えられたランプのようだ。その光は温かみのあるオレンジ色だったが、石でできた階段は素足には冷たい。寝巻き用のスウェットとジャージパンツはいずれも生地が薄く肌寒い、というか、自室以外でこの格好をしているのがむず痒い。気の利かない夢だ。服装くらい、日頃着られないようなものを着させてくれたってよかろうに。

 吹き抜けの広さは一般的なプールの倍はあるように見える。つまり直径おおよそ五十メートル程度といったところか。その外周をぐるりと回る、しかも階段となると、インドア派のOLとしては次第に太腿が重くなる。

 そんな螺旋をちょうど一周分ほど上っただろうか。息を切らしながらなんとか行き止まりの位置までくると、絶え間なく並んでいた本棚の列が途切れた。代わりにあらわれた錆びた鉄扉に、青年の骨ばった指が鍵を差し込む。植物らしき意匠を施された扉は、魔法モノの洋画にでも出てきそうな重厚感があった。

 扉の外の廊下の壁にも、オレンジ色のランプがぽつりぽつり。窓の外は真っ暗だが樹木がちらほらと見え、地上であろうということは推測できた。

 床は板張りになったが、それでも素足には冷たいものは冷たい。下半身全体に冷えが広がりはじめた頃、ようやく青年は足を止めた。

「中へ」

 促されるまま、開けられた扉の中へ足を踏み入れる。

 中央に学習机サイズの木製テーブルと、向かい合って椅子が二脚。壁際には小さな棚、その上にテーブルランプ。青年が明かりをつけると、色はやはりこれもオレンジ色。部屋の中にあるものはそれきり。家具をスチール製にしたら、そのまま警察署の取調室にでもできそうだ。

「座って。しばしお待ちを」

「え」

 バタン、ガチャン。

 振り向いた頃には、青年はもう居なかった。扉に目を凝らすと、解錠のためのつまみがどこにもない。地下の螺旋階段と同じく、ここも内側からでも鍵がなければ開かないというのが一目で分かった。あの男、鍵かけていきやがった。……ろくに逆らえず大人しく着いてきた私も私か。

 寒さで心がささくれている。どうせ夢なのだから、次に顔を見たら一発殴ってみようか。そんなことを考えながら、椅子の上に崩れるようにしてふらふらと座り込んだ。とにかく下半身が寒い。両膝を抱え、つま先を手のひらで包む。

 窓は小さく、ほぼ天井に近い位置についている。しかも内側に格子付き。鍵のつくりといい、物騒な要素ばかりだ。本当に取調室だったりして。あの男の服装も、軍服といえば軍服のようにも、警察の制服といえばそうであるようにも見えなくもない、ような。ではここは、どこかの軍か警察の施設?

 ……いや。

 帝都・塔京にある、搭京国立図書監。

 そうだ。あの男はそう言ったではないか。

 新川巧造の新作レトロ・ミステリー・サスペンス小説、「図書監の防衛戦」。ここは、その舞台だということになる。

 以前読んだインタビューで、著者は「明治や大正、あるいは昭和初期、それぞれの時代に対して抱く懐古的な魅力と、物語の構成上都合のよい近代的な利便性、それらを混ぜて創り上げた、とある時代のとある都市」といったようなことを語っていた。私はその世界観に惹かれて、あの本を手に取った。読み終えた直後だから、こんな夢を見ているのだろう。

 両手の体温がようやく少し足にも伝わってきた頃、またガシャンと音がした。

「なんて格好をしているんですか」

「寒くて、つい」

 私もだんだんやけっぱちになってきた。戻ってきた青年の前で、はしたなく上げた脚を戻す気力もない。

「でしょうね」

 でしょうねってなんだ。よし、殴るのもいいが一度なにか言い返してみよう、と口を開いたが、そのまま止まってしまった。

 男の片手にはやわらかそうな臙脂色の布地。もう片方には――草履(ぞうり)

「毛布はお貸しします。履き物はそのまま差し上げます」

「……ど、どうも」

 出鼻を挫かれた。なんで草履? とは思いつつ、世界観というか時代的にはおかしくないのだろう。生足に革靴などを渡されてもそれはそれで困るから、これでいいか。

 草履を履いて毛布を膝にかける。身体の芯はまだ冷えているが、少しは落ち着いた。

「さて。あなたに説明しなければならないことと、あなたから聞きたいことがいくつかあります」

 青年はもう一脚の椅子に腰を下ろした。身体は向かい合っているが、彼は自分の手元を見下ろしていて、視線は交わらない。

「まず、ひとつ。これは、あなたの見ている夢ではありません」

「……は」

 丸まっていた背中が思わず伸びた。

「な、なんで」

「あなたがこれを夢だと思っていることを、なぜおれが知っているか、ですか? そういうものだから、ですよ。()()()()()の大半はそう勘違いする」

 男はこちらに一瞥もくれない。鉛筆を握った手で、紙の束をぱらぱらめくっていく。

「恐らくあなたは、この図書監が出てくる物語を読んだはずです。時計塔の地下に広がる、螺旋状の図書管理施設。さきほど見たでしょう?」

「はい、いや、あの、ちょっと待って……ください」

「なにか?」

「夢じゃない、って言われても」

 はいそうですか、と素直に受け入れられようはずもない。

「事実そうなので、それ以上なにも言うことはありません」

「いや、だって……ここは『図書監の防衛戦』に出てくる、あの図書監なんでしょう? 私、それを読み終えたばかりで、だからこんな夢を見てて……あなたも、あの本の登場人物なんですよね?」

