Ep.28 研究所の地下
銅を探す月輪、千坂、遊馬は、地下四階と五階の階段踊り場で足を止めた。
下の階から地響きのような力強い音が聞こえたからだ。
しばらくして重たい足音は遠ざかっていき、辺りに静けさが戻る。地響きに人の声が紛れていたことには、残念ながら誰も気づけなかった。それこそ、聴覚が極端に優れた美狼でも気づくか分からないレベルだ。
地面の揺れが収まったのを確認し、月輪達は足音がした方へと向かう。
慎重に、かつ素早く移動するのはお手の物である。階段で最下階まで降り、白く延びる廊下を駆ける。二階上まで足音が轟いていたのに、見る限り床や壁には少しの崩れもない。
感覚を第一に、あの足音が止まったであろう場所まで辿り着いた。周りにはドアらしきものもなく、銀の巨大な装置やら配線やらが壁にくっついているだけだ。
音の正体はこの辺りにはないらしい。
左右の通路と来た道を目視で確認した後、僅かに異臭のする右通路へ進む。
獣臭とも違う、例えるなら野犬の生臭い口臭のような匂いが、通路の奥から漂っているのだ。
有元が創った改造生物の匂いという可能性が一番大きい。
匂いのする方へ行くのはいいが、その先には十中八九モンスターがいるだろう。先頭の月輪は真っ先に自分が戦えるよう、気持ちをより引き締める。
リーダーとして先陣を切るのはもちろん、何かあれば体を張り、苦しい決断だってしなければならない。
月輪の緊張は後ろの二人にも伝わり、彼女らの表情に真剣味が増す。
匂いの漏れ出る引分タイプのドアを前に、一度足が止まる。
監禁エリアの強固なドアは簡単にハッキングできたのに、このドアは一筋縄では開けないようだ。
開閉装置に苦戦する千坂を見て、月輪は一つの考えに辿り着いた。
「これは多少強引にこじ開けても問題ないかもしれん」
「本当に?」
「あぁ。推測の域はでないが、大方間違っていないはずだ。まずは蹴るでも殴るでもしてみよう」
もし番犬のようなモンスターがいるなら、ここまで頑丈な守りにする必要はないだろう。さっきのエリアはモンスターがいたから簡単に開いた。有元は大事なエリアにだけモンスターを配置しているのだ。
そう推測した月輪は、無理やりドアを開けようと結論づけた。
ドアの中心に立ち、一息つくと右足を後ろに引く。胸の前で拳を握り、左足を軸に勢いづけてドアを蹴り上げる。
続けて殴打を連発で繰り出す。
目にも止まらぬ速さで乱打していく様は、荒々しい熊のようで見ている者を圧倒させる。
ドアは最初の強烈な蹴りで凹み、パンチの一撃一撃で更に変形していく。
ボコボコと凹んでいったドアはやがて抉れ、開口に隙間が生まれた。
「うわ……」
数十センチの隙間から、ぶわりと匂いが漏れだす。一番離れた場所にいる千坂でさえ、そのキツい匂いに声を零してしまう程だ。
生臭い匂いに甘ったるい匂いが混ざり、臭さが助長されている。
「とりあえず開けるか。二人はこっちの扉を引っ張ってくれ」
口元を覆う女性陣と協力して、それぞれ左右のドアを引っ張っる。
ギギギ、とがなり立てるドアを無理やりこじ開け、やっとの思いで室内を見た。
ドアを開けたことで薄暗い部屋に光が射す。
外と中の匂いが融け合い、三人の立つ場所に風が生まれる。
徐々に目が慣れていくと、見たくもない景色が視界に飛び込んできた。
左右の壁にはズラリと檻が並べられ、天井からは鳥かごが吊るされている。錆びれた銀色が光を反射し、排他的な雰囲気を醸し出す。
檻やかごの中には、生気がなかったり、逆にギラついた眼の生物達がよそ者をじっと見つめる。
異様な空気に刹那、三人の動きが止まった。
W.Rの戦闘班に所属している限り、悲惨な現場を見ることも異形を見ることもある。
しかし、今回は初めてのケースだった。
檻いっぱいに詰められた生物。極端に醜悪な異形や奇抜な容姿の異形、反対にものすごく可愛らしい見た目の異形。一匹として同じ個体はいないが、皆一様にじっとしている。
首や目だけで侵入者を見る彼らを、侵入者は見返す。
何十も異形がいるということは、その何倍もの犠牲者がいるということで。
「こ、これは想像を絶する光景だ」
「……ここに逸実んはいないわ。早く探しに行きましょ」
「でもこの子達は、」
「急がなきゃ、逸実んもこうなってしまうのよ」
「! …そ、う、ですよね。すみません」
遊馬が強ばった顔つきで頷く。
いつもより強い口調で言い切った千坂も、苦しそうな顔で目を背けた。
三人全員が、ここに閉じ込められた者達の犠牲を思っているのだ。
小さくか弱い生き物、逞しく野生を生き抜いていた動物、居なくなれば悲しむ者がいたであろう人達。数えきれない数の命や体が奪われたのは明白だった。
無言で部屋を出ていく月輪達。真っ暗で陰鬱とした空気から逃げるように、足早に部屋を去る。
ドアの上に掲げられた「失敗作」という看板が、出ていく三人を見下ろしていた。
三人は来た道を戻り、一度階段の方まで戻った。
次は反対の通路から攻めるつもりで、先ほどとは逆の方向へ足を進める。
冷えた気持ちを何とかしたくて、銅捜索に全神経を注ぐ。
