Ep.15 第二隊に危機迫る…かもしれない
日本某所――
金の装飾が立派な黒いカーテンに仕切られた空間の中、青白い電気が不健康に全体を照らす。
巨大な機械が所狭しと並ぶ、最先端技術が詰まったこの実験施設に、缶詰状態で作業をしている一人の青年がいる。
ただ黙々と手を動かす青年の横には、特に何をするでもなく、細長い男がその作業を眺める。
パソコンのタイピング音と、金属がぶつかり合う音だけが空間を支配していた。
それから三十分たった頃だろうか。
ガチャ、とドアの開く音が他の音を遮断し、青年の手元を見ていた男はゆっくりと振り返った。
白と黒のうねった長髪を揺らして、男は歪んだ口元を更に歪める。
「おかえり。それでどうだったのかな?」
糸目を愉快げに曲げた男は、ドアの前で立ち尽くす黒い何かに笑いかけた。
全身を真っ黒の布で覆い、顔と思われる場所には黒いマスクを着け、つま先まで黒に染めている人間のようなか何かが、男の方に視線を向け直す。
「銅逸実。観察していた限り、ずっとあいつらと行動していた。体力や能力は平均のようで、戦闘中も特別秀でたものは見受けられなかった」
感情の乗っていないくぐもった声は、ただ報告だけを簡潔に述べた。
「そっかぁ。やっぱり軒並みならぬ事情ってのがあるみたいだね。……じゃあ、引き続き監視お願い」
男は早々に黒いものを下がらせると、机に腰を掛けて隣で静かに作業する青年に笑顔を向けた。
「さぁ紫才君、今の報告を聞いてどう思ったかな?」
まるで弟や子供に尋ねるような優しい口調に、二人の関係性が垣間見える。
ここでようやく紫才と呼ばれた青年が顔を上げ、男の方を見返した。無造作に頬を撫でる前髪を払い、藤色の頭を傾げる。
「……別に、そいつが邪魔になったら消すだけ。どんな価値があるのかは知らないけど、やるべき事は決まってるし」
「ああ、ああ、紫才君の言う通りだね。私たちの目的は誰にも邪魔させないよ」
「ねぇ守代。そんなことよりも新型が一体やられちゃったみたいなんだ。今から戦闘回路を組み換えたいから、代わりに逞壊と羽羅戯に会っておいて」
言いたいことだけ言い捨てると、紫才は再び視線を落として作業に戻った。
その様子を見ていた守代は、口に手をあてて小さく笑う。
「はい、坊ちゃん。仰せのままに」
まるで執事のような物言いに、次の瞬間、タイピングしていた手が止まった。
「その呼び方やめろって言ったよね。もう子供じゃないんだし」
「ハハ、そうだったね。でも私にとっては、いつまでも可愛い可愛い坊ちゃんだよ」
「成人した男に可愛いは禁句だし」
「それはそれは。……じゃあ、かっこいい坊ちゃんの為に私は一旦出てくるよ。何かあったらすぐに呼んでね」
茶化すな、と溜め息をついた紫才は呆れを含んだ目で守代を見た後、小さく頷いた。肩を揺らしながら了承の意を汲み取った守代は、やっと腰を持ち上げたところで、あ、と声を上げた。
「なに」
「少しやってみたいことがあるんだ。紫才君にはそれだけ伝えておくね。勿論迷惑はかけないよ」
じゃあ行くかと長い腕を目一杯伸ばした守代は、右下にある俯いた頭を軽く撫で、その場を後にした。
▽
大浴場の入口で不動たちに遭遇し、精神面からごっそりと体力を削られたせいで、ベッドに潜り数分もしない内、夢の世界へ引きずり込まれた。
次に目を覚ました時にはカーテンの隙間から光が漏れていて、朝なんだとはっきり認識出来た。
枕元を探り当ててスマホの画面を見る。
只今の時刻、六時四十三分。銅にしては少し早く起きてしまったが、就寝した時間を思い出せば八時間は眠れたようだ。