 あの本の中の誰なのかまでは分からない。表紙は風景画で、人物が描かれた挿絵もなく、話題作といえど新刊だから映像化もまだされていない。今目の前に居る男が誰なのか、その容姿からは判別がつかないのだ。私が読みながら勝手に想像していた登場人物たちの容姿にも、特に当てはまらない。考えれば考えるほど混乱が深まる。

 若葉色の丸い瞳。チョコレートブラウンから灰色へのグラデーションの髪。薄い唇。背は私よりわずかに高いくらいに見えたから、百六十センチ前後だろう。

 考えても無駄だ、と思い至った。そもそもあの小説の中に、登場人物の容姿の描写はそう多くなかった。

 なんてことを考えていたからか、じっと見つめていた顔がどんどん不愉快そうに歪んでいっていることに、私はまったく気がついていなかった。

 深い深いため息をつかれ、ようやく青ざめる。

「心外だな」

 声色が一層冷たく尖る。

「おれは確かにおれ自身の意志を持ってここに生きているのに、他人の夢の登場人物扱いをされるとは」

 鋭利な氷柱(つらら)が、鼓膜を貫いた。

 認めざるを得ない。

 このひとは、間違いなく生きている。この場所は、間違いなくここに在る。

 夢ではないのだ。

「……すみません」

 今度のため息は、浅い。

「まあ、おれが『あなたの世界に存在した物語の登場人物』である可能性は否定できませんがね。どんな物語なのかは、これから調べることですが」

 さりさりと音がすると思ったら、紙の上に鉛筆を走らせていたらしい。書き上げたものを、こちらに向けてきた。意識があちこちに散らばっているような心地がして、ごく短いその文言を読み取るのにも少し時間がかかった。「図書監の防衛戦」、角ばった筆致。

「あなたの世界で描かれている、この世界の物語の題名です。さきほど、それらしきものを口にしたでしょう。表記はこれであっていますか」

「は、はい」

「では、次。おれの名前は髙拉(たから)(うぐいす)です。あなたは、おれを知っていますか」

 たからうぐいす。

 口に出したことはない。耳にしたこともない。けれど、何度もこの目がその響きをなぞった。何度も頭の中で聞いた。

「知っているようですね」

 こんな声だったのか。こんな容姿だったのか。こんな人、だったっけ。

 ダマになった違和感たちが胸につっかかる。

 あの「図書監の防衛戦」の髙拉鶯は、世渡り上手な好青年だった。駒とは喧嘩も多く、意地っ張りで素直になれないような姿も見せていたけれど、それにしたって、ここまで無愛想で冷たい男ではなかったはず――いや、待て。

 物語の中盤、とある青年が図書監をさ迷い歩いているところに出くわした鶯は、彼を鍵のかかる小部屋に連行し、尋問しだした。そして鶯は、その青年が二重人格の連続殺人鬼であったことを探り当てる。

 そのときの鶯は、日頃のにこやかさが嘘のように厳しく理知的だった。

 この髙拉鶯は、まさしくあの状態なのだ。

 そう思うと納得がいった。どこから出てきて何をしでかすか分からない侵入者向けの顔なのだから、無愛想で冷たくても何らおかしくはない。諦めをはらんだ脱力感に見舞われながら、そっと彼の顔を窺う。

 こういう表現でいいのかは分からないが、彼が「本物の髙拉鶯」か。私の勝手な想像上の髙拉鶯の容姿とはかなり異なっている。それもまた、これが私の夢ではないことの証左に思えた。

 私の思い描いていた髙拉鶯は、目は切れ長の一重で、おでこを出した黒髪で、身長は百七十センチほどはあって、声はもっと低かった。どの要素も作中には描かれていなかったから、好きなように想像できてしまっていたのだ。

