Ep.8 空を駆けたり数値化したり
空を走ることに慣れてきた時、前方に千坂たちの姿を捉えた。
先頭にいた美狼が一足先に合流し、後を追うように銅と月輪もブレーキをかける。
「皆さん、お疲れ様です」
最初に口を開いたのは、自己紹介の時から敬語が抜けない遊馬 シドだった。
赤いリボンと、風に揺れるポニーテールが印象的で、小柄な体格から銅より年下に見えたが、同い年と聞いて急に親近感を覚えた。
そしてなぜ敬語なのか疑問に思っていたが、シンプルに敬語の方が話しやすいのだとか。
「いつみんは災難だったねぇ。でも怪我がなくて何より何よりぃ」
「千景さんも遊馬さんもお疲れ様っス」
かくいう銅も一応の礼儀で敬語は使うが、隊の中では上下関係があまりないようで、皆してタメ口を催促してくる。
「別に、遊馬じゃなくてシドでいいです。苗字では呼び慣れられていないので、違和感もありますし」
「えっ、あぁ。ではシドさんと呼ばせていただきます」
「同い年なのにさん付けとか、底知れないゾワゾワが這い上がってくるので却下で。それに呼び捨ての方が仲間に入りやすいでしょう」
「ハハッ。じゃあこれからは、遠慮なく呼び捨てしますね…」
「うーん、これが青春よねぇ。恋愛のヒロインはクーデレなんて、今や一般常識! こうして二人の距離は近づいていき、やがてお互いを意識し始める。些細な喧嘩やくだらない嫉妬を繰り返し、月夜の下でゴールイン――」
名前云々のやり取りを見ていた千坂は、何が面白いのか二人をからかい出す。
「からかわないでください。さもなければ、千景お姉さんじゃなくて千坂さんって呼びますよ」
「あーん、そんな事言わないでよぉ。お姉ちゃん悲しいわ〜」
何故か大ダメージらしい言葉に、千坂は泣いたフリをして遊馬の頭を撫でる。顔立ちや見た目は似ていないが、やっていることは姉妹のようだ。
「そ、それに私は背だけ高い人より、もっと強そうな人の方がタイプなんですからね。誰と言う訳では無いけど……」
これはとんだ二次被害だ。銅が傷ついていることに一切気づかず、遊馬と千坂は女子トークで盛り上がっている。
「話しているところ悪いが、パトロールはどうだった?」
我関せずの態度を貫く美狼の横で、空気を読まない月輪が話に割って入った。
中学生の頃に嫌という程味わった、女子たちブーイングの恐ろしいことたるや。恐怖を知った銅は、それ以来盛り上がる女子の間に入ることはしない。
しかしこんな時にも意に返さず入っていくのが、月輪という男だ。
「そうだったわね。つい恋バナに耽っちゃったわぁ。シドちゃんがあんたを好きとか言うから、つい」
「な、なに言ってるんですかっ! 本気で怒りますよ!」
(ハッハーン。シドは蒼志さんに、ほの字ってことか)
顔を赤らめる遊馬を見て確信した。銅は一人頷くが、当の本人は話の真意に気づいていない。
「もういいわぁ。……危険信号のことだけど、誤りや故障はないみたい。でもCは確認できず。蒼志の方は、例の件に検討ついた?」
「残念ながら、例の件はまだ確実とは言えないかな。それと、先ほど遭遇したCは二十だったので、完全破壊しておいた」
例の件が気になるも、えらく真面目な眼差しに追求しない方がいいと判断したが、二十という数字には引っ掛かりを感じた。
後半の話は、先ほど銅が対峙したCのことだろう。
「すんません、二十っていうのはさっきのCっスか?」
「説明していなかったか。そうだ。逸実の言う通り、さっきのCのことだ」
「ほらぁ、Cって幾つか種類があるじゃない? 初期型オリジナル、初期型トレード。それと最近見つけた新型オリジナル。まだ戦ってはいないけど、新型トレードも確認されているわ」
昨日説明を受けたことに加え、詳しくはCに四種類いるらしいと聞く。
「相手によって戦い方を変えるんだけどね、戦略を立てる時とか戦闘中に、Cを数値化して呼ぶのよ。その方が簡略化出来るし、どう対処すべきか分かりやすいの」
千坂によると、初期型オリジナルが二十。初期型トレードは四十。新型オリジナルが六十。そして新型トレードは現最大数値の八十。ちなみに、数値は百を基準にしているようだ。
「体の大きさは関係なく、初期型か新型、オリジナルかトレードで強さが決まっているみたいなのぉ。てことで、いっつみんは不幸中の幸いだったってことね」
「それでも、めちゃくちゃ強かったんスけどね…」
さっきの戦闘は、今思い出してもスリル満点で、確かに命の危険を感じた。
武器は己だけだったわけだから、よく生き延びれたと思う。
「ケッ。お前弱っち過ぎ」
「もう! 美狼んはそんなこと言わないの! お姉ちゃんにはしっかり聞こえたぞ」