外からの光を推測するに、天気は申し分ない快晴だろう。
ベッドの脇に座り、ひんやりした床へ足をつける。軽く頭を振って思考をよりクリアにさせると、立ち上がってカーテンを開けた。
推測通りいい天気だ。
上半身を大きく捻りながら顔を洗いに行く。初めの方は驚いていたが、自室にトイレとシャワー室があるのにもすっかり慣れた。
とりあえず水分補給でもするかとドアノブを回せば、味噌のいい香りが鼻腔をくすぐる。
キッチンを見るより先に、今日の朝食は和食なのだと気づく。
「大凱さん、はよござます。やっぱり朝早いっスね」
「おはよう。逸実君こそ今日は早起きだね。もしかして蒼志とランニング?」
手際よく料理をしながらも、一路はいつもの調子で話しかける。
「いやいやいや! えっと、あれですあれ。蒼志さんのスピードじゃ、俺ごときがついていくのも、えー、ままならないんで…」
銅は体の良い断りを並べつつ、脳裏では月輪とのランニングを思い出していた。
あれはそう、ここに来て三日目の朝。
珍しく六時に起床した銅は、そのまま寝直すことも出来なかった為、折角なら一路の手伝いでもしようと部屋を出た。
リビングには一路以外誰もいないと思っていたが、部屋の真ん前でアキレス腱を伸ばす月輪がいた。
「おはよう、逸実!」
「あ、はよござッす。蒼志さんは今から走りっスか」
「おう。山の方までひとっ走りな。…そうだ! 逸実も一緒に行こう! 絶対に楽しいし、二人で話せるいい機会にもなる」
(うっわぁぁぁぁ。そんな曇りない笑顔で素直に言われちまったら、盛大に断りづれぇよ。でも朝から走るなんてまっぴらだわ!)
しかし心の声とは裏腹に、気づけば「有難くご相伴にあずかります」と口走っていた。
それからはまさに後の祭りだった。
マンションから裏の山、山からマンションまで、随分な距離を随分な速さで往復。それに加え、山の中腹までは坂道を登って下って。
やっと部屋へ戻れた時には、体中の水分という水分が全て汗として噴出していた。
限界まで干からびた銅に対し、月輪は炭酸飲料のコマーシャルよろしく、爽やかな汗を流して笑っていた。
……なんてことがあり、あの日以来、月輪とランニングへ行くことは無くなった。そもそも銅という人間は運動が苦手な生態なのである。
渋い顔をつくっている銅に気づいたのか、一路はクスリと笑った。
「今日は簡単コースと言っていたし、以前よりはマシだと思うけど。そろそろ部屋から出てくるんじゃない? 見つかったら半強制的に連れてかれちゃうよ」
「今でも不慣れなトレーニングしてるのに、朝のランニングまで加わったら死んじゃうわ……」
軽口を叩きながら冷蔵庫を開け、適当なペットボトルを出す。
この家でのルールとして、名前の書かれていない未開封の飲み物は勝手に飲んでいいのだ。
麦茶を一気に流し込んでいると、ドアの開く音がして力強い足音と挨拶が聞こえてくる。
銅の位置からは見えないが、この感じは蒼志さんだな、と瞬時にしゃがみこんだ。このまま気づかれることなくやり過ごしたい。
二人は何度か言葉のラリーを交わし、やがて月輪が出ていった。
どうやら最後まで銅の存在に気づかなかったらしい。もし彼が気づいていたなら、絶対に声をかけていただろう。
にしても、実に迅速な判断だったと思う。勿論、月輪のことは好いているが、それとこれとは別だ。
少々強引なところがある月輪と、押しに弱い銅。誘われていたら断れなかった。
無意識に止めていた息を小さく吐き出す。膝を鳴らしながら立ち上がり、ペットボトルを冷蔵庫に戻した。