 作中で言及されていた髙拉鶯の身体的特徴はごく僅かだったはず。その中でも、私が覚えているのはふたつだけ。

 鋭い犬歯と、背中にある古い火傷の痕。

 どちらもそう簡単には確認できない。あまり大口を開けて話さないから犬歯はよく見えないし、背中なんてもってのほかだ。

 混乱。動揺。落胆。高揚。

 あらゆる感覚と感情が身体の中をぐるぐると駆け回っている。

 それでも、髙拉鶯は容赦がなかった。

「どの程度の長さの物語でしたか」

「たしか、四百ページくらい……」

「時間です。物語の中で経過していた時間」

「えっ、ええと、ちょうど一年分でした」

「おれの年齢はどうでした。今のこのおれは二十二歳です」

「年齢は……書いてませんでした。すみません」

「それならそれで構いません。分からないことは分からない、曖昧なことは曖昧だとはっきり言ってください。おれは主要人物ですか、それとも端役ですか」

「主役、です」

 矢継ぎ早の質問が途切れた。絶え間なく響いていた筆記音もぴたりと止まる。

「さぞつまらない物語だったでしょう」

 髙拉鶯は手中の鉛筆を見下ろしたままでいる。

「……そんな、全然」

「ああ、失礼。素直につまらないとは言いづらいですね」

「いえ、本当にとても面白い本でした!」

 髙拉鶯は、まだ、手中の鉛筆を見下ろしたまま。

「……まあ、面白い面白くないなんていう主観的情報はいりません。本題はここからなので」

 長い指先が紙をめくる。まっさらな一枚が出てくる。

「おれがあなたにあれこれ聞いている理由はふたつ。ひとつ、『今この時』より先の出来事を、あなたが知っているかどうかを確認すること。その目的は、もしあなたがこの世界の未来を知っていた場合、あなたが余計なことをしないように対策をするためです。ふたつ、この世界の中で『あなたの世界が描かれている本』を探し出すこと。それをあなた自身が読めば、あなたはあなたの居た世界に戻ることができる、ということになっています」

 戻ることができる。

 混乱、動揺、落胆、ぐるぐると身体の中を駆け回っていたあらゆる感覚と感情が、高揚に収縮し、ぱちんときれいに弾けた。

 帰れる。

 そうだ。思い出した。

 ()()()()()()()()()()()()()

「早く帰りたいでしょう」

「もちろん!」

「では引き続き、おれの質問に適切に答えてください。聞かれていないことは話さないように。もしそれがこの世界にとっての未来だった場合、とても面倒なことになるので」

「はい!」

「うまくいけば一年程度で帰れるでしょう」

「はい! ……はい?」

 一年?

「あの、本を一冊読めばいいんですよね?」

「ええ」

「たしかに私は読むのがあまり速い方ではありませんが、でも」

「そんなことは知りませんよ。その本を見つけるのに一年、と言っているんです」

 そんな馬鹿な。

 それらしいキーワードを並べて、検索エンジンか、あるいはここのOPACで検索すれば、運が良ければそれだけでもヒットするはず。うまくいかなければSNSで情報を募ってもいい。とにかく、まずはスマホで――

 そんなもの、寝る前にポケットに入れていたりなんかしない。充電器につないでベッドサイドに放ってある。そもそも今ここにあったところで電波が入るのかも分からない。

『明治や大正、あるいは昭和初期、それぞれの時代に対して抱く懐古的な魅力と、物語の構成上都合のよい近代的な利便性、それらを混ぜて創り上げた、とある時代のとある都市』

 一気に肩の力が抜けた。一体どうしろというのだ。

「大抵は『あなたがた』の出てきた場所のそばにあるものなので、本来そこまで難しくはないのですが、あなたは本棚を丸ごと最下層まで突き落としてくださったので。もともとそこに置いていた本もろとも、めちゃくちゃになっているでしょう。あなたが想像するよりもずっと膨大な数の本が混ざってしまっているのだと想像しておいてください。あなたに聞くべきことを聞いたら、おれはすぐあそこに戻ります。朝になったらいくらか人員を割いて整理しないと」

「す、すみません……でも、その辺りにある、っていう見当はついているってことですよね?」

「それでも、あなたがその物語の端役だった場合、探すのには骨が折れるでしょうね」

 そうか。主役なら斜め読みするだけでも分かるだろうが、モブだとしたら丹念に読み込まなければ見つけられない。

 気が遠くなるような作業になるだろう。しかし、帰る道筋がそこにある。それだけで今はじゅうぶんだ。

「ですが、まずは本の捜索より、あなたがなにをどの程度知っている人間なのか把握させてください。でないと、この部屋から一歩も出せませんので」

「え」

「あなたが読んだこの世界の本の内容を、おおまかでいいので話してください。できる限り時系列順で、ゆっくりと。おれが止めたら、そこで話すのを必ずやめるように」

 髙拉鶯は鉛筆を握ったまま、それきり口をつぐんだ。さあどうぞと言わんばかりだ。

「少し、思い出す時間をください」

 細い顎が小さく引かれる。頷いた、と解釈していいのだろうか。

 私はテーブルの木目を見つめながら、あの小説を頭の中でもう一度開くことを試みた。

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