この階にきて一つ確かなことは、最下階が有元個人の実験施設であるということだ。
上の階には多くの研究者がいたのに対し、最下階は誰一人いない。そして、エリアの数も他と比べてかなり少ない。
少々入り込んだ造りなのに加え、どこもかしこも白いせいで、方向感覚がひどく曖昧になってくる。
とにかく奥へ奥へ進みたくて、他の通路より細くなっている通路を通る。ビルとビルの隙間みたいに、人一人が通れるくらいの道幅だ。
細道を抜け、切り開かれた通路へ出ると、少し離れた場所に分厚そうな鋼鉄のドアを見つけた。
いかにも、と言うような派手で禍々しい造形ではないが、シンプルで頑丈な造りにはどこか怪しい部分があった。
「もしここが第一実験エリアなら、改造生物がいるとみて間違いない。私がそちらを相手するから、二人は銅の救出を最優先に、有元の捕縛もしてくれ」
「イエッサー」
月輪は懐から掌サイズの小さな機械を取り出し、ドアの繋ぎ目、ちょうど中心部に設置した。
「脇によって、すぐに突入出来るようにしろ」
その言葉を言うや否や、取り付けた機械の側面部分に触れ、一メートル程後ろへ下がった。
ピ、ピ、ピピ――点滅音の間隔は次第に短くなっていく。最後に笛のような一本の音になった瞬間、脳を揺する程の爆発音が辺りを包む。
地面が揺れ動き、鋼鉄のドアは粉砕する。
煙の立ち込める入口を素早く通り、月輪は部屋全体を、千坂と遊馬は銅を探す。
あれだけの爆発音をいきなり聞いたら、すぐには動けないはずだ。
せいぜい五秒の猶予だ。血眼になって部屋の構造から人の有無、立ち位置を把握する。
案の定、ここは第一実験エリアだったようで、有元と銅は部屋の真ん中にいた。
それぞれ状況は違いすぎるが、バラバラじゃないだけこちら側が有利だ。
救出と捕縛係の千坂達は目で合図を送り合い、一気に距離を詰める。
呆気に取られていた有元は、近づいてきた千坂を見てニヤリと笑った。
「あ〜らら。こんなに早くお迎えが来ちゃうなんて、ツイてないなぁ」
口角を上げたまま息を吐くと、一際大きな白衣を翻して煙玉を取り出した。
「でも私は捕まるわけにはいかなくてね〜」
指の間に挟んだ三つの煙玉を自分の足元に落とす。
煙玉が地面に触れた瞬間、真っ白い煙が上がり、有元の体を覆った。
「ケホッ。あなたは逸実んを助けてあげて! うちは有元を」
煙から目を離すことはせず、千坂が指示を出す。
遊馬はその指示を受け、実験台で横たわる銅に手を伸ばした。
「今外してあげるから動かないで」
殊更優しい声で伝えると、首に取り付けられた銀の拘束具に触れる。
ほんの一瞬、鉄が焼けるような音がして、気がつくと拘束具は外れていた。
「他のも外すから、ゆっくり立ち上がって私についてきて。あなたをここから連れ出すわ」
「うっ。……分かった。でもその前に手ぇ貸さなくていいのか?」
仲間が助けに来てくれたことで安堵した銅だったが、すぐに今の状況を察し、遠慮気味に問う。
今現在、入口付近では月輪がクマもどきと格闘し、千坂は逃げる有元を捕まえようとしているのだ。
しかし、遊馬はそんな彼の言葉を一蹴した。
「最優先事項は、何を置いてもあなたを無事に連れ出すことなの。それに千景お姉さんは絶対に有元を捕まえるし、もうすぐ美狼さん達も合流するから、蒼志さんに加勢してくれる。……ほら、言った通り来たでしょ」
ほら、と言った遊馬の視線の先には、少し息を切らせた美狼と一路の姿があった。
銅は瞳を大きく開き、体を弛緩させる。緊張の糸が切れたのだ。
「やっぱりシド達はすげぇな。さっきまで怖くて堪んなかったのに、いつの間にか落ち着いてる」
「落ち着いてくれたなら良かった。ほら、早く立ってください」
最後だけ敬語になった遊馬は、銅が立てるように手を貸しながら周りを確認した。
部屋の奥では千坂と一路の二人がかりで有元を取り押さえ、入口では月輪と美狼がクマもどき――改造生物を挟み撃ちで攻撃している。戦況を見るに、もうすぐ倒せるだろう。
「千景お姉さん、そいつも連れていくんですよね」
「よくもまぁ逃げられると思ったわねぇ。でも逃げられないよう拘束したし、大凱さん先導で地上へ上がっちゃいましょう。……ほら、立ちなさいよ。このイカレ研究者」
歩ける状態になった銅を横で見守り、一路達の後に続く。
結局、皆が皆仕事をパパっと終わらせたおかげで、銅を一番安全な形で連れ出すことができた。
先頭に一路、そのすぐ後ろに千坂と有元。遊馬と銅を挟んで最後尾に月輪と美狼。
改造生物が襲ってこないか警戒しつつ、階段を目指す。そこまで着いてしまえば、あとはひたすら階段を上り、玄関口から出るだけ。研究者に見つかったとしても、彼らのことは簡単に蹴散らせる。
公に出来ない存在上、少なくとも地下二階より上の階に改造生物はいないだろう。
それに、これまでの流れからすれば、重要なエリアにのみ改造生物が配置されているはずだ。
今は一刻も早くここを出られるように、気配を探くことはやめずに足のスピードを早める。
やがて拓けた通路に出た一路は、横断歩道を渡る前と同じ動作で左右を確認し、階段――ひいてはその先にある地上に向かって走り出した。




