Ep.6 新たな生活でさっそく死亡フラグ
どこからか聞こえてきた生活音に意識が浮上していく。
ゆっくり瞼を開き、見慣れぬ綺麗な白い天井を目に馴染ませる。
飛び込んできた陽の光に、昨日の出来事を鮮明に思い出す。
(そうだ、昨日からここにお世話になってるんだった〜。……って、今何時だ!?)
覚醒した脳で、枕元のスマホを探す。
スマホに表示された時刻は、講義一時間前を指している。
「まずい…!」
部屋に備え付けの洗面台で顔を洗い、寝癖を治した所で、服がないことに気づいた。
昨日はなんだかんだありつつ、ご飯食べて風呂入って疲れから直ぐに寝てしまったのだ。
一路か月輪にでも借りなければと焦って自室から顔を出すと、リビングには既に月輪以外の人たちが揃っていて、それぞれ優雅に過ごしていた。
「おはよう、逸実くん」
「あ、皆さんおはござッス」
いち早く銅に気づいた一路が、キッチンから挨拶を投げかけてくれたので、銅は緊張せず全員に向かい挨拶が出来た。
「すんません大凱さん、俺の服ってどうなってます?」
「あぁごめん。まだ生乾き状態だから、今日の所は僕の服で我慢してくれないかな」
家事を担当しているという一路は、申し訳なさそうにキッチンから出て銅の体を下から上へ眺める。
その動作から、体型や身長を目測しているのが分かった。
「逸実く〜ん、本当に大凱さんの服でいいの? 昨日の見たでしょ。難ありティーシャツ」
「確かに、一さんの服は人類のセンスと少しズレてると思います。思わざるを得ません」
ソファに座っていた女性二人は、身を乗り出してまで一路のセンスを評した。
そんな辛辣な意見に、一路は眉を下げて悲しいとアピールする。
「えぇー、みんな手厳しいな。僕にもティーシャツ以外の普段着はあるし、あのティーシャツたち可愛いじゃないか」
「あの、とにかく借してくれるのであれば何でも有難いッス。それと、今日は色々持ってきたいものあるんで、アパートに寄ってから帰りますね」
「そういえばそうよねぇ。よし、学校帰りも危険かもだから、誰かについてもらうことにしましょ。蒼くんに話しておくわ」
「分かりました。あざっす」
銅はお礼を伝えた後、一路が用意してくれたトーストとスクランブルエッグを頬張り始める。
あまり時間がないので急ぎつつも味わい、皿をキッチンへ持っていく。
「逸実くん、これ。サイズ的には着られると思うから、今日はこれで我慢してね」
自室へ戻ろうとした時、一路に呼び止められ、下の階の部屋から持ってきたのであろう服一式を渡された。
渡された服は意外にもシンプルで、これなら着られそうだと静かに息を吐く。
「あざっす! これは俺が洗濯して返します」
「いいよ。洗濯は僕が一気に済ませた方がいいし、気持ちだけ受け取っておくよ」
物腰柔らかに断り、もう時間じゃないかと銅を急かす。
銅は遠慮気味にも了承し、自室に戻る。リュックの中身を簡単に確認し、スマホを手に取ったタイミングで着信が入った。
画面には天利の名前が表示され、彼の性格を表すように明るく忙しなく着信音が鳴る。
「はーい、もしも」
「あっ! やーっと出たな! 何回電話したと思ってんの!」
「悪い悪い、今気づいたんだよ」
「これだから携帯を携帯しない人は…。ほんと、逸実の面倒を見るのは、ミカンの皮にスイカの中身を詰めるくらい大変だよ」
「なんだその例え。よく分かんねぇわ。でもごめん、そういや駅で待ち合わせてたな」
「その様子だと今思い出しようだね、ちみ。今どこにいるのかね」
「ちみって何だよ。それにその喋り方も流行ってないぞ」
「いちいちツッコミしなくて良いから!」
「悪い悪い。実は急遽昨日から知り合いのところに世話になっててさ。だから先行ってくれていいよ。お詫びに昼飯を献上致します」
「全くもう。とりあえず学校で待ってるから、遅れず来いよ!」
「分かってるよ、じゃあ」
回り道をしながらも通話を終わらせ、借りた服を着て家を出る。
リビングからは「行ってらっしゃい」と声を掛けられ、気恥しい気持ちで「行ってまいりやす」と返事をした。
* * *
カラッと晴れた空の下、駅までの道を教えられた通りに進む。
駅のホームは通勤ラッシュを過ぎている為、比較的空いている。
ちょうど滑り込んできた電車に乗り込み、あいていた角の席に座った。
いつもなら乗り換えをするところだが、この駅からは一本でいけるようだ。
落ち着いた気持ちで窓の外に目をやる。
銅が住むことになった場所は、緑が広がっている山々と街の境目辺りだ。マンションの窓からは緑と街を堪能できるが、この車窓からの景色は都会になっていく。
『NEXT,藍渓大学駅』
二十分から三十分は、電車に揺られただろう。大学の最寄りである駅がアナウンスされた。
同じ目的の学生たちと共に電車を降り、気持ち足早で大学へ向かう。
何とか遅刻せず講義室に入ると、銅に気づいた天利が手を振る。どうやら席を取っておいてくれたようだ。
「おはよ、今朝は悪かったな」
「それはいいんだけどぉ……。まさかのまさか彼女が出来たとかじゃあないよな?」
席につくなり天利は銅の肩を小突き、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
「別にそんなんじゃねえよ。第一、この俺に春が訪れると思ってんのか」
「うーん、言われてみればそうか。逸実に彼女なんて想像つかん。だけど、そのシャレオツな服は初めて見た」
「あぁ、昨日から世話になってる人が貸してくれたんだよ」
簡潔に伝えた途端、何故だか天利が驚愕した。
「なっにぃー!? それが巷で噂の彼シャツってやつか! いやはや、逸実が着ると大人っぽ不良のスカシコーデって感じだね」
「はァ? 言ってる意味はよく分からんが、ちみが褒めてないってのは伝わったよ」
「十分褒めてるよ! ただ、逸実らしからぬ服装だったからちょっとビックリしただけ。…ほら、その服のおかげか斜め後ろの女子がチラチラ見てるぞ」
早口で捲し立てられ、いつも通り天利のペースに巻き込まれる。
そのままたっぷり怒涛のトークが続き、教授が入ってきたところでやっと解放された。
* * *
長い講義が終わり、遅めのランチを済ませた二人は、それぞれ別の用事があると大学内で別れた。
(そういや千景の姉さん、誰かをつけてくれるとか言ってたけど、連絡も入ってないし、あの話は流れたのか?)