「隠れて正解だったかもね。あの調子じゃ、かなりピッチあげるだろうから。短時間とはいえ以前より負担が大きくてキツいと思うよ」
ほら天気も良いし、いつもより声も大きかったでしょ? と銅を見ながら笑う。
「言われてみれば機嫌良さそうでしたね。……ていうか俺、早く起きたことだし、大凱さんの手伝いしようと思ってたんスよ。なんか出来ることあります?」
「うーん、実は今日に限って朝食の準備が大変なんだ。お言葉に甘えて手伝ってもらおうかな」
銅が起きてきた頃には、ほとんど準備は終わっていたが、味噌汁を温めて残りの具材を投入する作業や、小学生でも出来るような作業を任された。
「じゃあ少し降りてくるから、申し訳ないけどお願いね。何かあったら電話ちょうだい」
「うーっス。でもこれを毎日とは……。大凱さんへの有難みが身に染みますね」
「大袈裟だけど、そう言ってくれて嬉しいよ。なんか久しぶりにグレていた弟が構ってくれた気分」
「よく分からん例えですけど、大凱さんって弟いるんスねぇー」
「え、いないよ?」
「…………。ほ、ほぇぇ」
カチャカチャと味噌を混ぜる音だけが響く。
一路の隻眼は真っ直ぐに銅を見返していたが、銅は上手く言葉が出なかった。
(空想の弟ってか? …なんていやぁ言いんかわっかんねぇよ)
どう返事するかという葛藤と共に沈黙は続き、一路はいつの間にか部屋を後にしていた。
銅 逸実、十九歳。一人で作った初めての朝食は――と言ってもほとんど仕上げをしただけだったが――何故か少ししょっぱかった。
* * *
今日も今日とて講義を終えた銅は、昼過ぎに大学を出た。
最近では講義の時間以外、ほとんどを第二隊と過ごしているなー、と銅は歩きながら考える。
マンションの最寄り駅である殻美戸駅まで着くと、どこからともなく遊馬が現れ、マンションまで並んで帰った。
第二隊の面々は、大学までは表立ってついて来ることをしないが、帰り道や出かけ先には堂々とついて来る。
護衛と巡回を兼ね、銅の行先に同行する。銅は一人で戦える実力を持っていない為、Cが現れた時や何かあった時の保険として、誰か一人は監視することにしているのだ。
工場跡地に差し掛かった時、遊馬が徐ろに口を開いた。
「そうだ、今日は少し遠征だって。三人は準備出来てるから、逸実が荷物置いたらすぐに出る」
「じゃあ時間的にどっか泊まり?」
「そう言ってた。泊まりは多くないし、なんかドキドキって感じ」
「あぁ、蒼志さんがいるからか」
月輪を見る遊馬の目からは、ひしひしと好意を感じる。
それが恋愛感情なのか、尊敬なのか、銅には分からないところではある。とにかくほんの軽い気持ちで口に出していたのだが、
「!? ちがっっっっ、違いますっ! 全く……。勘違いも甚だしい。第一、なんでここで蒼志さんが出てくるんですか。まさかドキドキっていう言葉を曲解しているんですか。それとも私が気づかないうち、何か心の声が漏れたんですか。どんな意味があってその名を口にしたんですか。なんなんですか」
「……えっと、ごめん」
銅が放った何気ない一言に、遊馬は顔を赤くして捲し立てた。
なかなか止まらない言葉には、親しくなってきてからは減った敬語口調が目立つ。
たっぷり二十秒を意見という名の文句に費やし、やっと息をついた時には、肩で息を切らせていた。
圧倒されていた銅に出来たのは、一連の様子に瞬きをすることだけだった。
「とりあえず、むやみやたらと蒼志さんの名前を出さないでくださいね」
「あはは……。すいません、以後気をつけます」
こうして微妙な空気のままマンションへ戻り、微妙な気持ちのまま三人に合流した。