これまでほとんど声を出さなかった美狼は、たまに吐く言葉が毎度辛辣だ。
その言葉に千坂が詰めよれば、機嫌悪そうに黒いローブのフードを深く被り直し、まるで声を遮断するように、そっぽを向いた。
(子供みたいな無視の仕方だな)
全身を黒いローブで覆い、野生の狼のような美しさと凶悪さを兼ね備えているわりに、子供っぽい話し方や仕草だ。
思い返せば、報告の際も行動が無邪気だった気がする。
「俺は気にしないっスよ。言葉の通りだし、もうちょい解眼後の体に慣れてぇな」
「そうだ! 解眼した後、この異空間に飛ばされるだろ。その間、元の世界では俺たちは不在中なんだ」
銅はここで初めて、自分は異空間にいることを思い出した。月輪の言う通りなら、元の世界はもう暗くなっているだろう。
異空間がずっと青空だったから忘れていたが、時間は着実に進んでいるのだ。
「え、どうやったら戻れるんスか!」
「今みたいに引き伸ばすことは出来る。でもCを破壊した時点で、体は元の世界へ引っ張られている。後は、自分の意識とリンクしているこれを押せば戻れる」
月輪が着ている、コンプレッションウェアの青いタンクトップの肩部分に、丸い銀の飾りが付いてる。それを指差し、説明を続ける。
「俺たちの戦闘服には、こういった金属がついているのだが、それに触れている体は元の世界に戻る。さぁ、俺の腕にでもくっ付いていてくれ。君には戻る術がないようだし」
促されるまま、月輪の腕を掴むと、
「あ! ちょっ、今はまずいんじゃ――」
金属の部分に触れる寸前、遊馬が手を伸ばすが、月輪は流れるように金属へ触れてしまった。
――光に包まれたのは、ほんの一瞬だった。
暗い空と建物下のネオン。車や換気扇の音が煩い程に耳へ飛び込む。
「どんな原理か俺には分からないが、ちゃんと戻ってこれただろう?」
自慢げな声の方へ向くと、青に引っかかれた跡のような白い三本線が視界に入る。月輪の戦闘用スーツだと分かったと同時に、共に戻ってきたことをはっきり認識した。
「ってあれ、戦闘服はそのままなんスね」
ピチッとしたタンクトップと、黒いカーゴパンツはそのままのようで、素朴な疑問が口をついて出ていた。
「それは別なんだ。まだ全てを一気にという段階ではない。これはな――」
「ちょっと蒼志! このタイミングで戻ったら周りの人に見られるかも、とか考えなかったのぉ?」
銅が気づかないうちに戻ってきた千坂が、月輪に食ってかかる勢いで詰め寄る。
今五人がいるのは、二階建ての廃墟ビル屋上だ。道路を挟んでビルが建っていて、下からも周りのビルからも、五人は丸見えの状態だ。
「こんなとこにいたら怪しまれるかもです。ほら、後ろの路地へ降りて帰りましょう」
廃墟ビルの裏で入り乱れる路地を指し、遊馬は皆を誘導する。
幸いなことに、外階段があったので、遊馬の後ろから階段を降りようとした時、視界の端に黒い影が横切った。
影は広くない道幅に無事着地し、屋上を見上げる。そこでやっと美狼の顔が見え、彼が屋上から飛び降りたことに気づいた。
美狼は何食わぬ顔で腕を持ち上げ、挑発するように人差し指をクイクイっと曲げる。
(さすがにここから跳ぶって…。そんな態度で挑発したって、誰も乗らねぇっしょ!)
心の内で否定する銅の隣でハハッ、と笑う声が聞こえ、もう一人ジャンプした。
先ほどの美狼を靱やかと表現するなら、月輪のは躍動感のあるジャンプだ。
「ほんと、男って何歳になってもチャレンジャーね ぇ。いや、美狼んの場合はあれが正常かぁ」
銅の後ろで独り言を呟く千坂と、少々不安定な階段を降りていく。
慎重がちな銅とは対照的に、遊馬は軽やかなステップで階段を踏み鳴らし、後ろでもたつく銅に視線で臆病者と訴える。
皆が路地へ降りた時、誰かが声を上げた。
「一人足りない?」
今の今まで五人だったはずが、いつの間にか私服に戻っている三人と銅しかいない。
「ああ、美狼なら野良猫を追いかけていったぞ」
黒いティーシャツを着た月輪は、いっそ無邪気な様子で、路地の奥を指さした。
路地の奥は、細い道や塀が枝分かれしている。なかなかの迷路に心配する銅をよそに、千坂はため息を吐く。
「ほっとくかぁ。美狼は帰巣本能あるし、うちらはうちらでパトロールしながら帰りましょ」
あまり人間には使わない言葉で片付け、表の通りへ歩き出していく。
(にしても、美狼さんって何者なんだ…。それに慣れきっている皆もすげぇしな)
路地裏とは打って変わって賑わう表通りに出ると、美味しそうな匂いが空腹を誘う。
寄り道せず帰れば、一路が作った夕食にありつける。そう考えたところで、ふと、一路はなぜ家事ばかりしているのか疑問を感じた。
(まぁ、大凱さんには世話になるわけだし、俺には関係ないか…)