今朝の話を思い出したが、千坂たちも何かと忙しいはずだと考え直す。
このまま時間を潰すのも癪で、千坂には連絡だけ入れ、自分のアパートに戻ることにした。
昨日と同じくらいの時間で、駅はそれなりに混んでいる。昨日みたいにならないよう、意味はなくとも肩を狭ませ、人の顔を見ずに歩く。
駅からアパートまでの道のりも、人通りの少なそうなところを選び、無事、頭痛に襲われることなく、アパートまで帰ることが出来た。
たった一日帰らなかっただけで、懐かしさを感じる。
都会では無いからか少し広めの1Kは、必要最低限の家具しか置いていない。
タンスや本棚から必要なものを出し、リッュクとスーツケースに詰め込む。
作業はすぐに終わり、元々少なかった部屋の中身は、よりスカスカになった。
名残惜しみつつ、ドアの鍵を閉め、アパートを後にする。
新たな家へと帰る前に、スマホを確認して、千坂にもう一度メッセージを送る。
(時間もあるし、ゆっくり行くかぁ)
リュックを肩にかけ直し、先ほど来た道を戻っていく。
アパートから真津駅まで、約十五分かかるところを、いつもより遅いペースで進む。
商店街を抜け、次の交差点を左に曲がろうとした時、後頭部を鈍器で殴られたような痛みが、突然襲ってきた。
(まずい、解眼の合図だ…!)
瞬時に悟った銅は、ここで解眼する訳には行かないと、強烈な頭痛に耐える。
それでも痛みは増すばかりで、十秒もしないうち、ギブアップした。
街は一気に静まり返る。人がいないということは、異空間へ移動したということだ。
――キュイィィィィィン
後ろから機械の起動音に似た甲高い音が響く。まるで銅を脅かす為に鳴らしたような音で、その思惑通り銅の背筋は凍りつく。
ゆっくり振り返ると、少し離れたところに小さな人影が見えた。
まだ人の形は分からないが、足を竦ませた銅に一歩一歩近づいてきているのは分かる。
徐々にはっきりしてきた形は銅の予想より小さく、人間でいえば小学低学年くらいの大きさだ。
ロゴの入ったシャツに、ピンクのサロペットを着た格好は人間。しかし、不自然なほどに大きい闇色の瞳と関節部分は明らかにCのそれ。
姿を認識したところでやっと我に返った銅は、そーっと後ずさりながらも、Cから視線を外さない。
Cが立ち止まりこちらを見据えた瞬間、銅は脱皮の如く走り出した。
どのタイミングで逃げればいいのか分からぬまま、とりあえず走ったのだ。
(……ん? あれ? 体が軽い!)
銅自身が自覚した時には、もの凄いスピードで駆け抜けていた。そう、人間の身体能力では考えられない程の速さで。
すぐに止まれない体は交差点を曲がり、Cの視界から隠れるように走る。
これはまさに鬼ごっこだ。それも無人街でのデスゲーム。
また先の角を曲がると、その通りには道路工事の看板が立てられていた。
人はいなくなっても街並みは変わらない為、道路に空いた穴もそのままだ。
思わぬ行き止まりに銅の思考と足はストップし、またも追い詰められる。
遥か後方に見えていたCも着々と近づいて、遂に数メートル先で止まった。
絶体絶命と思われたその時、上から月輪たちが……というご都合展開などある訳もなく、Cは無情にも銅に右手を向けた。
――ブイィィィィィン
空気の振動音と手のひらに集まっていく青白い光は、死のカウントダウンを知らせてくる。
「うぉぉぉぉ! もう、どうにでもなりやがれ!」
ビームが放たれる瞬間、銅は叫びながら真上にジャンプした。
一か八か、避けられかもしれないから、と。