彼女の心に居座る幼馴染
時折不安になる。俺の恋人――芦屋夏美が、俺の前から去ってしまうのではないかと。
何気ない一言で夏美は遠い目になる。なので彼女に話しかける時は、言葉を慎重に選ばないといけない。
夏美がそうなってしまったのは、長い間片思いしていた幼馴染にフラれたからだった。
まあ……いざ告白をしようと決心した時に、幼馴染に彼女が出来たため、諦めざるを得なかったのが正確なところではあるのだが……。
幼馴染――他の人達と比べ深い関係にある彼のことを、夏美は必死に忘れようとした。
だが出来なかった。
こうして今、俺と手を繋いでいるのに、彼女はどこか上の空だ。
夏美にとって、幼馴染を頭の中から消し去るということは難しいものなのかもしれない。
幼馴染の彼と夏美が積み上げてきた思い出は、彼女の心に深く刻まれているのだと思う。
「芦屋さん……俺と付き合って下さい!」
「うん……いいよ……」
俺が夏美に告白した時、彼女は了承したにも関わらず乗り気ではなかった。
きっと夏美は、幼馴染の彼への未練を断ちきるため俺と付き合ったのだろう。それが彼女なりのけじめ。
しかし、想いというものは、断ちきろうとすればするほど複雑に絡み合う。自分の意思とは裏腹に、より心を縛りつけてしまう。
俺はそれを目の当たりにするのだった。
「正志!」
デート中、繋いでいた手がいきなり強い力で引き剥がされた。
何事かと思い、隣にいる恋人に顔を向けたら、彼女は一人の男をじっと見つめていた。
「お、夏美、久しぶりだな。どうしたんだよ? こんなところで」
正志と呼ばれた男、彼は俺もよく知っている人物。彼は夏美の幼馴染であり、俺の友人でもある。
俺に夏美を紹介してくれたのも、正志だ。
「う、うん……ちょっとね……」
夏美の隣にいる俺を見て、正志は俺と夏美がデート中であることを察したのか、すぐに立ち去ろうとする。
「あ、もしかしてデート中だったか? 悪いな、邪魔して」
「待って!!」
引き留める理由はないはずだった。夏美は俺の彼女、恋人同士の二人の時間に正志は必要ない。
「正志……あのさ……藤谷さんとはどうなったの?」
件の藤谷さんとは、正志の彼女。ただ、風の噂で正志とうまく言っていないと聞いた。
夏美は彼氏の俺のことよりも、正志のことが気になって仕方がないのだろう。
「ん? ああ、別れ――」
「ほんと!?」
食い気味に正志の言葉を遮る夏美。彼女は正志がフリーであると知った途端、目を見開いた。
「うん……まあ、方向性の違いって言うか……」
「ウフフフ、なによそれ。ミュージシャンじゃあるまいし」
「言うなよ。こっちは結構へこんでんだぜ」
見たことのない顔だった。夏美の表情はとても明るく、まるで宝くじが当たったかのようだ。
彼女は俺の前で、一度足りともこんな顔をしてくれたことがない。
俺と付き合ってから――いや、正志が藤谷さんと付き合い始めてからは、いつも悲痛な面持ちだった。
「小森くん、私と別れてほしいの……」
「え?」
正志がいなくなって早々、開口一番夏美から別れを告げられた。
「
本当にごめんなさい。
小森くんが好きって言ってくれた時、私嬉しかった。
私のことを想ってくれる君と付き合えば、正志を忘れられると思ったけど、そうじゃなかった。
君の隣を歩いても、手を繋いでも、ずっと正志のことが頭から離れなかったの。
私ずっと誤魔化そうとしてた。私の心の中には正志がいっぱいだってこと
」
ああ……。
中学の時から、夏美が正志のことが好きだったことは俺は知っていた。彼女の正志を見る目は、普通なものとは違っていたから。
俺が夏美のことを好きになったのは、ほんの些細なことだった。彼女が正志に向ける笑顔がとても綺麗だったから。ただ、それだけ。
それだけでいい。人を好きになるのに大した理由なんていらない。
正志が藤谷さんと付き合った時、俺はチャンスだと思った。夏美の笑顔を俺に向けてもらえるかもしれないと、告白した。
されど、そうはならなかった。
夏美の心には正志が居座り続けていたのだ。俺が口付けをせがんでも、決して彼女は首を縦に振ることはなかった。
「わかった……」
頷くことしかできない。
夏美の気持ちは俺に向いていない。拒んだところで、なんの意味もないのだから――。
後日、俺と別れてから、夏美は正志と付き合うことになったのを知った。
「やっと元の鞘に収まったのか」と、周囲の人間は口にする。
皆気付いていた。夏美と正志、いずれ二人は惹かれ合うと。
俺は――夏美と正志の恋物語の噛ませ犬でしかなかった。
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